講演・報告資料
                        金融共闘研究会(2010/04/10)

金融審議会金融分科会基本問題懇談会報告
「今次の金融危機を踏まえた我が国金融システムの構築」について

                         高田太久吉
 1.金融監督制度改革の必要性
我が国では今回の金融危機を踏まえた金融制度・監督制度改革をめぐる議論がまだそれほど活発とは言えない状況である。これまでのところ、グローバルな危機発生の背景、金融システムと金融産業の問題、金融規制・監督体制の問題を全体として立ち入って検討し、その上で我が国独自の問題を明らかにし、中長期的な制度改革プランを提案するという作業は、ほとんど行われていない。したがって、目下アメリカ、イギリスなどで進んでいるような、金融規制・監督体制の抜本的革をめざす具体的な動きもみられない。
(注)今回の報告書に先立つ唯一の資料として、東京財団「金融・経済危機と今後の規制監督体制」があるが、アメリカのサブプライム問題の要因(規制監督の不備、証券化のもとでのエージェンシ-問題他)整理しているだけで、今後の改革については、市場型間接金融を進めるという前提でいくつかの検討項目を挙げているにとどまり、実現に向けた具体的な提言はない。
この現状は、我が国の専門家の多くが、わがくにの金融産業が、全体としては、今回の金融危機の最大の温床になった仕組み証券市場およびCDSの問題に全面的に深入りせず、金融危機の影響が比較的軽微であったという楽観論を共有していることから来ているように思われる。我が国では銀行、生保などの株式保有が大きいことから、リーマンショックによって株価が暴落した際には一時不安が広がったが、その後国際的に株価が持ち直し始めると、とりあえず銀行破たんの懸念が遠ざかり、金融危機への関心が薄れていったように思われる。
私の理解では、我が国の金融システムおよび金融規制・監督体制が抱える問題は、単に銀行・保険の株式保有問題に限定されるものではない。今回の世界的金融危機を引き起こした重要な要因は、いずれも現代資本主義に共通の構造的問題から生じており、アメリカに限定されないグローバルな性格をもっている。したがって、これらの要因に対して、我が国の金融システムが独自の免疫を備えているわけではない。それらの要因の中で、重要なものをあげると以下の通りである。
最大の問題は、現代資本主義に特徴的な資本の過剰蓄積、とりわけ過剰な貨幣資本の蓄積をめぐる問題である。この問題は、すでに我が国では1990年代初頭に深刻なバブル崩壊を経験し、その後長期の金融危機に見舞われたことに表れているように、我が国ではむしろ国際的にみても先行して深刻化した問題である。言い換えると、我が国では当時、銀行、保険など金融機関だけではなく、一部企業家計までが「過剰な貨幣資本」を抱え(カネ余り現象と呼ばれた)、産業構造の転換によって大手企業からの資金需要が低迷し、不況対策としてのゼロ金利政策や量的緩和政策と相まって、長期的に異常な低金利が継続し、これらが世界的な「過剰流動性」と、これを利用した機関投資家の「円キャリートレード」の重要な供給源になってきたのである。1980年代以降、国際金融市場に頻繁な通貨・金融危機を引き起こしている主要因は、世界的な「貨幣」資本の過剰蓄積であり、これが「過剰流動性」「異常に低い長期金利」「資産インフレ」などを引き起こしているのである。さらに、過剰な「貨幣」資本の蓄積は、投機、バブル崩壊、大量失業、実質経済成長率の低下など経済資源の国民的浪費だけではなく、経済全体を投機資本の強い影響下に組み入れ、為替相場の乱高下、石油・食品をふくむ商品相場の乱高下など、大きな経済的混乱と莫大な社会的コストを発生させる。
