バックナンバー/(16)オバマ政権が陥った深刻な矛盾

FrontPage

|定 点 観 測||バックナンバー |

#ref(): File not found: "DSC_4883.jpg" at page "バックナンバー/(15)二つのシステミック・クライシス"

(15)二つのシステミック・クライシス
 3月11日の東北関東大震災とこれが引き起こした巨大津波ならびに原発事故は、東北の太平洋沿岸地域に、想像を絶する惨害を引き起こした。死者・行方不明者が2万6000人以上と報道され、原発事故の影響と合わせて数十万人の人々が長期の避難生活や居住地の移動を余儀なくされている。津波と地崩れで多くの農家が農地を失い、漁業関係者は、全体で数千隻の船を失った。何万人もの人々が、住宅と労働手段だけではなく、家族や友人、さらに、生まれ育った街そのものを奪い去られた。
その多くが広大な廃墟と化した被災地だけではなく、首都圏をふくむ広範な地域の市民生活にも大きな変化が引き起こされた。これまでは、お金さえあれば欲しいものは何でも手に入ると思われていたのが、突然お金があっても米、水、牛乳、ガソリン、粉ミルク、納豆、電池、ローソク、等々さまざまな食料と生活用品が購入できない状況が現出した。いわゆる「計画停電」は、企業、家庭、公共交通、イヴェント会場その他に大きな障害をもたらし、大学の卒業式や入学式が相次いで中止になっている。事故を起こした原発から放出される放射能物質の影響で、関東地域でも多くの農家が収穫した野菜を売れなくなり、酪農家は絞った牛乳を畑に廃棄することを余儀なくされている。最近になって、東京電力の幹部と政府高官が、事故を起こした原子炉の廃炉もやむを得ないという判断を公表したが、その廃炉を完了するには、現在の事故処理がたとえ成功裏に進んでも、さらに数十年の歳月が必要といわれている。ただし、事故発生から3週間が経過した現在(3月30日)、事故処理が成功裏に遂行される見通しはまだ立っていないし、原発が本当はどのような状態にあるのか、国民の多くには知る手だてがない。
 原発は、単に原子炉と燃料棒でできている単純な機械ではないし、テレビで放映される航空写真で目にする敷地、建物、貯蔵タンク、排水施設、配管や配線、堤防その他の施設で構成される物理的な施設ではない。それは、何重ものさまざまな防護施設、計器、制御機器、電源などハード面の施設と、それを管理し、さまざまなデータを読み取り、状況を判断し、修理を含む対応処置をし、それに必要な情報と資材などを外部とやり取りする人的組織、さらに、生産した電力を広範な地域に送電し、加工し、家庭や企業その他が利用できるのに必要なサービスを提供するシステムとそれを担当する経営組織および膨大な人員が関係する、総合的なシステムである。原発は、巨大電力会社によってビジネスとして運営されているが、その設立と運営は、電力会社が単独で行うのではなく、多くの地方自治体と政府機関が関与している。したがって、原発は、電力会社の経営政策だけではなく、政府の経済政策および関連自治体の地域政策とも深く関わり、補助金、税金その他のさまざまな金の動きと配分を伴い、地域の雇用確保、交通など生活基盤整備、教育環境、社会保障関連など、地域の経済と生活、そしておそらくは人々の価値観や考え方にまで深く浸透する形の社会的、精神的、文化的影響を及ぼしている(原発に依存した、あるいは原発と共存する地域社会)。また、原発は、その正常な運転環境の維持のために莫大な冷却水を必要とし、通常は大河や海浜に近い場所に立地され、その地域の自然環境に大きな影響を及ぼし、同時に、自然環境からさまざまな影響を被っている。要するに、それは、単に複雑で巨大な原子力技術の集合であるだけではなく、多くの政府機関、自治組織、企業組織、家庭、地域コミュニティを含む巨大な社会的、経済的機構をベースとして設置され、運営され、利用されている巨大で複雑な技術的・社会的システムである。今回の事故は、その意味で巨大で複雑な技術的・社会的システムの制御が不可能になり、まるで自動操縦システムのように暴走し、その結果、それに関係するさまざまな経済的、社会的、技術的、自然環境的サブ・システムがいずれも甚大な損傷を被り、機能不全に陥ったという意味で、きわめて深刻甚大な、システミック・クライシスと見なすことができるだろう。
 金融論、とりわけ現代金融システムの研究に従事してきた人間としては、今回の事態はいやでも応でも、2007年にアメリカのサブプライム問題を契機に発生し、その後世界金融危機ならびに世界同時不況として拡大し、いまなおわれわれがその渦中にある「100年に一度」と呼ばれた経済危機と関連付けて考えざるを得ない。
