講演・報告資料
金融恐慌(2007-09)後の経済情勢をどう見るか
金融共闘会議(報告 2010/08/29)高田太久吉

はじめに
2007年夏に表面化した金融恐慌とそれに続く世界同時不況は、主要国政府・通貨当局の大規模な介入と銀行救済によって、現在は「小康状態」を保っている。2010年春には、ギリシャ危機(後述)が表面化して、一時世界的に株価が下落し、ポルトガル、スペインさらにはバルト諸国の債務問題とも相まって、ユーロ不安への発展が懸念されたが、これもギリシャの主要債権国が応急手当てを講じることで、2008年秋のような大きな混乱には至らないですんでいる。経済学者の間にも、国際金融システムを動揺させる危機的局面としての金融恐慌は一応過ぎ去ったという見方が広がっている。
激しい金融恐慌の再発(いわゆる二番底)への不安(これに対する警告は引き続き専門家の間から発せられているが)に変わって、今後の金融・経済の展開をめぐって、いくつかの大きな課題が浮かび上がっている。たとえば、以下のような課題である。

1. 今回の主要国の政府・金融当局の救済介入の過程で供給された莫大な「流動性」が今後世界的なインフレ、あるいは新しいバブルなどに発展する可能性はないのか。各国政府・通貨当局は、慎重なマクロ経済政策のかじ取りと、思い切った金融制度改革によって、今回の金融恐慌の原因になった大手銀行と機関投資家の無謀で反社会的な利益追求、投機活動を抑止することができるのか。

2. 直近のG20でも取り上げられ、ギリシャ問題でも焦点になった我が国を含むいくつかの国の財政危機(政府債務の急激な膨張)および、通貨当局のバランスシートの劣化、という問題に対して、今後、世界経済の新たな落ち込みを回避しながら、どう取り組んでいくのか。そもそも現代資本主義に特徴的な現象としての「財政危機」をどう考えるべきか。

3. 今回の恐慌の震源地になったアメリカ経済は、今後順調に回復過程に入ることができるのか。仮に回復過程に入るとして、恐慌前のアメリカ経済と回復後のアメリカ経済にはどのような違いがあると考えられるか。「経済の金融化」論が強調する金融主導型経済モデル、ファンド・マネージャー資本主義(ミンスキー)の構造は、21世紀にむけて持続可能な経済モデルに転換できるのか。国際金融市場におけるウォール街の覇権は弱まるのか。

4. アメリカの経常収支赤字と独、日、中国、産油国の経常収支黒字という形で積み上がってきた国際的不均衡は今後どうなるのか。黒字国の蓄積するドルが、アメリカの国債市場を介して循環する構造と、それに支えられた基軸通貨ドルの役割は、今後も基本的に変わることなく維持されるのか。今後、国際通貨制度が何らかの安定を回復できるとすれば、そのための条件はどのようなものか。

5. 近年の世界経済の成長を牽引してきた中国、インド、ラテンアメリカなどの経済成長と、これに支えられた世界貿易の拡大は、今後も継続するのか。それとも、それら諸国経済が抱える内部的矛盾、国際的不均衡、環境問題、格差拡大他から生じる政治的・社会的不安定性と制約によって、それら経済の成長が屈折し、世界経済と貿易の拡大が失速する可能性があるのか。

