講演・報告資料

2007-09年世界金融危機の特徴(労働者教育協会講演) 

  私は、中央大学商学部で「銀行論」という課目を担当しながら、ここ二〇年間ほどアメリカの金融制度を研究しています。今回の金融危機は「アメリカ発」と言われていますが、一昨年夏、サブプライムローン問題として危機が表面化して以来、すでに二年以上にわたって、この問題の展開を追跡してきました。現在、危機は依然として非常に複雑な形で進行しておりますが、今日は、今回の危機を歴史的な視点からどのように特徴づければよいかという趣旨でお話しさせていただきたいと思います。
 今回の研究会のご相談を受けたときにいただいたテーマは、特に大恐慌との比較になるべく焦点を当ててほしいということでした。いろいろな勉強会などで、その趣旨の質問が出るでることが多いのでということでした。
 私の今現在の認識としては、今回の危機は、確かに一九二九年に勃発した大恐慌と比較しうる、あれ以来の大規模な世界金融恐慌と言っていいと思っています。
 その点でこれら二つの恐慌を比較することに意味はあると思いますが、今回の危機の特徴をよりよく理解するためには、いきなり二九年恐慌と今回の恐慌を比較するよりも、七〇年代から八〇年代にかけて起きた戦後資本主義の歴史的な構造変化、経済政策(ケインズ主義から新自由主義的な政策)の転換と深く関わって、今回のような形の危機が発生したという点をまず押さえることが必要です。深刻な世界恐慌ということで、今回の金融危機の歴史的特徴を十分踏まえないで29年恐慌と直接比較をしても、意味のある比較は難しいのではないかと思っています。
 今回の報告の最後のところで、この比較の問題にも立ち返りたいと思いますが、まずは、七〇年代以降の資本主義の構造変化を頭にいれて、今回の金融危機の特徴をどうつかむかという点からはじめたいと思います。

一 現時点での金融危機の様相

 話の順序として、今年(2009年)四月~五月ぐらいの時点で今回の危機の特徴を七点にまとめてみました。

① 今回の金融危機で、世界の銀行や証券会社が莫大な損失を出していることはご存じだと思いますが、その損失規模がどのくらいかというと、IMFの調査では、世界で約四兆ドル(380兆円)と見積もられています。そのうちアメリカの金融機関が二・七兆ドル、ヨーロッパの金融機関が一・二兆ドル、日本の金融機関が一五〇〇億ドル(一四兆円)となっています。
 ちなみにアメリカの金融機関を全部あわせた自己資本は、だいたい一・四兆ドルといわれています。その約二倍に達する損失が発生しているわけです。ですから、この損失が等しくすべての金融機関に規模に応じてばらまかれれば、すべての金融機関が自己資本をなくしてしまう、言い換えると、そのままではすべての銀行が破綻してしまう、それぐらいの規模の損失が発生しているということです。
 日本の金融機関は、今回の危機では比較的ダメージが少ないと政府も専門家もいっていますが、私は必ずしもそうは見ていません。というのは、日本の金融機関がどれぐらいの損失を被っているかを正確に計算する情報はないからです。たとえば農林中金をはじめ大手金融機関がいずれも巨額の損失を公表してきましたが、公表された損失が、どのような基準で計算されているのか、時価会計といわれますが、それがどのような基準で適用されているか、不良債権の評価がどうなっているのかなどがわかりません。他方では、私の大学も含めて、日本の多くの私立大学が、今回の金融危機に関連して莫大な損失をだしています。さまざまな地方自治体でも、複雑なデリバティブ取引など必要と思われない地方自治体までが、おそらくは証券会社などの勧誘にのった取引で巨額の損失を出しています。われわれは、こうした事実をただ新聞報道などで知るだけで、いずれにしても農林中金や大手保険会社などでどのくらいの損失が発生しているかは、正確には知りようがないということです。

② アメリカの金融監督機関は、〇九年四月末に大手金融機関一九社を相手に「ストレステスト」を実施しています。「ストレステスト」というのは、これからどんな状況になっていくかわからないので、考えられる最もきびしいシナリオを想定して、たとえば株価が下がるとか、失業率が上がるなどの考えられるもっとも厳しい状況を想定して、そこからどれぐらいの損失が発生するか、自己資本がどうなるかをシュミレーションするというものです。
 その結果、一九社のうち九社は自己資本がなくなることはない、残りの一〇社は合計七・四兆円の資本不足が発生するから、これを数ヶ月以内に手当てをする方針を出しなさいという結果になりました。しかし、アメリカの専門家も指摘していますが、今回の検査は、全然「ストレステスト」になっていないものでした。アメリカの失業率がこれからどうなるか、住宅価格がどうなっていくのか、すでに抱え込んでいる債権・証券を売却した場合、資金をどのくらい回収できるかなど、基本的な前提条件を大甘に見積もって、楽観的な数字を出しているわけです。その大甘な想定の上で、たとえばシティバンクでは五00億ドル以上足りないと出たのに、公表段階ではわずか五〇億ドル程度に査定したといわれています。ご存じのようにアメリカ政府は七〇〇〇億ドルの財政資金を投入して銀行を救済するということをやっているわけですが、それで全く効果がなければ国民は怒ってしまうので、国民に対して政府があれだけのことをやったおかげで危ない銀行が減りましたと説明をするための材料づくりにすぎないのではないかと私は思っています。

③ アメリカの住宅価格は、サブプライムローン危機発生以来、三五%下落しています。アメリカでは第二次世界大戦後、全米で一年間平均して住宅価格が下落するということは起きていません。ですから戦後の住宅価格の動向からして二年間で三五%も下落するということがいかに大きいショックであるかがわかります。しかも、下落がこれで底を打つと考えている専門家は少なく、最終的にはさらに二〇%下落する可能性があるとみている人もいます。
 株価についてもすでに五〇%程度下落しています。最近は政府の救済策を頼りにして銀行株を含めて金融関連株に回復傾向が見られますが、今後どうなるかは日本も含めてまったく予想がつきません。