第二に、我が国では、金融ビッグバン以降、その必要性・妥当性について十分な検討を欠いたまま、また周到な準備もなく、いわば手当たり次第に急激な制度改革、金融自由化がすすめられてきた。今回の金融危機を契機に、アメリカでは、グラス=スティーガル法撤廃(1999)やSECによる投資銀行のレバレッジ規制緩和(2004)その他の自由化措置が今回の金融危機をもたらした要因として改めて反省されている。我が国では、近年の急激な金融自由化に対処できる金融規制・監督体制が整備されていないことは、ほとんど衆目の一致するところである。今回の金融危機でこの不備が深刻な形で表面化しなかったのは、我が国の金融機関の多くがバブル崩壊後の打撃から完全には立ち直っていなかったこと、バブル崩壊によって我が国の企業や家計が財テクなどに警戒的になっていたことなどに助けられた面が大きい。
(注)前記の東京財団の報告書には「こうした(米国監督機関の 引用者)規制監督上の無作為は、自由放任主義的な傾向のイデオロギーをもったブッシュ政権(一部は、クリントン政権)の下で、ウォール街が強力なロビーイング活動を展開することによってもあたらされたものである。結果的に、最低限の健全経営規制(プルーデンス規制 引用者)さえかけてこなかったという米国の金融規制監督体制上の欠陥が、今回の金融・経済危機の直接の原因になった」(9㌻)と記している。この報告書の作成にかかわった人々がこのように米国を批判する資格があるのかと思われるが、ここでの指摘自体は間違っていない。現在米国では、規制改革の焦点としていわゆる「ヴォルカー・ルール」が問題になっているが、ヴォルカー元FRB議長は、議会で次のように証言している。
「私は、銀行と商業の分離(グラス=スティーガル法 引用者)という、アメリカの金融規制を長期にわたって特徴づけてきた伝統的原則がもういちど強く支持されることを歓迎したい。実のところ、この原則はすでに長年にわたって法規制の欠陥と金融取引技術の変化、および銀行業の性格によって、掘り崩されてきたのである」
(注)現在アメリカ議会で議論されているヴォルカー・ルールの意義については、別紙のクロッティ/エップシュタイン/レヴィーナの論文の翻訳を参照されたい。 
第三に、一気呵成の制度改革として打ち上げられた金融ビッグバンが、広範な制度改革を実現したにも関わらず、結果的にはいまだ東京をニューヨーク、ロンドンと並ぶ国際金融市場にするという所期の目的を達成できない状況が続いている。このため、金融業界と政府は、アメリカからの強い要求もあり、2000年代に入って以降「市場型間接金融」(金融の証券化)をめざすあらたな上からのプロジェクトを推進してきた。これと関連して、国際会計基準の導入、とりわけ時価会計の導入、金融証券化をベースとするリスクマネジメントの導入(バーゼルⅡ)など、が進められてきた。しかし、金融の証券化は、さまざまな金融機関と金融市場を不透明なリスクの連鎖で結びつけ、加えて、時価会計とバーゼル規制は、金融機関の活動を極度にプロサイクリカル(変動増幅的)にするとともに、その運用基準が厳密さを欠く場合には、金融機関の財務の実態を隠ぺいする手段として利用される(たとえば、自社モデルによる資産価値評価)。
第四に、現代では、さまざまなデリバティブ取引が、金融機関のバランスシートの外で急激に膨張し、これが大手金融機関では現物取引に対してはるかに大きな規模になっている。デリバティブ取引の大半は取引所を通さない相対契約で、その実態はきわめて不透明で、金融システム全体のリスクの蓄積を誰も把握できなくなっている。さらに、金融機関の活動の多くが形式的にオフショア市場に移されることで、金融市場は極度に不透明になっている。それにもかかわらず、オフショア市場を国際的に監視し、その透明性を抜本的に高めるための国際的取り組みについては、議論はされているが、実行への道はいまだはるけしという状況である。
第五に、金融自由化と金融イノヴェーションによって、従来銀行中心の金融システムが維持されてきた我が国でも、いわゆるシャドーバンキングと呼ばれる、規制を受けないで銀行類似の活動をする金融機関(SPC、SPVなどを含む)が増大している。我が国では、シャドーバンキングセクターの拡大はアメリカに比べるとまだ遅れているように見えるが、被規制金融機関によるシャドーバンキングの利用状況については十分明らかにされておらず、今後どのような基準でこのセクターを規制・監督のもとに組み入れるのかについても、基準策定を急がなければならない。