 もちろん、金融危機や恐慌とよばれる経済システムのクライシスと、大地震・巨大津波を引き金として発生した原発事故とは、その性格、社会的・経済的意味合いと影響、政府関係機関が求められる対処、今後の処理過程などいずれをとってもまったく異なっている。それにも関わらず、私がこれら二つの大惨事を、いずれも複雑で巨大なシステムに発生したクライシスとして比較的に考えるのは、事故発生以来メディアに登場する政府関係者、原子力安全委員会を始めとする原発問題の専門家、電力会社関係者、などの発言と行動が、金融危機の震源地となった米国の政府・監督機関関係者、経済学者、大手金融機関の経営者他の言動とあまりにも似通より、重なり合って見えたためである。
 今回の金融危機の「原因」を厳密に説明することはもとより容易な作業ではないが、世界中で金融論を専門にする数千人に達する数の研究者(大学、シンクタンク、金融機関、監督機関その他で金融問題の研究に職業として従事する人々)のほとんどにとって(おそらくはほんの一握りの洞察力と現実感覚を備えた人たちをのぞいて)、2007年夏の金融危機の発生は、「晴天の霹靂(perfect storm)」であった。つまり、これらの専門家にとって、それはまったく想定外の異常かつ突発的な出来事として現出したのである。
 2007年夏に発生したアメリカの住宅バブル崩壊が、ほとんど瞬時にヨーロッパを含む国際金融市場に激しい混乱を引き起こし、とりわけ過去30年以上にわたって国際金融市場の主導権を握ってきたウォール街の大手投資銀行と巨大金融コングロマリット(その多くは一兆ドルを超える資産を管理し、多数のリスクマネジメント専門家を含む数万人の職員を抱え、世界の50カ国にもまたがって、1000社以上の関連会社を運営している)がなすすべもなく事実上破綻し(企業としての正味資産を消失)、政府・中央銀行から10兆ドルを超える(米国のGDPの70%超)資金的・信用的支援を受けざるを得なくなった事態は、ほとんどの経済学者の思考枠組のなかでは「信じがたい、想像を絶する」出来事であった。
 今回の原発事故をめぐってメディアに登場した原子力や原発問題の専門家の多くが、今回太平洋で発生した巨大地震(マグニチュード9.0)とそれが引き起こした巨大津波が、いずれもその規模とエネルギーにおいて、これら専門家の想定を超えていたと繰り返した。実際には、この地域で今回に地震に匹敵する地震と津波が過去に発生したことを示す記録が地震学会で報告されており、これに匹敵する自然災害が発生した場合に原発施設が甚大な損傷を受ける可能性は国会でも指摘され、当該地域で原発問題に取り組む活動組織からも指摘されていた。しかし、原発を増やしたい政府監督機関と電力会社は、1000年に一度発生するかしないか分からない事象を想定して安全基準を引き上げることはできないという弁明を繰り返したと報じられている。
 巨大で複雑なシステムが、それ自体として存続不可能あるいは完全な機能不全に陥るという意味でのシステミック・クライシスは、システム自体が巨大で複雑であるだけに、何がきっかけで、いつどのように発生するのかを事前に予想することは一般に困難である。それは、システムがすでに深刻な脆弱性を抱えていれば、常態ではシステムの全体的な問題とはなり得ない「ささいな」破綻がきっかけで発生することもあるし、複雑な過程を経てシステムの中枢にさまざまな障害が集中し、そこから大規模な破綻が一挙に生じることもある。システムは、多数かつさまざまなサブシステム(部分的なシステム)から構成され、それらは相互に関連・依存しているだけではなく、それらの中に複雑な階層性や中枢性が埋め込まれており、その全体的な関係性は、いわゆる専門家の思考枠組のなかでは、抽象的な可能性としてはともかく、現実性のある問題としての把握は困難である。
 1998年10月にアメリカでいわゆるブラック・マンデーと呼ばれるようになった株価暴落が発生し、その激震はほとんど津波と同じスピードでまたたくまに世界中の主要金融市場に波及した。多くの金融「専門家」によれば、それほどの大幅な株価暴落が前触れもなく突然発生する可能性は、数十億年に一回あるかないか(つまり、地球の全歴史で1回起きるか起きないか)のきわめて稀な事象であるとされ、ほとんど説明不能と言われた。しかし、われわれはそれに匹敵するかそれを上回る株価暴落はすでに80年前に経験(1929年のウォール街の暴落とそれに端を発する世界的経済危機)しているし、ブラック・マンデー以後も、それに近い暴落を何回も経験した。そして、極めつけが、今回の「想定外の」世界的な金融危機であった。
 これは、株価暴落や金融危機の発生をめぐる経済学者の想定が、非現実的であったことを裏付けている。正確に言えば、想定を超えること(起こり得ないこと)が発生したのではなく、想定自体がはじめから「非現実的」であったのである。われわれはむしろ、今後も同様の事態(専門家によれば何億年に一度あるかないかのこと)が、何年かおきに発生する可能性を想定しておく必要があるのである。