今後の世界経済の帰趨を考える場合に浮かび上がってくる検討課題は他にもいろいろ考えられるが、いずれにしても、以上の諸課題が重要な問題として含まれることは間違いないであろう。ただし、これらの課題はいずれも非常に複雑な問題であり、限られた報告時間の中でそれらすべての課題の要点を手際よく整理して説明する準備はできていない。本日の報告では、次の4点に絞って、現時点での報告者の見解を述べてみたい。
(1) アメリカ政府・金融当局はアメリカ経済がゆるやかではあるが回復過程にあるという立場を維持しているが、現状はどうであるのか。今後の予想される回復過程の展開は、世界経済の回復とどう関連するのか。
(2)アメリカの不良資産整理計画(TARP)その他の救済介入の実施と結びついて検討され、紆余曲折を経て立法化にこぎつけたオバマ政権の金融改革は、なにを達成したのか。また、それは、今後の金融市場と金融産業の在り方にどのような変化をもたらすと考えられるのか。ウォール街の投資銀行モデルは果たして終焉したのか。終焉したとすれば、今後の新しい銀行モデルはどのようなものなのか。
(3)過去30年にわたって現代資本主義の運動を特徴づけてきた「経済の金融化」は、今回の金融恐慌とこれを契機とする政治的・社会的変化、さらには経済思想の転換によって、新しい経済モデルを目指して方向転換するのか、それとも経済の金融化が今後も進行し、それがはらむ矛盾が、ますます深刻化することになるのか。
(4)現代経済の不安定性のもっとも根本的な原因である高失業率、不安定雇用、低賃金、労働運動の低迷、家計の債務増大、社会保障制度・医療制度・教育制度の劣化などの経済・社会問題を改善するために、どのような新しい経済政策が必要なのか。

Ⅰ アメリカ経済は回復過程にあるのか
報告者の理解では、2009年後半に始まったといわれているアメリカ経済の回復がすでに持続的な回復過程をたどっているのか否か、言い換えれば、景気循環の底である不況局面から離陸して、次の新しい好況局面に入りつつあるのか否か、を判断する基準は、次の4つである。
(1)もっとも根本的な基準は、新しい雇用が着実に創出され、失業率が明らかな低下傾向をしめしているか。さらに、失業率の持続的低下が雇用条件の安定と賃金上昇に結びついているか。
(2)アメリカ経済の中で、その波及効果を含めて需要の大きな割合を支えてきた住宅市場の動きに、基本的な変化が見られるか。言い換えると、住宅建設、住宅市場での売買、在庫水準、さらには住宅価格の回復などの指標に明らかの改善が見られるか。
(3)自動車をふくむ、実体経済をささえる産業の動き、アメリカの輸出の動向、さらに、アメリカ経済の「空洞化」につながる資本流出の動向などが、内需拡大と国内での投資拡大を促進する方向に動いているか否か。
(4)アメリカ政府と通貨当局は、今後経済が弱含みになって「下振れリスク」が顕在化したときに、必要なマクロ経済政策を実施するのに必要な政策的余地を確保できているか否か。これは、アメリカ経済が仮に回復過程にあるとして、それを国際経済の何らかの変化など「外的ショック」から隔離して維持するために必要な条件である。