④ 失業率は、公式発表では現在九・五%といわれています。EUがだいたい九%ぐらいです。専門家の見方では、アメリカの失業率は、〇九年中に一〇%を超えて、さらに二〇一〇年には一一%に達すると予想されています。この失業率一一%は高い数値ですが、いわゆる大恐慌の時は二五%に達していますから、その点では大恐慌時とは比較にならないといえます。しかし戦後のこれまでのどの経済危機のケースに比べても、非常に高い数値になっています。
 いままでにいろいろな経済危機と失業率の関係を調べた専門家によると、どの国でも、失業率がいったん一〇%に達すると、経済が回復に向かうのに四~六年かかるといわれています。今回の場合はアメリカ一国ではなくて世界同時不況の様相になっていますから、おそらく四~六年という過去のケースには当てはまらないで、それよりもはるかに長期化すると見られています。

⑤ さらにご存じのようにアメリカのビッグ3(クライスラー、GM、フォード)が、二つは事実上倒産、フォードも苦しい状況にあるなど、自動車産業が大幅に縮小して、関連産業などでも不況が広がり、それが金融不況にはね返っています。その波及効果をどのように予測するかは今現在ではまだ不明です。
 最近アメリカで、CITという、企業向け融資を専門にしてきた大きな銀行が破綻状態にあり、それを政府が救うかどうかが議論されていますが、そのことに現れているように、現時点では、たんに住宅金融に関わってきた金融機関だけでなく、企業向け融資をおこなってきた銀行にも信用リスクが表面化し、経営危機が広がり、企業向けローンを組み込んだ証券の下落が始まっています。この問題(第二のサブプライムローン問題)が今後表面化してきたときに、再び金融市場に混乱が起きる可能性があります。企業向けローンの場合には、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)という信用デリバティブが関係しています。これは、有名な投資家のウォーレン・バフェットが「金融の大量破壊兵器」と呼んだ危険で不透明なデリバティブで、最近放映されたNHKの番組で、最初にこのアイディアを銀行に売り込んだ女性が「私たちはモンスターをつくってしまった」と言っていました。CDSは、本来はローンがこげついた場合に債権を保証してもらう一種の金融保険で、近年、金利や為替の変動が激しくなり、金融市場が不安定化したために市場が急拡大しました。07年末で、世界で六〇兆ドルという巨大市場になりました。この巨額のCDSの中には、実際にはローンを提供していない金融機関が、つぶれそうな企業を選んで一種の架空保険として購入しているものが相当程度含まれているといわれています。また、AIGという巨大保険会社が、これを大手銀行などに大量に販売していたために、サブプライム危機で支払いがかさみ破綻に追い込まれました。今後、企業倒産の増加につれて、この問題がどのような形で表面化してくるのか、この点も不透明です。

⑥ 先ほど日本では金融機関にどのくらいの損害が発生しているかわからないといいましたが、日本を含めて各国の機関投資家と呼ばれる、人のお金を集めて運用する集団的投資スキーム(保険会社、投資信託、共済組合、農林中金など)がもっている証券はだいたい満期までもつということで、時価会計が基本的に適用されていません。したがっていくら目減りをしても損失を公表しなくていいわけですが、実際それを満期までもっていて満額返ってくるのかどうかの保障はないわけで、今後、換金のために売り出せば大損が発生するのは間違いないわけです。これを満期までもちこたえられる保障もありません。これも大きな問題です。

⑦ いまお話ししたことでもわかるように、今回の危機は、日本を含めてどのように展開するか、金融機関に今後あらたにどのような損失が発生するのか、実体経済の落ち込みがどこまで続くのかが、いま現在誰も根拠をもって予測できない。「景気が底を打った」などの予測はためにする話であって、それを裏付ける資料はなにもありません。

2 今回の金融危機の現象的特徴

 いま現在の状況はこういうことですが、それを含めて今回の危機が、金融危機としてどのような特徴をもっているかを六点にまとめてみました。

① まず、アメリカで前例のない規模の不動産、住宅バブルが発生しました。その崩壊を契機に世界的な仕組み証券(住宅ローン、自動車ローンなどを担保に組み込んで組成した新しいデリバティブ証券)市場が崩壊したことです。

② その結果、この仕組み証券ビジネスを主導して、これまで莫大な利益を上げてきたアメリカの投資銀行、ヘッジファンド、保険会社、さまざまな機関投資家に巨額の評価損が発生しました。
 ここ二〇年来の国際金融市場の特徴は、アメリカの五大投資銀行(ゴールドマンサックス、モルガンスタンレー、メリルリンチ、リーマンブラザーズ、ベアスタンズ)と、スイスのUBSやドイツのドイチェバンクバなど一握りの(十行にも満たない)大手金融機関が、世界の国際金融市場に君臨して、デリバティブ取引、仕組み証券取引、大企業のM&Aなどを牛耳っていたことです。
 私たち金融の専門家から見れば、この間、世界の金融市場全体の頂点に君臨していたのはアメリカ・ウォール街の大手投資銀行でした。そして日本の大手銀行の経営者たちも、とくに金融ビッグバン以降は、アメリカやヨーロッパの投資銀行に負けない金融機関にならないと、世界でトップクラスの銀行と見てもらえないということで世界に通用する投資銀行部門を立ち上げることを悲願としてやってきました。
 ところが、日本の大手銀行がそろって目標にしてきたアメリカの投資銀行が、三つは事実上つぶれて、ゴールドマンサックスとモルガンスタンレーもそのままではやっていけなくなり、おそらくは連邦準備制度理事会に強制されて投資銀行から銀行持ち株会社(ふつうの銀行、したがって連邦準備制度の監督下に置かれる)に転換せざるを得なくなりました。スイス最大の銀行であるUBSも事実上破綻常態に陥り、スイス政府の保護管理下に置かれています。ドイツ銀行はつぶれてはいませんが、見る影もありません。かつてドイツ銀行は、自分のほうが政府よりも上だ考えているのではないかと思われるほど圧倒的な存在感をもった銀行でした。八〇年までは世界の銀行の中で時価総額もトップクラスでしたが、無理な投資銀行化戦略で躓き、最近は三〇番ぐらいまで落ちています。
 どうしてそうなったのか。私は、まじめにアメリカの投資銀行の真似をしたことが致命傷を与えたと考えています。日本の大手銀行の経営者が金融ビッグバンの後、「自分たちもアメリカの投資銀行のように」とさかんに叫んでいたときに、私は「それはやめたほうがいい、そんなことをまじめに考えるのは自殺行為だ」と繰り返し言ってきました。日本の銀行が投資銀行化戦略に大々的に乗り出そうとした矢先に今回の金融危機が起きて、ある意味、日本の大手銀行は助かった面があります。さきほど言いましたように、ヨーロッパでまじめにそういう戦略を追求した大手銀行は、現在は、軒並みとんでもないことになっています。

③ 今回の危機のもう一つの特徴は、いままでであれば、大手銀行が相次いでつぶれるほどの金融危機が発生すると、大手銀行同士が手を合わせて、アメリカの財務省や連邦準備制度理事会などが後押しして、必要な拠出金を募って時間を稼ぎ、問題を穏やかに解決していくことができました。しかし今回はこうした手順をとることが全然できませんでした。二〇〇八年春に、財務省の呼びかけで(日本の銀行にも声がかかりましたが)、スーパーSIVというペーパーカンパニーをつくり、そこにシティバンク、バンカメリカなどがもっている不良債権や証券を移して本体のバランスシートから切り離し、時間をかけて処理していこうという計画がまとまりかけていたという報道がありました。しかし、実際には日本の銀行は最初から協力しない、ヨーロッパの銀行も協力しない、アメリカの銀行も足並みがそろわないということで、結局プランは御破算になりました。私は、その計画が失敗した時点で、アメリカの金融当局も大手銀行も、今回の危機をもはや自力でコントロールできなくなっていると見切りました。

④ その後、国際的な協調のもとで、前例のない規模の政府介入、公的資金投入、中央銀行の「流動性供給」、銀行国有化、などが波状的に実行されてきたことはすでに御存知の通りです。

⑤ そして世界金融危機と世界同時不況が相乗的な悪循環に陥っています。
2007年夏に、今回の金融危機がサブプライム問題として表面化した当時、アメリカの金融当局やIMFなどは、問題はもっぱら住宅ローンの問題で、銀行融資全体から見ればサブプライムローンの割合は数分の1に過ぎず、しかもその中で実際に返済不能になるのはさらに数分の1程度であるから、最悪のシナリオで進んでも銀行制度自体が震撼することなどありえないという立場でした。しかし、金融危機は急速に住宅バブル崩壊から世界的な金融危機として拡大し、それとともに、自動車、鉄鋼など主要産業が収縮し、失業率が世界的に上昇する世界同時不況の様相になりました。これは、自動車産業に典型的に現れていることですが、現代資本主義のもとでは、これまで経済成長を支えてきたいくつかの主要産業自体が、ある意味飽和状態、あるいは過剰蓄積の状態になっており、金融危機その他の理由で全体の市場が少し収縮しただけで、これらの産業分野の企業があいついで深刻な経営危機に陥るという非常に脆弱な状態になっていることを示しています。これらの産業は、目下のところ中国、インドなどの輸入と成長にかける外需頼みになっていますが、自国経済つまり国内市場ではもはや活路を見出すことができない状態になっています。

⑥ 最後に、国際金融システムの健全性・安全性を回復するための方策についてです。一九八二年のメキシコの金融危機や、八〇年代末のアメリカの貯蓄貸付組合(S&L)の危機、九七~九八年のアジア危機、それにつづくロシア・ラテンアメリカでの危機、二〇〇一年のITバブルの崩壊、などいずれの危機の場合にも、同じ危機を繰り返さないための金融安定化の方策が検討されました。しかし、いずれの場合も、検討するだけの話で、監督機関にも金融業会にも、最初からまじめに金融市場や監督体制を改革する意志はありませんでした。今回はさすがに危機の甚大さに恐れをなし、これまでに比べるともう少しつっこんだ議論がされていて、部分的な手直しはやられるのではないかと思います。例えば、ヘッジファンドの情報公開を進める、タックスヘイブンをもう少し透明にする、格付け会社を登録制にする、さらには、金融機関の経営者の報酬制度を改善する、などです。しかし、これらの措置はいずれも問題の核心からはずれた措置で、これで大きな改善が期待できると考え散る専門家はおそらく少ないでしょう。

3 金融制度改革・監督強化をめぐる最近の議論

① 今回の危機では、従来にくらべて今後の金融監督体制のあり方をめぐって踏み込んだ議論がされていると言いましたが、二〇〇九年に入って四つほど重要な報告書が出されています。
 1)EUの欧州委員会と閣僚会議が共同で、ヨーロッパの八人の著名な研究者に頼んで、報告をまとめています。座長の名前をとって「ドゥ・ラロシエール報告」といいます。二月に出されています。
 2)イギリスの金融監督機関である金融サービス庁が、やはり座長の名前をとって「ターナーレビュー」という報告を三月に発表しています。
 3)六月には、アメリカの財務省が非常に詳細な改革案を出しています。アメリカ政府は何度も改悪案を出していますが、今回のものが総まとめとなっています。
 4)もう一つ注目すべきものとして、国連総会議長がノーベル経済学賞を受けた、J・スティグリッツ(アメリカの経済学者)を座長にすえて作業グループをつくり、金融制度改革の問題整理と個々の問題についての改善提案についての詳細なレポートを作成させています。
 私は、これら四つの報告を読み比べてみた結果、国連でつくられたこの報告書が一番ていねいに問題点を整理して、それぞれの論点についてまじめな改革案を出しているという点で、内容的に一番優れていると思います。さらに、これはG7、G20などの一握りの国の代表が集まって作文したものではなく、国連が作成した資料だという点に重要な意味があります。私は、今後、この報告書がベースになって世界的な検討がすすむのが、本来あるべき望ましい選択だと思いますが、たぶんアメリカもイギリスもそうはしないでしょう。
 なお、日本では私の知る限り残念ながらまとまった改革提案が出ていません。いろいろ探してみましたが、笹川財団の系列といわれる東京財団で、池尾和人さんがプロジェクト・リーダーとなり「金融・経済危機と今後の規制監督体制」というレポートをつくっていますが、ほとんど言及すべき内容はありません。金融の証券化にはいろいろ問題があったけれども、いままで自分たちが言ってきた、市場型間接金融という方法による改革を慎重にやっていく必要があるという程度のものです。

② これらの報告書はいずれも金融の専門家がつくったものですから、当然のことながら金融市場でどういう問題が起きているか、その問題が金融市場のどのような不備から起きているか、その不備・欠陥を改善するためにどのような措置が必要か、金融監督機関は今後どのような点に気をつけてやっていく必要があるかなど、いずれにしても金融の話に限定して議論しているわけです。これはある意味当然です。
 しかし、私は以前から言っていることですが、今回の危機は金融市場の中に不備があって、あるいはウォール街の連中があまりにもどん欲で、見境のないことをした結果、起きたとは考えていません。もちろんこういう側面はあります。最近のNHKスペシャルなどを見ても、ウォール街の欲望に目がくらんだ金融マンが、一攫千金をねらって複雑で無意味なデリバティブ商品をつくり出し、それを投資銀行が自分でもわからないまま、世界中に売りさばいたとか、ウォール街の見境のない強欲な行動を政府・監督機関が容認してきたこと、などをしきりに強調しています。
もちろんこの人たちが並外れて強欲で、私たちとは違う価値観にもとづいて行動していることは明らかです。しかし、こうした人間の問題に過度に焦点を当てすぎると、今回の問題の根底にある現代資本主義の歴史的、構造的な問題があいまいになってしまいます。また、これらの人々の考え方と行動様式を変えることで、問題の再発を防止できると考えるなら、それはまったくの幻想です。現在のかれらの言動をみると、これだけの問題を世界中に起こしてもおよそ反省という言葉はありません。おそらく状況が変われば、自分たちの不始末のことはすぐに忘れます。おそらく三年も覚えてはいないでしょう。なかに記憶力がよくて覚えている人がいても、都合が悪ければ無視します。ですから、かれらに反省を求めても意味はありません。
 もっと根本的に問題を考えなければいけません。もちろんあそこまで人間を強欲にさせたのにはさまざまな理由があります。これはこれで点検し、手当をしなければいけませんが、それだけですむ問題ではないということを強調したいと思います。
 今回の金融危機の背景には、一九七〇年代以降、世界の資本主義が大きく構造変化を遂げてきて、その変化に伴って経済政策の方向が、ある意味百八十度転換されて、その結果、金融市場も企業の行動も、家庭の経済行動もすべてが大きく様変わりしたという歴史的事情があります。こうした、資本主義の大きな歴史的、構造変化から今回の問題は起きています。そのことを押さえて対策を考えなければ、長期的に意味のある対策、提言は出てきません。

4 金融グローバル化、金融証券化が極度にすすんだ国際金融市場で発生した、最初の世界金融恐慌

 今回の危機を考える上で、七〇年代以降の資本主義の構造変化、その上で起きた金融システムの変化をどのように整理すればよいのかという点について、私の考えを述べさせていただきます。

①資本主義の歴史的変化、金融システムの構造変化。金融の証券化。
 御存知のように、経済学にはいろいろな流派がありますが、マルクス経済学者も含めて、世界の多くの経済学者は、一九七〇年代後半期から一九八〇年代前半にかけて、アメリカを先頭に資本主義が大きく変わったという点はいわば共通認識になっています。
 いつから変わったかについては議論がありますが、多くの人たちは一九七三年、つまりブレトンウッズ体制が崩壊して、固定レート制から変動レート制に移行する、その後石油ショックが起きて、世界の資金の流れが変動していく、そしてインフレが起きて、いわゆるスタグフレーションという問題が起きた、あの時期の一連の問題を共通にとらえて、資本主義が大きく変わっていったというわけです。
 なぜあの時期に資本主義が大きく構造変化をしたのかという理由をあげると、一つは主要産業、とくに現代資本主義の成長をささえてきた自動車産業を中心とする主要産業が、ある意味で成熟段階に達して、全体として過剰生産傾向になり、投資が滞って経済全体の生産性上昇率がダウンします。七〇年代以前は戦時経済から引き継がれたいろいろな科学技術が産業に導入されて、活発な設備投資がおこなわれ、労働生産性が上昇し、その成果の一部は利潤の増加となるけども、同時に賃金も上がる。その結果、需要が拡大するというサイクルで経済成長が回っていました。ところが主要産業が成熟段階になると、企業投資が停滞します。その結果、成長率が低下する。企業は低成長のもとで利潤を上げなければいけないので、その源泉を賃金抑制、労働分配率の引き下げに主として求めるようになります。
 日本はもう少し後ですが、世界の主要国は、EUも含めて七〇年代以降、失業率が次第に上昇し、労働組合の交渉力が弱まったことで、賃金が抑制され、労働分配率が低下していきます。労働分配率というのは、労働者が全体として働いて生み出した新しい価値、言い換えれば所得の中で、労働者に配分される割合のことです。いいかえると、労働分配率が低下するというのは、労働者に対する資本の搾取率が高まるということです。
他方、企業の側は、労働分配率の引き下げによって増加した利潤を何に回すかというと、過剰生産で設備投資が停滞しているために、経営者の高額報酬、株主への配当引き上げ、自社株買い、M&Aなどの金融的な部面にまわします。その結果、経営者や富裕な個人投資家の所得が法外に増大し、全体として、経済格差が非常に拡大します。企業も個人も、有り余る資金を手にすると、それをさまざまな方法で金融的に運用しようとしますが、その主要な方法は証券や不動産への投資です。その結果、成長率はどんどん低くなるのに、企業や投資化の貨幣資本だけがどんどん積み上がって、貨幣資本の過剰蓄積進みます。たんなるお金とは違い、貨幣資本は運用して利得を生まなければなりません。従来であれば、企業や個人の貯蓄が預金の形で銀行に集まって企業に貸し付けられ、生産が拡大に向かいましたが、いまはその道がたたれています。そのために企業や個人の資金はいろいろな金融機関や機関投資家(集団投資スキーム)を介して証券市場や不動産市場に流し込まれ、その結果数年後とに証券バブルや不動産バブルを引き起こす。そのような経済構造になっています。
 そのような経済構造の中で、失業者が増えて、労働分配率が下がり、その結果、利潤が増大し、経営者も株主も儲かって、格差が拡大するのは自然で望ましいことだと理屈づけるための経済学が、産業界によって重宝されるようになりました。その結果、戦後の経済成長の指針となってきたケインズ経済学が見捨てられて、新古典派と呼ばれる経済学の潮流――シカゴ学派やマネタリズムという言い方もしますが――、と、これに依拠した新自由主義的な経済政策、要するに市場原理主義と呼ばれる規制緩和路線が、政策担当者に採用されるようになります。それがいわゆるサッチャーリズムやレーガノミックス、日本では中曽根政権の構造改革となります。
 現代資本主義を特徴付けているのは、ものづくりから遊離した金融主導の経済、証券市場中心の金融制度、金持ち優遇の減税、福祉切り捨て、格差拡大、主要産業における慢性的な過剰生産と低成長、失業と貧困の増大、などの状況です。他方、年金基金、保険会社、投資信託など、証券市場で莫大な資金を運用するさまざまな機関投資家がどんどん成長します。これらは基本的に証券市場で資金を運用しますから、金融の証券化がすすみます。いままでであれば銀行が金融システムの中心にいて、ここに家計から預金が集まって、それを企業に貸し付けるという「間接金融」の仕組みが金融の中軸でした。しかし現在はそうではなくて、機関投資家とそのような機関投資家に証券を売りさばいて金儲けをする投資銀行のつながりが金融の中心になっていきます。
 産業の実物投資と金融市場が遊離して、金融機関は企業金融よりも、もっぱらローンを証券化してそれを機関投資家に売りさばいて金儲けをする。ここで発生する手数料に金融産業が依存する。金融機関と投資家の利益が、経済成長が生み出す所得や産業利潤よりも、証券、不動産など「擬制資本」の価格上昇(バブル)に依存するようになる。そのバブルをふくらませるために政府・家計が莫大な借金を負って住宅を買ったり、金を使うという構造になっています。これが七〇年代から八〇年代にかけておきた資本主義の大きな構造的変化です。その結果、政府も家計も一部企業も莫大な借金を負って、金融市場では、金融機関のレバレッジ(自己資本に対する借り入れ資本の割合)が上昇し、経済・金融にちょっと大きなショックが生じるとたちまちみんな立ち行かなくなるという、極度に脆弱な経済金融システムがつくられました。

②BIS規制の限界。金融自由化と規制の民営化
 次に金融システムの監督体制、金融機関のリスクマネジメントなどの細かい話に移ります。
 金融が自由化されて、九〇年代以降、金融のグローバル化がどんどんすすみ、金融市場は世界的な規模になります。しかしそれをグローバルな規模できちんと監視、監督する体制はほとんど何もつくられませんでした。監督体制がないまま、市場だけがグローバル化していくというプロセスが九〇年代以降急激にすすんだわけです。
 現在では、世界共通の銀行規制として、BIS(国際決済銀行)規制と呼ばれる規制が導入されています。BISは、第一次世界大戦後、ドイツの莫大な賠償金を戦勝国が共同で管理するためにスイスのバーゼルにつくられた銀行ですが、いまでもその銀行が残っていて、そこに毎月一回、OECDに加盟している三〇カ国近くの中央銀行のトップが集まって、相談をしています。これは、金融のグローバル化が進み、国際金融にかかわる問題は、グローバルな基準で調整しないといけないという考えにもとづいています。しかし、実際には何をどう調整しているのか、外からは得体のしれない金融機関です。
 BISで、八〇年代後半に、世界の銀行の競争条件を平等にする必要があるということで、国際金融活動に参加する銀行は総資産の八%に相当する自己資本を持たないといけないという紳士協定を結ぶわけです。これは私にいわせれば、きわめて問題含みの協定で、金融危機を防止するのに効果がないだけではなく、いったん金融危機が発生すると、その危機を何倍にも増幅してしまう仕組みです。うまくいっているときにも金融機関の健全性や安全性を高めるという点から見れば、まったく逆効果としか考えられない仕組みが、BIS規制によって世界中に広められてきたという問題があります。
BIS規制の問題点はいろいろありますが、その第一は、銀行のリスク管理の眼目を自己資本比率の維持という、形式的な基準に置いたことです。銀行に限らず企業は自己資本なしに経営を続けることは許されませんが、自己資本比率さえ満たせばよいというのは狭い考え出し、自己B資本比率を充足していれば銀行は安全かといえば、経験的にそんなことはいえません。
 BIS規制では、自己資本比率の高い銀行は監督機関から優遇されるために、形式的に自己資本比率を維持することが自己目的化し、バランスシート全体の安全性や健全性がないがしろにされる傾向をうみだしました。また、資産総額を圧縮するために、ローンを証券化したり、取引をバランスシートから切り離せるデリバティブ取引に移したり、SPCなどさまざまなペーパーカンパニーをつくってリスクのある資産をそこに移すというやり方が普及する原因にもなりました。
 さらに、BIS規制のもう一つ重大な欠陥は、銀行以外の金融機関のリスク管理に適切に対応できないということです。近年では、いずれの国でも、シャドーバンキング(陰の銀行業)と呼ばれる、銀行以外の金融機関で、銀行と同じようなことをやりながら、ほとんど監督らしい監督をうけない、商工ローンや、「ヤミ金融」など広い意味のノンバンクをふくむ、さまざまな金融業が広がっています。これらはBIS規制の視野にはいっていないのです。
 資料●は、アメリカの金融セクターの資産規模を示しています。証券会社が一四兆ドル、銀行は約一四兆ドル、年金が一〇兆ドルなどとなっています。資産規模でいうと銀行部門は全体の二〇%ぐらいしかありません。あとの八〇%は金融監督機関からまともに監督されない非銀行(預金を取り扱わない)金融機関です。ですから、監督機関は、銀行だけ見ていても金融市場で何がおきているかわからないのです。

③投資銀行モデルの虚構性と脆弱性
 第三は、先ほども言いましたように、現在の金融は投資銀行と機関投資家中軸で成り立っていますが、その相関図を資料●に示しました。銀行は依然としてそれなりに重要な役割を果たしているのですが、その役割が変わってきました。銀行は企業や家計にローンを提供しています。しかし、そのローンは銀行の債権として管理されず、全部とりまとめて証券化されます。その証券は二つのチャンネルに分かれます。一つはGSE(政府系住宅金融公社)です。ここを通じて住宅ローンのうち五兆ドルが証券化されます。それから残りは投資銀行が証券化します。投資銀行はそれを証券化して、年金基金や保険会社、投資信託だけでなく、自らSIV、CDO、CLOなどのペーパーカンパニーをつくって買い取らせたり、リスクの高い証券はヘッジファンドや投資ファンドなどに売りさばきます。ヘッジファンドや投資ファンドは投資銀行から必要な資金を貸してもらったり、レポ市場(日本の現先市場に相当する短期金融市場の一種)から資金を調達しています。
 このような構造の中で、一番中心を占めているのは、かつてのような銀行と企業の関係ではなく、投資銀行と機関投資家の関係です。機関投資家の中心は年金、保険、投資信託ですが、これらがどのぐらいの規模になっているかを示しているのが資料●です。これはアメリカだけでなく世界の機関投資家がどのくらいのお金を運用しているかを示しています。まず、個人の大金持ちの金融資産をあわせると三七兆ドルで、これだけで、アメリカの国民総生産の三倍に相当します。これらの多くがなんらかの機関投資家の手を通じて運用されています。 
本来の機関投資家としては、年金基金が二八兆ドル、投資信託が二六兆ドル、保険会社が一八・八兆ドル、不動産運用が一〇兆ドル、各国の外貨準備が七・三兆ドル、政府系ファンドが三・三兆ドルなどとなっています。重複もありますが、全部をあわせると九〇兆ドルになります。こういった規模のお金をいろいろな機関投資家が毎年、八~一〇%という利回りで運用しなければ成り立たない金融の仕組みができあがっているということです。
 このことがある意味で非常に深刻な問題であると言えると思います。今後、よほどめぐまれた新しい事情(例えば数兆ドル規模の新しい市場が複数開拓される)がでてこない限り、おそらく世界の経済成長率はこれから一〇年間ぐらい、一~二%台で推移すると予想されます。世界経済が一~二%で成長している時に、世界のGDPの何倍もの額の資金が毎年八~一〇%の利回りを確保し続けるということは、常識的に考えてもあり得ないわけです。しかし、ヘッジファンドや投資ファンドはもとより、日本やアメリカの投資信託その他も、予想される経済成長率から大きくかけ離れた八~一〇%という利回りを上げて、それを投資家に還元しなければ自分たちが投資家から見放され、市場から退場させられるというビジネスモデルでやっているわけです。私たちは、今回の金融危機の背景に、このような現代資本主義の異様な構造(貨幣資本の過剰蓄積)が横たわっていることを忘れてはなりません。

5 一九三〇年代のいわゆる大恐慌との比較

 それではいよいよ、今回の危機を十九三〇年代の大恐慌と比較してどう考えたらよいかという問題に入ります。
 今回の危機を大恐慌と比較すると、共通点と違いがたくさんあります。違いからいえば、現在は通貨と金との関係が切れています。管理通貨制度という仕組みになっていて、中央銀行はいくらでも「流動性」(短期の支払い資金の意味。この用語は意味が多義的であいまいなために、報告者はなるべく使わないようにしている)を供給できるという違いがあります。大恐慌時代は古い金本位制に復帰(いわゆる金解禁政策)しようとしてかえって混乱が大きくなったという問題もあります。
 経済と金融のグローバル化がこの時期とは比較にならないぐらいすすんでいて、世界のあらゆるマーケットが一体化しているという問題もあります。
 それから、昔はなかったIMFや世界銀行などがあって、とくに途上国に対してそれなりに資金援助ができる条件も一応はあります。
 産業構造だけではなく、金融市場自体が一九七〇年代以降様変わりして、結果的に世界の金融市場全体が非常に不透明な状況になっています。中でもとくにデリバティブ市場が世界全体で六〇〇兆ドルという、とてつもない規模の取引になっています。デリバティブ市場にはいろいろありますが、金利スワッブが一番大きく五〇〇兆ドルぐらい。先ほど説明したCDSという信用デリバティブを使った一種の金融保険が六〇兆ドル。その他をあわせて六〇〇兆ドルになります。世界の主要国のGDPを全部あわせても五〇兆ドルに達しませんから、これの十何倍のデリバティブ取引がおこなわれているわけです。これらはもちろん三〇年代には見られなかった状況です。
 財政政策についても、大恐慌の頃には均衡財政、むやみに赤字を続けてはいけないという考え方がアメリカを含めて支配的でしたが、いまはそんなことはありません。今回のアメリカ政府の対応にも示されているように、日ごろは、財政改善という名目で、社会保障や教育関連の予算を削減することに腐心している政府も、金融界がいざ大変ということになれば、大手金融機関を救済するために何十兆円でも用意します。
 もうひとつ三〇年代の大恐慌の経験をいろいろな専門家が分析して、金融危機が起きたときに財政や金融政策がどのようにすればどのような効果が出るかが、少しはわかってきているという時代の違いもあります。ただし、これはあくまでも短期的な応急措置の範囲のことで、現在実施されているマクロ政策が今後長期的に物価、金利そのほかにどの様な影響を及ぼすのかは、予想できません。
最後に、世界経済の構造変化についても留意する必要があります。1980年代以降NICSやASEANなど東アジア諸国が急成長を遂げて、世界経済の牽引車の役割を果たし、さらに、近年では、産油国、インド、ラテンアメリカなどでも、かなり急速の経済発展が見られます。その意味では、世界経済には、グローバル化の流れと同時に、多極化、あるいは、地域統合の動きも進んでいます。要するに、世界経済の構造が、複雑になっています。最近一部経済学者が唱えたデカップリング論(欧米と中国、インド、ブラジルなど途上国の経済の動きが同調的ではなく、欧米経済の落ち込みを途上国の経済成長がカバーすることで、世界経済全体の深刻な後退は緩和されるという見解)は、この人たちが強調するほどではないにしても、そうした効果がまったくないとは言えないでしょう。
以上に述べたようなさまざまな違いが、これからの金融危機の展開にどのような影響を及ぼすかを、現時点で、全体として見通すことは非常に難しいと言わなければなりません。私は、先ほども述べましたが、現在の金融危機は七〇年代以降起きた資本主義の歴史的構造変化がともなったいろいろな問題が複合的に重なって、全体としては資本主義の構造的矛盾が一つの限界、臨界点に達して起きたと考えています。したがって、これらの問題を整理し、それらを丹念に解きほぐして理解することが大事だと思っています。まずこうした作業を行った後で、三〇年代との掘り下げた比較もできるだろうと思います。
 ところが今のところ、今回の危機自体が十分に分析されていないし、三〇年代の大恐慌についての研究はすでに山のようにありますが、未だにあのような大恐慌がなぜあの時期に起きたのか、そしてなぜあれほど長く続いたのかについて、納得いく形で説明している研究はありません。この問題の解明は、依然として研究者の課題になっています。
 このことをあえて指摘した上で、二つの恐慌を比較する場合の留意点を整理してみたいと思います。

① 第二次世界大戦後経験したさまざまな経済循環のなかで、今回はじめて世界の主要国が相次いで金融危機と景気後退に同時に見舞われました。その意味で今回の危機は、世界金融危機、世界同時不況に発展しました。その点で「大恐慌以来の深刻な世界危機」という見方は誤りではありません。「一〇〇年に一度」という言い方にも根拠がないわけではありません。
 現象的にみると、今回の場合には住宅バブルが崩壊して、住宅ローンを組み込んだ仕組み証券市場が崩壊するという複合バブルの崩壊ですが、大恐慌でもその勃発に先立って、不動産バブルがすすんでおり、証券バブルが崩壊した後、不動産バブルも崩壊して複合的に金融危機が起き、それが銀行を倒産させました。

② もっと大きな歴史的な意味合いとしては、三〇年代の大恐慌は、第一次世界大戦によって世界の経済・政治の構造が大きく変化するという背景、具体的にはイギリスの支配が弱まって、アメリカにパワーシフトしてゆくという歴史的過渡期を背景にして発生しました。産業はイギリスで栄えた繊維産業などではなくて、自動車、鉄鋼、鉄道などの産業がリーディングセクターになり、その自動車産業のメッカであるアメリカが、実体経済の面でも世界の頂点に立ちます。基軸通貨もかつてのポンドの地位が低下して、ドルの地位が上昇するという世界経済・政治の地殻変動がこの時期に起きるわけです。
 このように世界資本主義がそれまでのシステムに変わって、新しいアメリカ中心のシステムに方向変換しますが、大戦間はまだこのパワーシフトの過渡期で、その時期に世界恐慌は発生しました。そのため危機が起きたときに、どの国が中心になって対処するかという仕組みができあがっておらず、どの国も国内の問題への対応に精一杯で、一致した対応ができませんでした。ドルはまだ基軸通貨として完全にはポンドに変わりきっていないし、日本を含めて主要国では金本位制にもどるという動きもあり、どの国も思い切った手が打てませんでした。さらに、ロシアではすでに社会主義革命が成功しており、その「脅威」にどのように対応するかという問題でも、諸国の足並みはそろいませんでした。こうした世界の政治経済構造の流動的・過渡的局面が、大恐慌を長期化させた要因と考えることができます。
 今回の危機でも、ややそれに似た問題があります。第二次大戦後から続いたアメリカ中心の世界資本主義の構造がそのままでは存続できなくなり、EU統合がすすみ、アジアでも地域統合への動きがすすんでいます。ラテンアメリカではブラジルを中心に「新しい社会主義」をかかげて、反アメリカの姿勢を強めるなど、世界には一見グローバル化,アングロサクソン化と矛盾する、多極化の動きがすすんでいます。多極化を背景にして今後ユーロだけではなく、他にも地域通貨への動きが高まり、複数基軸通貨制になっていく可能性を秘めています。複数基軸通貨制は不安定になるのではないかといわれていますが、いずれにしてもこのまま危機が長期化していくと、現在の世界経済、世界政治が過渡期にあるという問題が、経済・金融危機それ自体の影響と絡まって、長期的に予測のできない経路に世界経済を導きいれる可能性があります。あるいは、むしろ、今回のような――世界の経済学者が予想しなった――形で大規模な経済・金融危機が発生したこと自体、現代資本主義がすでに歴史的な過渡期にあることの表れなのかも知れません。

③ 今後一〇年ぐらいは一~二%の経済成長、間違えば〇%成長が続くこともあり得ると思います。中国、インド、ロシア、産油国、ラテンアメリカの経済がどうなっていくかに関わってきますが、それらが今後もある程度の実質経済成長率を維持できれば、マイナスにはならないと思います。しかし、新しい安定的な金融システムを含めた世界経済システムができあがってくるまでには、おそらく一〇年以上かかり、その間は世界経済、金融市場全体が不安定になると思います。その後に徐々に次の新しい世界経済、金融システムができあがったときに、それぞれの国の経済がどのようになっていくかは、非常に見通しの難しい問題ですが、おそらく世界は現在以上に多様になっていくと思われます。

④ 金融危機に関連して大きな心配は、ドルの暴落という問題です。この間、アメリカは自国の経済とくに金融産業を支えるために、数兆ドルを世界にばらまいてきているわけですが、これが日本や中国、産油国などに外貨準備や政府系ファンドの形で蓄積されています。世界にばらまかれているドルは、外貨準備も含めて大半がアメリカの有価証券、アメリカの銀行預金などの形で、アメリカに環流されています。したがって、これらのドル建て金融資産を保有する諸国は、ドルが暴落すると非常に大きいリスクを負っています。
 しかし、世界の他の国がドルをもつのを嫌だといって、ドルを返してユーロや人民元に乗り換えるという動きが始まると、ドルが暴落して世界中が大混乱に陥るし、ドルをすでにもっている国が莫大な損失を被るので、それは誰も望みません。また、現在のところ、アメリカの証券市場に代って、あれだけ莫大な資金の受け皿になりうる金融市場は、世界のどこにも存在しません。ユーロは、現金通貨の流通量ではすでにドル紙幣を上回っていますが、ユーロ圏の金融市場の規模はまだ世界的な過剰資金を受け入れるまでになっていません。
 したがって、世界主要国はドルの暴落だけは食い止めるということである程度協力をしながら、時間を稼ぎ、その間に徐々にドルの基軸通貨の地位を相対化して複数基軸通貨制の方向に移行する以外に方途はないのではないかと思いますが、このような綱渡りがうまくいくかどうかは、人類が経験したことのない未知の試練と言わなければなりません。

⑤ 今回の危機から、日本も含めてそれぞれの国がどのような姿で脱却をしていくかについても、私には今のところ予想ができません。
 言えることは、あらゆる国はつねに複数の選択肢をもっているということです。これは一九二〇―三〇年代の全般的危機から、世界各国がどのように抜け出していったかを見ると、想像がつきます。ある国は福祉国家に、ある国はファシズムに、ある国はニューディールを実施し、ある国は計画経済に移行しました。イギリスのように中途半端な福祉国家になった国もある。それぞれの国が、置かれている条件、歴史的な経験、国民の考え方、政治状況などさまざまな制約のなかで、いくつかある選択肢からそれぞれ異なった道を選んできました。今回の危機から今後一〇年後に、それぞれの国がどのような体制をつくっていくかという点でも、すべての国が複数の選択肢をもっていると考えています。
 日本にとってなにが望ましい選択肢なのかといわれれば、アジアにおける地域統合の推進、中国・韓国などとの関係改善、資源の大量消費をともなわない労働集約的な新しい産業分野の開拓、新しい産業を担う若い人材の養成のための思い切った教育投資の増大、環境保護と両立する社会的インフラの整備が必要だと考えています。最近ではよく、これ以上公共投資を増やすのはバカげているといわれますが、確かにこれまでの公共投資には不合理でバカげた部面もありますが、公共投資自体が不必要になっているわけではありません。日本ではまだまだ社会的なインフラ整備のために莫大な投資を必要とする面――例えば、自動車に依存しないで快適な生活が可能な交通や地域生活圏の実現、人間の暮らしを豊かにする自然環境の再生など――があると思っています。
 それから医療や老人問題、貧困問題など社会問題の改善のための投資、年金、保険などの制度立て直しのための投資、途上国支援のための投資など、莫大な投資が必要な問題が山積しています。
 先ほど述べたように、年金、保険、投資信託などに世界では何十兆ドルものお金が集まり、それらが行き場がなくて投機的に運用されていますが、そのようなお金を全部使っても足りないくらいの必要な投資部面があるわけです。ただこのような部面はただちに八~一〇%というヘッジファンドが期待するような利回りを保障することはできません。したがってこのような部面に年金や保険会社がもっている資金を有効活用するためには、この莫大な資金を個々の投資化が好き勝手に運用するのではなく、緩やかな意味で社会が全体的に管理する公共財と考える立場にたった、新しい経済・金融の仕組みや投資スキームを構想する必要があります。
 いまの不況から立ち直るために、とりあえずは需要喚起だと言って、さらに資源を浪費するような自動車生産をふくめた物的生産を増大させて、中国などに輸出するということは短期的には効果があっても長続きはしません。
 したがって長期的には、一九七〇年以降三〇年間下がり続けてきた労働分配率を逆に引き上げ、安定的な雇用を創出し、とにかく失業率を低くする、失業者を減らすということが経済政策としては焦眉の課題になると思います。個人や企業が借金をしたり、自分でお金を貯めて涙ぐましい財テクにまわして、投資で損をしたりする必要がない社会保障制度をきちんと整備をすることが望ましい選択だと思います。
 これは、一言で言えば、福祉国家を目指すといっていいと思います。福祉国家という言葉に抵抗があれば、新しい別の言葉をつくればいいと思いますが、基本的な考え方はこれまで世界の多くの国で福祉国家と呼ばれてきたものに似ているといってよいと思います。いろいろな困難はあると思いますが、日本が見通しのある経済システムをつくっていくためには、そのような内容をもった、福祉国家的な社会のあり方をめざす以外に持続可能な経済システムは見えてこないと思っています。それには当然、政治の転換を伴います。みなさんはご存じだと思いますが、自民党が立党されたとき、彼らは「これから福祉社会をつくる」ということを党のプログラムに明記していました。実際、高度成長が始まるとそれを投げ捨て、七〇年代の石油ショックなどがおきると完全に否定され、八〇年代には逆転していくということになります。戦後、どの政党もいちおう真面目にどのように経済復興させ、世界で受け入れられる社会をつくっていくかということを考えたときには、福祉国家、福祉社会を考えました。したがって、日本でも福祉国家の実現は全く新しい課題というわけではありません。すでに、七〇年代に「福祉元年」という言葉が作られましたが、今から振り返って見ると、確かに、七〇年代は、大きな歴史的節目であり、長期的視点にたって、日本の経済構造と金融システムをどうするのか、もっときちんと考えるべき局面でした。しかし、石油ショックやスタグフレーションなどの問題への対応に追われる中で、福祉国家を築くという選択肢は忘れられてしまいました。その後、経済政策の進路がアメリカで支配的になった新自由主義的規制緩和の方向に転換され、その一〇年後にはとんでもないバブル経済を引き起こし、結果として「失われた二〇年」を経験しました。
 このように考えてみると、経済や金融の歴史には、長期的に見ると時に大きな転換期があり、その時に私たちはいくつかの選択肢をもっているわけですが、その中から、歴史的に見て見通しのある正しい選択をするということが以下に重要であるか、しみじみと思い知らされるわけです。おそらく私たちは、今回の金融危機によって、われわれ自身すでに大きな転換期に直面していることを告げられているのだと思います。私としては、私たちの社会が経済危機への短期的な対応に目を奪われて、七〇年代と同じ間違った選択を繰り返さないことを念願するほかありません。

 (付記)報告者は、福祉国家論、あるいは福祉社会論の専門家ではなく、日本における福祉国家の見通しのある構想を提示する用意はありません。また、福祉国家の実現が、資本主義それ自体の矛盾を、最終的に解決すると期待しているわけでもありません。しかし、人類がすでに共有しているさまざまな福祉国家の歴史的経験を踏まえ、いくつかの基本的原理を含む、福祉国家の実現を目指す運動が日本でも高まる過程で、資本主義の根本的な矛盾を解決する新しい展望が明らかになってくる可能性があるのではないかと考えています。

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