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(16)オバマ政権が陥った深刻な矛盾
オバマ大統領は2009年11月の東京訪問中に、サントリーホールで講演し、その中でオバマ政権がアジア太平洋地域との貿易強化・協力関係の推進を重視していることを強調した。これは、事実上オバマ政権がシンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイが進めているTPP(環太平洋戦略提携協定)交渉に積極的に参加する方針を表明したと理解されている。ただし、オバマ政権のTPP交渉への正式参加が明らかにされたのは、2009年12月に大統領の指示にもとづき、米国通商代表部(USTR)が、TPP交渉への参加について政権の方針を説明する書簡を議会に送ったことによってであった。
周知のように、TPP交渉の発端は、2000年末に、APEC加盟国であるシンガポール、ニュージーランド、チリの3カ国(P3)が、貿易自由化に向けた交渉を開始したことであった。P3はアメリカの参加を促したが、当時のクリントン政権は、かねてより、APEC全域にわたる高い基準の貿易・投資自由化をめざす構想をもっていたこと、それら3カ国の貿易相手国としての重要性が小さいこと、さらにニュージーランドとの貿易自由化は、米国内の農業・酪農分野に大きな脅威になることを懸念したことから、交渉に加わらなかった。
その後TPP交渉にはブルネイが加わり、2005年7月に先の3カ国にブルネイを加えたP4の間でTPP協定(Trans-Pacific Strategic Partnership Agreement)が成立した。これはP4の間での広範な貿易自由化を謳った協定であったが、WTOのドーハラウンドの懸案になっている金融サービスの取引および投資の自由化については当面協定の適用除外とし、これらについては2年以内に新しい交渉を開始するという内容になっていた。
2008年になってP4の間で金融サービスの取引と投資の自由化にむけての新しい交渉が始まったことを受けて、ブッシュ大統領はP4とのTPP交渉に参加する方針を打ち出した。その後、TPP交渉にはアメリカ以外にオーストラリア、ベトナム、ペルーの3カ国が新たに参加する意向を表明したことで、TPPはP8の交渉に拡大し、さらにその後マレーシアが参加の意向を示したことで、現在はP9の交渉に広がっている。
以上の経過から明らかなように、米国は当初米国の貿易相手国としてほとんどとるに足りない小国の間で話し合われているTPPへの参加には大きな関心を示さなかったが、オバマ大統領はブッシュ政権からの方針を「転換」し、アジア太平洋地域との「戦略的提携」を強化することを重視し、むしろ実質的には米国主導のかたちで今後のTPP交渉を推し進める姿勢を打ち出している。
しかし、このようなオバマ政権の姿勢は、きわめて重大な矛盾をはらんでいる。
2007年夏に発生した金融危機の震源地となり、その後史上前例がない規模と方法での金融救済を余儀なくされたオバマ政権は、国民に対する本来の説明責任にかえて、大手金融機関の投資銀行業務と店頭デリバティヴ取引、自己勘定取引を規制する金融改革法案を議会に提出せざるを得なかった。
この法案の取りまとめにあたったのは、ガイトナー財務長官を中心とする、かつてクリントン=ルービン政権のもとで金融自由化を推進した人々であり、議会での法案審議をリードしたのはかねてよりウォール街からの莫大なロビー資金で汚染された議員たちであった。この法案は、2000ページをこえる膨大な条文のドッド=フランク法として成立したが、その内容は、ウォール街の大手金融機関の利害にかかわるほとんどの重要な論点で骨抜きされ、多くの具体的な運用基準の策定は今後の議会審議に委ねられた。
すでにメディアが報道しているように、政府と連邦準備制度に助けられたウォール街の大手金融機関は、アメリカ経済が住宅市場の不振、高い失業率、低迷する経済成長から抜け出さないにも関わらず2010年後半期からは大きな営業収益をあげるとともに、それらの経営者たちは、以前にもおとらない莫大な報酬をお手盛りで手に入れている。
アメリカの状況はおよそかくのごとくであるが、この間途上国も加わったG20金融サミットなどでは、金融危機の再発を防止し、金融市場の透明性を確保するためのさまざまな議論が重ねられてきた。ドイツのメルケル政権は、ヘッジファンドの投機活動を封じ込める決め手として、金融取引税の導入をはかるなど、金融規制の強化にアメリカ以上の積極的な姿勢を見せてきた(ただし、ドイツ政府はEU内部では金融自由化の強力な推進勢力であることを忘れてはならない)。さらに、近年公表されるいくつかの資料、論文が示しているように、IMFや世界銀行など、これまでアメリカ政府とウォール街、多国籍企業の利益を露骨に代弁しつづけてきた国際機関の間でさえ、国際金融市場の安定化のためにある程度の資本取引規制を容認する傾向が明らかになりつつある。
アメリカ国民の間では、ウォール街の無責任な行動と、その結果をしりぬぐいさせられることへのいら立ちが強まり、当然のこととして、これ以上の金融自由化ではなく、ウォール街をある程度適切に監視・規制することを求める世論が高まっている。しかし、オバマ政権が自らの主導権で進めようとしているTPP交渉は、ドッド=フランク法に盛り込まれたいくつかの新たな規制を含め、今後国会でも議論になると思われる重要な金融規制、あるいは資本取引規制と真っ向から衝突する目標をめざすものである。このような政策は、それ自体支離滅裂という他ないが、対外的には多くの途上国からの批判を招き、すでに弱体化傾向にある国際経済におけるアメリカの主導力をさらに弱めるだけではなく、金融産業と国際金融市場の規制強化をもとめる国際的な動きの中でアメリカの立場をいっそうの孤立に追いやる結果になるであろう。
しかも、これまで米国がいくつかの国と取り結んできたNAFTAを始めとする貿易自由化協定あるいは二国間投資協定の多くには、締結国の政府が国民経済を優先する立場から、あるいは経済・金融危機を防止するプルーデンス政策の立場から実施するさまざまな措置が外国の投資家(機関投資家と企業)の権益や資産価値に抵触した場合、投資家は米国外の国際裁定制度(審判所)に提訴して、損失の補償あるいは損害賠償を求めることができる。事実、NAFTAの下で、そうした投資家が政府間の外交ルートを経由することなく政府に損害賠償を求める訴訟が何件か発生している。
このような、現代世界的に拡散しつつある投資家と企業の海外での権利を極端に保護する制度は、登場国をはじめとする関係国が自国経済と国民の福利・健康・環境維持などの公共的観点から投資家や企業の行動を規制することを著しく困難にする可能性がある。最近、アメリカおよび世界の257人の経済学者が連名で、クリントン国務長官、ガイトナー財務長官それに米政権の貿易政策の運営と監視を担当する通商代表部あてに提出した公開書簡では、この問題が取り上げられ、署名した257人の経済学者は、政府関係者に対し強い警告を発している。
オバマ政権は、国内経済政策と対外経済外交が手詰まりになり、政権基盤が極度に弱体化しているもとで、財界からの要望に応えられる政策分野の一つとしてTPP交渉への参加を打ち出したものと読み取れる。しかし、TPP交渉には、中国、インド、韓国など米国の貿易相手国・投資先として比重の大きな諸国が近い将来参加する見通しはないし、日本に関しても、最終的な批准が見通せる状況ではない。つまり、たとえ期待通り今年11月に予定されているAPEC首脳会議(ハワイ)で、P9の合意が成立したとしても、それはオバマ大統領がぜひとも必要とする米国経済の回復、そのための輸出増加と雇用創出にはほとんど効果が期待できないだけではなく、P9にベトナムやブルネイが加わっていることはAFL-CIOに代表される労働組合の間にも大きな懸念を引き起こしており、またニュージーランドとの間で農産物・酪農製品の取り扱いをめぐってどのような調整が可能であるのかも、いまだ明らかではない。ようするに、オバマ政権にとって、TPP交渉に深入りすることは、具体的な成果が見えないまま、国内における支持基盤にすでに生じている亀裂を大きくする、矛盾に満ちた政策といわざるを得ないのである。
(付記)上記に紹介した257人の経済学者の書簡は2011年1月31日付で、http://www.ase.tufts.edu/gdae/policy_research/CapContrislsLetter.htmlで見られる。また、オバマ政権のTPP交渉参加がはらむ深刻な矛盾については、米国の有力NGO Public Citizen のウェブサイト、とくにLori Wallach & Travis McArthur, US Participation in the Trans-Pacific Partnership(TPP) Agreement, Jan.15, 2010.が必読資料である。また、Lori WallachのインタビューUS-Initiated WTO Rules Could Undermine Regulatory Overhaul of Global Finance, Sep. 25, 2009. も合わせて参照されたい。