 以下、上記の4点を順を追って検討する。

(1) アメリカの失業率は、2009年中に10%に達したと見られ(失業率の判定は複雑で、確定的なことは言えない)、当時の予想では、2010年中に11%に近付くのではないかと懸念されていた。しかし、おそらくは、政府・通貨当局の政策効果とドル下落による輸出増などによって、その後の上昇は回避され、現在では9.5-9.75%程度で推移していると見られる(これも過小評価との説がある)。失業者数は1460万人に達している。問題は、この失業率が依然として1980年代前半期以来の高水準であること、財政危機と新しいバブル懸念を呼び起こすほど大規模な政策介入にもかかわらず、目立った改善が見られないこと、さらに、政府の財政政策の効果が、いずれ薄れてゆくと予想され、その後は失業率が再び上昇に転じる可能性が残っていることである。
これに関連して念頭に置くべき最大の問題は、政策当局も、また政策過程に強大な影響力をもつ財界、金融界も、失業問題の改善と勤労所得向上が、経済回復の最大のカギであるという認識をかたくなに拒否していることである。議会の公聴会などでは、政府関係者はAIGを含む金融救済策の最大の目的が、企業としてのAIG自体の救済ではなく、何百万人もの保険・年金加入者の利益を守ることであると、(虚偽の)説明をしているが、失業と家計債務の問題に焦点をあてた議論を聞いたことがない。
いずれにせよ、政府が失業問題を最大の課題として位置付けて、有効な政策を実施しない限り、失業問題の自動的改善は期待できず、したがって、国内需要の回復も期待できないだろう。
(2) 住宅市場は、2010年にはいって住宅着工件数のゆるやかな増加、住宅価格の下げ止まりなどで回復が期待されたが、直近(2010夏)のデータでは、回復期待は裏付けられていない。最大の問題は、住宅市場(売買)の90%を占める中古住宅の取引が、4半期データで見て大きく落ち込んでいること、金融機関が担保流れで保有する物件を含め、住宅在庫が依然増大を続けていることである(在庫統計は過小評価されている可能性がある)。このまま住宅市場の低迷が長引けば、住宅価格が再び下落に転じる可能性も依然残っている。現在、住宅全体の7軒に1軒が返済遅延あるいは差し押さえ状態にある。
政府はファニー・メイとフレディ・マックの二つの政府系住宅金融公社を救済し、これらの機関が保有する住宅ローンおよびローン担保証券市場の崩壊が金融システム自体を崩壊させるのを食い止めたが、これは自動的に住宅市場の改善に結びつくものではない。とくに、新規住宅の着工は当分回復は望めず、住宅に関連する家具、電器など耐久消費財市場も低迷が予想される。住宅取得に対する優遇措置は4月に終了した。
(3)以上の2つの基準から明らかに予想されるように、アメリカの実体経済にはめだった改善は見られない。バーナンキFRB議長が経済回復についてきわめて慎重な見方を変えないのは当然である。FRBは保有する資産担保証券が満期になって回収した資金を封鎖せず、長期財務省証券の購入に充当して再び市場に戻している。実体経済の重要な指標である労働生産性は、労働省のデータでは今年の第二四半期に0.9%低下している。
(4)アメリカ政府と通貨当局が、大規模なマクロ政策を実施する余地は、現状では、相当程度限定されてきている。政府の財政政策の余地は、客観的にはまだ小さくないが、その拡大ははっきりとした代償(社会保障の一層の削減など)なしには議会の承認が得られないだろう。財政問題の改善と積極的経済政策を両立させる唯一合理的な方途は、政府の税収を確保するために富裕層、企業に対する課税率を大幅かつ実効的に引き上げること、とくに金融的利得・キャピタルゲイン・不動産などへの減税を転換し、税率を大幅に引き上げること、タックスヘイブンなどを利用した課税忌避のためのループホールを綿密に点検し、封鎖することなどである。
この政策は、アメリカだけの問題ではないが、アメリカではとくに必要であり、同時に、政権がそれを実施することが特に困難な政策課題である。これまでの金融危機対応をめぐる議論では、金融機関と機関投資家の投機活動の規制をめぐる議論は活発であったが(その割に実効性のある改革は先延ばしされた)、現在の課税制度の欺瞞的構造についてはほとんど議論されていないし、この議題を提起する勇気をもった議員もあまり知らない。
(注)世界有数の超富豪であるウォレン・バフェットは財政問題をめぐる議会証言のどこかで、「わたくしが払っている税率は、わたくしの秘書のそれよりも低い」と述べたと言われているが、この証言の出所をまだ報告者は確認していない。しかし、この言葉は疑いなく真実であろう。富裕者が税金を払わないのは、決してギリシャに特有の問題ではない。アメリカのある経済専門家は、不公平で馬鹿げた課税制度の修正を議論しないで財政危機を論じるのは無意味であると指摘している。
他方、金融政策が積極的な役割を果たす余地は、財政に比べると非常に限られている。すでに金利はこれ以上引き下げる余地はほとんどないし、「流動性」の追加供給は、無意味であるどころか、中長期的には大きな危険性をはらんでいる。さらに、これ以上の金融緩和政策の継続は、ドルの信認問題に触れる恐れがある。