 巨大で複雑なシステムがクライシスに陥る可能性を想定するためには、当該のシステムの構造と動態、その中での矛盾(関係するメカニズムの間の不具合)の発生とその累積、システムの内部で発生したさまざまな破綻がシステムの他の部分に拡散し、それらが多数のメカニズムの相互依存関係を通じて連鎖的・複合的に作用し、最終的にシステム自体が持ちこたえられなくなって暴発するクライシスのメカニズムについて正確な理解が必要であるが、それは、現状ではほとんど人知を超えることである。金融市場と世界経済について言えば、経済学はそうした理解に必要な概念も手段も、分析方法も必要なデータも、いまだ持ち合わせていない。それにもかかわらず、原発監督機関や電力会社が原発増設を推進してきたのとまったく同様に、金融監督機関と金融界は、人間の合理的な理解や管理能力を超える巨大で複雑な金融機関を作り上げ、それを大規模で効率的な、企業や家計の金融サービス需要により良く応えることのできる優れたシステムとして賛美してきたのである。
巨大で複雑なシステムには、一般にデータ主義の近代科学の発想では把握しにくい、隠れた、システミックなリスクが存在しうるということは、最近になって、経済学の分野(ただし、非主流の分野)でも注目されるようになってきた。通常のデータで測定することが困難で、実験することもモデル化することも難しいシステミックなリスクを予想するためには、われわれは自分の専門分野を超えたさまざまな知見を集め、さらに最大限の想像力を駆使してあらゆる可能性に思いを広げてみることが必要である。しかし、多くの専門家は、こうした努力を積極的には評価しようとせず、他分野の知見や持てる想像力を活用することを避け、自分の手持ちの概念、手段、方法およびデータの範囲を超える可能性は「想定外」として拒絶することを習わしにしている。現実に発生する大変事がしばしば専門家の想定外であるのは、それが想像を絶することだからではなく、一般に専門家が想像力という自らの知的能力を限定的、禁欲的にしか活用しないからである。
 経済学者や巨大企業の経営者の想定外で発生する深刻な経済危機は、世界の何億もの人々に失業、財産喪失、失望という苦痛をもたらし、何十兆ドルもの経済的価値を破壊し、深刻な政治的・社会的混乱を引き起こす(今回の経済危機の結果、世界中で二億人以上の人々が仕事を失ったといわれている)。それは、巨大地震や津波のように、何万人もの人々の生命を一瞬にして奪うことはなくても、原発の事故と同じように回復と治癒のための長く持続する犠牲と努力を関係者に課す。
 こうした惨禍を予防し、その被害を最小限に食い止めるためには、たとえ専門家が数十億年に一度と想定するクライシスであっても、その可能性を否定せず、あらゆる想像力と集団的英知を働かせ、それに備えて、あらかじめ可能な対策を講じておく必要がある。われわれは、巨大で複雑なシステムのクライシスに関しては、想像力の乏しい「専門家」の言質(げんち)を鵜呑みにしてはいけないのである。それが、株価や地価の暴落や銀行破綻にとどまる問題であれば、それで広範な地域社会や国民生活が一挙に破壊されることはないかもしれない。しかし、今回われわれが目の当たりにしたように、重大な原発事故は、いったん発生すればその影響は計り知れないほど広範、甚大、持続的で、立地によっては後の世代を含めて多くの人々の人命と健康にかかわる可能性をもっている。事故を起こした原発施設は、破綻したウォール街の大銀行のように、政府が持参金をつけて他の会社に買い取ってもらうわけにはゆかないし、法律にもとづいて清算処理を進めることもできない。原発を廃炉とするには、何十年もの年月とその間の忍耐ずよい監視や管理が必要である。場合によっては、何百年もの間、人間が近寄ることもできない巨大な廃墟が残り続けることになる。要するに、それは事故を起こすことが許されない人工的システムである。
しかし、人間が作った巨大で複雑なシステムは、それがどのように精密なものであれ、むしろ精密であればあるだけ、長期にわたって事故を起こさないで運行できる保証はだれにもできない。人間が作り上げたシステムは、どのようなシステムも破綻する可能性をもっている。違いがあるとすれば、破綻した時にもたらされる惨害が人間社会にとって受容し、回復可能であるか、そうでない場合(最悪のシナリオ)があり得るかである。原発は後者であり、したがって、現在の段階では、人間に拠る理性的な管理の範囲に収まりきらない危険性をはらんでいると考えなければならない。ましてそれは、企業の収益増進の手段として安心して経営者の判断にゆだねられるシロモノではない。つまり、現状のままで原発を民間企業がビジネスとして運営することは、きわめて不合理な所業といわなければならないのである。

powered by Quick Homepage Maker 4.51
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional