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やまあじさい
(26)金融化の申し子:ビットコイン

金融化は、株式、債券、投資信託、仕組み証券、デリバティブ(金融派生商品)、その他の架空資本(注1)が売買される証券市場が膨張し、企業、家計、政府の経済活動が証券市場の動向に依存するようになる現代資本主義の傾向を意味しています。
 金融化の背景には、実体経済の成長から遊離した、過剰な貨幣資本の蓄積があります。過剰な貨幣資本は、富裕層と機関投資家が利殖目的で運用する資本です。これらの多くは新たな投資や雇用、要するに生産拡大には向かわず、架空資本市場での金融・投機活動に充てられます。したがって、金融化は雇用の削減・不安定化、賃金・労働分配率の低下、経済成長率低下を促します。
 金融化のもとで、一方における実体経済の停滞と、他方における貨幣資本の過剰蓄積が、限度を超えて乖離(かいり)すると、バブルが膨張し、その崩壊によって金融危機が発生します。2007~11年の世界金融恐慌はその歴史的な事例です。
 ◆新種の架空資本
 07~10年の恐慌後の政府・金融当局の対応は、恐慌の根っこを除去せず、大手金融機関の救済と集中の促進によって、次の恐慌の条件を温存しました。しかし、すでに世界の国内総生産(GDP)の3倍以上に積み上がった貨幣資本にとって、株式、社債などの伝統的な架空資本だけでは、出口の見えない超低金利のもとで、期待する利回りを上げ続けることはできません。さらに、これらに代わって登場した仕組み証券やデリバティブが提供する投資機会にも限度があることが、07~10年の恐慌で明らかになりました。
 その結果、従来の架空資本とは別の、純粋に投機的な架空資本に対する需要が、金融機関と投資家の双方から高まりました。ビットコインをはじめとする暗号技術を使った仮想通貨は、そうした需要に応える形でサイバー空間(注2)につくられた新種の架空資本です。貨幣資本の過剰蓄積が継続する限り、投機資本がサイバー空間に侵入することは必然的でした。仮想通貨の代表であるビットコインが2009年に登場したこと、仮想通貨の交換業者の背後には大手金融機関が隠れている事実は、この間の消息を物語っています。
 ただし、サイバー空間に投機市場を創造するためには、最新の暗号技術と結びついたコンピュータ技術の発展が必要でした。いわゆる「ブロックチェーン」(注3)と呼ばれるアイデアの応用が、これを可能にしたわけです。
 (注1)定期的に一定額の所得を受取る権利を、あたかも資本であるかのように想定した架空の資本。例えば、株式、社債、国債などの有価証券や、信託受益証券など。
 (注2)コンピュータやネットワークの中に広がるデータ領域で、多数の利用者が自由に情報を発信したり、情報を得たりすることができる仮想的な空間。
 (注3)仮想通貨に使われている技術。取引履歴の集合体(ブロック)を暗号技術で鎖(チェーン)のようにつなげ、取引台帳としたもの。
 仮想通貨は通貨なのでしょうか。
 通貨は、貨幣の諸機能の中で、購買手段および支払い手段として流通過程で機能している貨幣、もしくはその代理物を意味します。現代の代表的な通貨は、中央銀行が発行する現金通貨と、民間銀行が発行する決済性預金(当座預金・普通預金)です。
 仮想通貨は、種々の電子マネーや地域通貨と同様に、限定的とはいえ、すでに通貨の機能を果たしています。しかし、現在、すでに1400種類以上の仮想通貨がつくり出され、その時価総額が何十兆円にも達していても、実際に通貨として利用されているのはごくわずかです。圧倒的多くは、値上がりを期待した投機対象として購入されるか、犯罪的なマネーロンダリングの手段として利用されています。
 通貨との関係でいえば、仮想通貨は、一般に利用される通貨が本来備えるべき属性の多くを備えていません。
 第一に、仮想通貨には、いかなる意味でも価値評価の基準が存在しません。その「価値」は、純粋に需給の動向によって、言い換えれば、市場での投資家の思惑を反映する瞬間的な相場として決まるだけで、その相場が妥当であるか否かを判断する合理的基準がありません。
 第二に、サイバー空間で取引される仮想通貨の「価値」変動は、一般商品の価格とは関係がなく、それ自体は安定した価値保蔵手段の役割を果たすことができません。
 第三に、仮想通貨には、発行者も管理者も存在せず、売り手と買い手を仲介する「交換所」と称するサヤ取り業者が存在するだけです。したがって、その「価値」の安定に責任をもつ機関が存在しません。
 第四に、仮想通貨の最終的な発行量は、仮想通貨の発行を制御するプログラムによってあらかじめ限界づけられています。ビットコインは、4年ごとに発行額が半減し、総額が2100万ビットコインに達したら、新たな発行が停止します。したがって、仮想通貨は、銀行が発行する預金通貨のような、実際の経済の需要に応じて効率的・弾力的に収縮するメカニズムを備えていません。
 第五に、コンピュータの解析能力の革命的な進歩がない限り、新しい仮想通貨を入手すること(マイニング=暗号解読)は、時間・費用・労力の面から加速度的に難しくなります。2018年1月現在、マイニングによって1ビットコインを新たに入手する費用(膨大なコンピュータ装置を動かす電気代、冷暖房費など)は、3000~4000ドルと見積もられています。ただし、そのコストは当該地域の電気料金に依存します。
 また、現在のビットコインの決済処理速度は7回/秒といわれており、集中的な銀行間決済やカード決済(数万回/秒)とは比較になりません。さらに、ビットコインを円やドルなど本来の通貨に交換するためには、1ビットコイン当たり数万円の手数料(売買価格差)が必要です。
 以上のさまざまな問題から、ビットコインの保有は暗号技術の専門家や投機業者に集中しており、世界でわずか100人が総額の17%、1000人が40%を保有していると見られています。これらを総合してみると、仮想通貨は本来の通貨が備えるべき「一般通用性」と「流動性」を欠いており、既存の通貨にとって代わることは考えられません。
 架空資本との関係で言えば、仮想通貨は、単に保有するだけでは所得(キャッシュフロー)を生みません。したがって、株式や債券などと同じ金融資産ではなく、言葉の正確な意味では、架空資本でもありません。
 その点では、土地や住宅などの不動産に似ています。しかし、土地や住宅は実在する財であり、所有者にとってさまざまな利用可能性(使用価値)があるだけではなく、利潤目的で運用(賃貸)することもできます。これに対して、仮想通貨には投機手段以外に、いかなる意味でも使用価値はありません。言ってみれば、カジノでやり取りされるチップのようなもの、ただし発行体の存在しないバーチャルな(架空の)チップです。
 ところが、仮想通貨の取引・仲介業者は、仮想通貨に独自の使用価値を見いだしています。周知のように、現代の証券市場では、借り入れに必要な担保としてであれ、投機目的であれ、株式や債券を金融機関や投資家が貸借する取引が莫大な市場になっています。これにならって、金融業者は、仮想通貨を他の有価証券と同様に、手元資金のない投機家に、投機対象として貸し付けて利益を上げています。
 また、現代の証券市場では、一定の証拠金を取引所に積めば、その何倍もの証券売買ができます。これと同様に、仮想通貨交換所は、一定の証拠金と引き換えに、その何倍もの仮想通貨取引を顧客にさせて、取引高をかさ上げし、手数料を稼いでいます。こうしたサービスを利用するのは、仮想通貨投機を専門にする多数のヘッジファンドです。
 要するに、仮想通貨は、あたかも株式や社債と同じ有価証券であるかのごとく取り扱われており、その意味で仮想通貨市場は、「カジノ化」が進む現代の証券市場に限りなく近くなっています。
 しかし、株式や債券は、発行体が存在し、発行体が所有者に将来の貨幣支払(キャッシュフロー)を約束した契約を化体(かたい)(注1)しています。
 これに対して、すでに述べたように、仮想通貨に発行体はなく、それ自体にはいかなる意味でも将来の所得は化体されていません。このような純粋に無価値な、サイバー空間につくられた「資産」が、株式や債券と同様に「価格」をもつ投機対象として取引される状況は、現代資本主義の金融化が行き着く先を暗示しているといえます。その意味でも、仮想通貨は金融化の申し子です。
 ただし、念のために言えば、無価値な「資産」を対象とする投機取引のまん延は、仮想通貨の登場ではじめて生じたわけではありません。
 資本による投機、つまり価格変動を利用したサヤ取り取引は本質的に、資産の使用価値(有用性)から遊離した利殖活動です。
 古くから行われている商品先物取引は、将来の取引価格の確定という合理的目的と同時に、単なる値上がり益狙いという、商品の本来の使用価値とは無関係な投機目的で利用されてきました。例えば、1990年代の原油価格の値上がりをけん引した先物取引を主導したのは、大量の原油を必要とする精油会社や石油販売業者ではなく、米国の金融街、ウォール街の投資銀行でした。
 現在の商品市場や証券市場で広く行われている差金決済(注2)は、投機資本にとっては、純粋にサヤ取りが目的であり、取引する商品や証券に対する実際の需要とはかかわりがありません。
 (注1)抽象的な事柄を具体的な形のあるもので表すこと。特に、権利を有価証券の形で表すこと。
 (注2)決済日に現物の受け渡しを行わず、価格変動から生じる売買差額の清算だけを行う先物取引。
投機取引が本来的に持つ非目的性、非実用性、非現物性が最も端的に表れたのが、2007~10年の金融恐慌の要因になった資産担保証券(CDO)、とりわけシンセティック(合成)CDOでした。
 この新種のCDOは、バブル最盛期のウォール街(米国の金融街)でCDOに対する需要増に応えて大量に「合成」され、主として欧州の金融機関に売りさばかれました。このCDOの「価値」を支えたのは、信用デリバティブ(CDS)と呼ばれる一種の金融保険の購入者が支払う保険料でした。
 本来CDSは、債権者や投資家が信用リスクや投資リスクをカバーする目的で商品化された金融保険の一種です。しかし、これが合成CDOの材料として使われるようになると、債権も証券も保有していない投資家が、直接利害関係を持たない証券や企業のデフォルト(債務不履行)を見込んでCDSを購入するようになりました。
 例えば、経営の悪化が予想される企業に対して、債権者ではない第三者が、保険を掛け、予想通りこの企業が倒産したら保険会社から保険金が支払われるという契約です。そして、この投機家が保険会社から購入したCDSが、合成CDOの材料に利用されたわけです。
 この例が示しているように、投機的な価値増殖を目指す資本にとって、想定される投資対象の有用性や必要性はまったく問題にならず、その実在性さえ問われません。このように考えれば、2007~10年の金融恐慌に至る過程で、今日目の当たりにしているサイバー空間に巨大な投機市場が創造される条件は、すでに十分成熟していたとみなければなりません。ただし、このためには前述のように二つの前提条件があります。
 第一は、既存の株式や債券だけでは投資需要を満たすことができない大量の貨幣資本が、富裕層、機関投資家、金融機関さらには企業の手元に蓄積されることです。要するに、インターネット上の投機商品に手を出すことをいとわない貨幣資本の過剰蓄積が進むことです。
 第二は、既存の証券取引所のような、一定の規則に基づいて、膨大な取引を集中的に処理する施設なしに、投資家同士が相互に取引の正当性と記録をチェックしながら、継続的に取引するために必要な暗号技術とコンピュータ技術の発展です。
 仮想通貨が本来の通貨として普及する見通しはきわめて乏しいし、サイバー空間における投機のまん延は資本主義にとって自滅的現象だと思います。他方、仮想通貨を生み出した暗号技術やコンピュータ技術が、将来の金融市場だけではなく、政府と市民の関係を含めて社会生活全般にどのような変化をもたらしうるのかについては、別途の検討が必要であろうと思われます。

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