Ⅱ オバマ政権の金融改革は何を達成したのか
これについては、報告者が『銀行労働調査時報』のために準備した文章があるので、とりあえず、それを転載し、必要な場合は、報告で補足することにする。

オバマ政権の金融改革法が、紆余曲折の後に立法化されることになった。ほとんどの重要課題で大きな後退を余儀なくされたとは言え、金融界と保守派の激しいロビー活動をしのいでともかく立法にこぎつけたことは、一応評価しておきたい。
筆者の考えでは、今回の改革案が歴史的な意味を持つためには、4つの点ではっきりとした前進を実現する必要があった。第一は、1933年銀行法が、銀行業と投資銀行業を分離したように、銀行による投機組織への出資および自己勘定取引を厳格に制限すること、第二は、大規模で多角的な金融組織の破たんを財政負担や金融システムの深刻な混乱を招かないで処理するための手立てを講じること、第三は、これまでだれも監督してこなかったOTCデリバティブ市場を取引所取引に集中することである。そして第四は、ヘッジファンドや簿外投資ビークルを含め、あらゆる金融機関の販売する金融商品を監督・規制する独立の監督機関を開設することである。
これら四つの課題は、いずれもオバマ大統領がその必要性を指摘し、なんらかの形で改革に盛り込むことを約束していたものである。
結果的にみると、第一の課題は、法案審議の後半になって、いわゆるヴォルカー・ルールが出てきて期待を持たせたが、ウォール街の激しいロビー活動に、議会の承認を優先する政権が妥協し、ドット上院銀行委員長の業界寄りの采配で、中途半端な改革に終わった。
第二の、いわゆるtoo-big-to-fail問題への対処は、確かに複雑な課題ではあったが、当初から準備不足の感が否めなかった。政権は、大規模金融機関が破たんした場合に備えて、金融界が自前の準備金を積み立てる案を打ち出した。しかし、どんな基準で準備金の必要額を算定するのか、それをどのような原則で配分するのかという肝心の点で具体性がなかった。大規模金融機関が破たんした場合の社会的費用は事前に予測することは不可能で、そもそも、too-big-to-fail問題は破たんに備えて資金を準備すれば事足りる問題ではない。そのような手に余る金融機関の成立を阻止する手立てから始めなければならない。
第三の、OTCデリバティブ取引を取引所に集中する問題に対しては、ウォール街の大手金融機関とヘッジファンド業界は、初めから強硬に反対した。OTC市場は、一握りの大手金融機関と、これらと結びついたヘッジファンド業界が支配し、ディーラー間自己勘定取引で莫大な利益を上げてきたドル箱市場だからである。結局これは、ほとんど前進が見られなかった。
第四の、新しい独立の監督機関の開設は筆者が注目していた項目であったが、これもほとんど形をなさなかった。金融取引における消費者保護のための強い権限をもった独立の監督機関を創設する必要性は、かねてよりハーバード大教授で議会監視専門委員会の議長を務めるエリザベス・ウォレンが提唱し、伝説の消費者運動家・ラルフ・ネーダーも大統領に宛てた書簡で実現を求めていた。しかし、これについても政権は、FRBを中心とする監督機関と連携したウォール街からの強い反対を押し返すことができなかった。
以上の経過は、現在のアメリカで、ウォール街の基本的利害に触れる制度改革を実現することがいかに困難であるかを如実に物語っている。ウォール街は、議会はいざとなればカネで動かせること、監督機関は自分たちと思想・利害を共有していること、自己責任の哲学を刷り込まれた世論は掠奪的金融の犠牲者に対して冷淡であること、を知り尽くしている。
ウォール街はこれまでも、自分たちの営業の自由(これには市場を独占する自由も含まれる)に加えられるいかなる制限も容認しなかっただけではなく、自分たちの利益を損なう懸念があれば、国民経済から見てどれほど重要な改革も、反故にするか骨抜きしてきた。
1990年代の初め、野放しのOTC市場が急拡大を始めた時、当時の商品先物取引委員会議長であったブルークスリー・ボーンは、この市場を規制する必要性を議会証言その他で繰り返し訴えた。しかし、彼女の訴えは、当時のルービン財務長官とグリーンスパン議長らによって握りつぶされ、OTC市場を規制することにまったく関心のない後任者が彼女にとって代わった。その後OTC市場はロンドンが提供する「抜け穴」にも助けられて爆発的に膨張し、今回の金融恐慌の最大の温床になったのは周知のとおりである。
今回の改革では、前記のエリザベス・ウォレンが、金融市場における消費者保護を担当する監督機関(Consumer Financial Products Agency)の必要性を政権と議会に訴えていた。彼女は、問題は破産した個人の救済ではなく、一般人には理解できない複雑でリスキーな金融商品をつぎつぎと作り出すことが莫大な利益をもたらす破綻した市場の改革であると強調した。
この真摯でもっともな主張に対して、連邦準備制度理事会はアメリカでは既存の消費者保護法(Truth in Lending Act 他)でさえすでに消費者に過大なコストをもたらしており、新しい監督機関を開設するための立法は無駄であると反対論を展開した。またかれらは、消費者保護の強化は、金融システムのリスク防止に役立たないとも主張している。ウォール街がこの提案を葬るために一致して強力なロビー活動を展開したことは言うまでもない。その結果が、前記のような経過となったのである。
以上のようなわけで、今回のオバマ金融改革の経過と成果を全体としてみると、政権の努力は諒としつつも、その成果は及第点に及ばないと言わざるをえない。オバマ政権は、アメリカの一般家計が、これ以上重い負債を背負い込むことなく、できれば負債を軽減しながら生活水準を維持する方途を示すことに失敗した。それはウォール街が一番望まなかった政策だからである。一般家計が債務奴隷の境遇から恒久的に救い出されることは、ウォール街にとって破滅を意味する。
われわれは、アメリカの政治を見る際、ウォール街の政治支配にもっと大きな関心を払う必要があると、改めて思い知らされたわけである。イラク戦争をウォール街の陰謀で説明するのはもちろん行き過ぎとしても、ウォール街がアメリカの外交・経済政策に及ぼす持続的で重大な影響について、われわれはもっと認識を深める必要がある。
付記 かつて2001年にITバブル崩壊でエンロンその他が破綻したことが契機となり、企業会計を透明化するための立法措置がとられた。しかし、今年の春に公表された、リーマン・ブラザーズの破綻調査報告(ニューヨーク連邦裁判所の委託で、30億円の費用と1年の期間を投じて作成された、全8部、総ページ2200ページに達する大掛かりな調査報告)は、この措置が大手金融機関の場合ほとんど何らの実効的変化をもたらさなかったことを裏付けている。トップ経営者の相変わらず莫大な報酬といい、ロビー活動に会社のカネを湯水のように使うやり方といい、ギリシャ危機でも表面化した犯罪幇助まがいのビジネスといい、これら「壁の街の懲りない面々」はまさしく煮ても焼いても食えない連中なのであろうか。かれらのつぶやきが聞こえるようだ。「アメリカ経済、それはウォール街のことだ!」

Ⅲ 経済の金融化(ウォー街の支配)は覆るのか
前述したオバマ政権の金融制度改革評価に基づけば、答えは必然的に「否」となる。
ポストケインジアン、現代マルクス経済学者、消費者運動や地域運動などさまざまな社会問題に取り組む活動組織、ごく少数の政治家と官僚、さらに、アメリカの金融市場の実態やウォール街の政治支配の状況に通じている一部識者などは、現代の政策原理と経済体制を維持することが近い将来今回の危機を上回る経済危機を引き起こす恐れがあること、ウォール街がカネで政治を牛耳る構造を根本的に改革する必要があること、金融産業と金融市場の透明性と公正性を本当に向上させる必要があること、経済の回復のために必要なのはウォール街の利益回復や繁栄ではなく、雇用増加と家計の負債軽減であること、金融制度を一握りの富裕層の利殖装置から、企業と家計の経済活動に貢献するインフラストラクチャーに改造する必要があること、年金、保険その他の社会的貯蓄プールを公的管理の下におく必要があること、等々主張してきた。
ウォール街の政治支配をあばき、その危険性を警告する研究や報道は数多くあるが、こうした「改革」のどれ一つも、現状では簡単に実現する目途はたっていないし、こうした反ウォール街と見られる主張を公然と展開する専門家はまだ少数派で、影響力は限られている。
話が飛ぶが、かつて報告者は、1980年代後半期に2年間アメリカに滞在した際、アメリカ国民がヴェトナム戦争の経験からどれほど大きな教訓を学んでいるかを知りたいと考えた。この時期、一部知識人や若者の世代には、ヴェトナム反戦運動の影響が残っていたし(70年代までの熱気はとっくに冷めていたが)、有名なジャーナリスト・ハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』も、こうした人々の間では広く読まれていたように思われた。しかし、国民全体としては、あの戦争を自分たちが後世に伝えるべき歴史的な教訓を学ぶ必要がある事件とは見ていない、というのがわたくしの判断であった。一般的にいって、アメリカ国民は自国政府が海外で展開している政策に対する関心が希薄で、政府寄りの知識人とメディアが流す解説や情報を無批判に受け入れているふしがあった。果たして、その後のネオコンの台頭と、かれらが推進した中東戦争やテロとの戦いは、アメリカ国民が高価な犠牲を無駄にしたことを証明した。
同様のことが、今回の金融危機についてもあてはまるのではないであろうか。今回の金融恐慌は、アメリカ国民が自らの国と経済の在り方を反省し、将来に向けた教訓を引き出す歴史的機会であるが、かれらがこの機会を生かすであろうという兆候はいまのろこと乏しいと言わなければならない。

Ⅳ この点については、これまでいろいろな機会に報告者の見解を開陳してきたので、当日参加者から直接問題提起を受けて議論することにしたい。報告者の判断では、その場合、少なくとも以下の重要論点が含まれるべきであろう。

(1) ヨーロッパ諸国の歴史的経験を踏まえた、現代福祉国家の構成原理と可能性について。その際、ケインズ経済学の福祉国家論的基礎の批判的検討を伴うことになる。

(2) ケインズ的マクロ経済学(とくにミンスキーとポスト・ケインジアン)の限界を批判的に乗り越えて、金融制度改革の枠組みに制約されない実体経済、産業体制を含む総合的な政治経済学と、それに依拠した新しい経済政策論の原理について。

(3)マクロ的経済政策、税制改革、雇用・賃金政策、科学・技術政策、医療政策などを個別問題としてではなく、現代資本主義の構造的矛盾から発する共通の問題として理論的に結びつけ、総合的な政策を構想する必要性について

(4)経済・金融のグローバル化と国民経済の自立性をめぐって。国際経済問題や格差問題などに取り組む一部NGOや、途上国の活動組織などでは、多国籍企業と大手金融組織、国際的投機組織などが推進するグローバリゼーションに対して厳しい批判があり、それは、反グローバリズムの方向を目指している。これに対して、人類史と経済発展論の立場からグローバル化それ自体を評価する立場がある。この見解の相違についてどう考えるべきか。

(5)長期的な経済発展と地球環境問題について。地球環境に負荷が少なく、持続可能な経済モデルを構想する必要性について。古くから経済学者や社会活動家の間には、ゼロ成長経済論や非貨幣的経済効果の評価などをめぐる議論がある。(その大きなきっかけを作ったのは、シューマッハーの『人間復興の経済学』(原題は、Small is Beautiful ))マルクス経済学は、こうした議論をどのように評価し、あるいは批判することで、新しい経済理論の領域を切り開くことができるのであろうか。

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