第六に、我が国ではバブル崩壊以降の金融危機を経て、政府・監督機関の後押しのもとで金融集中が進められ、とくに大手銀行は事実上上位3行に集約され、これにトップ証券(野村)を加えた4社が、我が国金融システムの枢要を占める状況になっている。しかし、このような金融集中は、これら少数の金融機関への取引の過度の集中、金融機関の規模と業務・組織の複雑性の増大によって、あきらかにシステミックなリスクを高め、その結果として、これら少数の大規模金融機関が経営危機に陥った場合の破たん処理をきわめて難しくしている(Too-Big-To-Fail問題)。これに対して、我が国では、システミックリスクの状況とそれが発現した場合の対処についていまだほとんど検討がなされていない。
(注)市場原理主義者の批判にもかかわらず、大手金融機関の破たんに際して、政府が介入して何らかの「救済」措置を講じるのは、金融界の「常識」である。前記の議会証言で、ヴォルカーは次のように述べている。「政府は、破綻しかけた金融機関が、絡まりあった金融システムに明らかな脅威を引き起こす場合には、財政的その他の支援をしないまま手をこまねいていることはない」
その他、中・長期的視点から我が国の金融システムの在り方、とりわけ金融規制・監督体制を国内外の金融状況の変化に照らしてどのように改革・整備すべきかは、我が国でももっと活発に議論すべきである。このように考えると、我が国ではいまだ、この問題について立ち入った検討が進んでいない状況は、むしろ異常なことと言わなければならない。

2.金融審議会報告書のポイント
今回、遅きに失した感があるにせよ、金融制度審議会金融部会が報告書をまとめたことは、このような意味からも重要で、今後の議論の活発化に資することが期待される。
同報告書は、我が国の金融システムにおいては、この間に「複線型金融システム」(市場型間接金融を含む)への取り組みが進められたにも関わらず、依然として銀行部門の比重が大きいという偏った構造が大きく変わらないという事実認識をふまえ、市場部門の強化とならんで、「銀行部門の金融仲介機能のさらなる充実」を図る課題を強調している。そのうえで、銀行セクターは、従来の担保依存型金融仲介ではなく、「リスク・リターンを考慮した適切な金融仲介」によって、企業の価値創造を支援する「バリューアップ型金融」を指向すべきだと指摘している。
しかし、報告書はこのような抽象的な課題を掲げて見せるだけで、「企業の価値創造」と銀行機能との関わりの具体的中身については、ほとんど何も提示していない。もしも、ここで言われる「企業の価値創造を支援する銀行機能」が、M&A仲介を軸とする投資銀行業務を意味するのであれば、アメリカの投資銀行の経験と企業M&Aに対する掘り下げた検証を踏まえる必要があるだろう。多くの実証研究によれば、M&Aが関係企業の収益性や競争力を長期的に高めるという結論は出ていないのである。その大きな理由の一つは、M&Aが、企業側の必要性よりも、手数料収入をめざす投資銀行側の「売り込み」の結果進められることが多いためである。
報告書は、目下世界のさまざまな国やフォーラムで従来の金融規制の問題点を全面的に見直し、大規模な金融危機の再発防止にむけた議論が進んでいる状況を念頭において、我が国が取り組むべき改革の課題について一応の整理を行っている。
それによれば、金融システムの課題としては、金融システムを「よりバランスのとれた構造」にするために、従来からの「複線型金融システムの構築」(銀行システムを補完する市場型金融システムの強化)という作業を今後も継続する必要があること、その理由としては、家計部門に適切な投資機会を提供する必要、企業に成長資金を供給する必要、さらに、我が国金融・資本市場の国際的競争力を強化する必要、などが挙げられている(ただし、これらはいずれも金融ビッグバン以来指摘されてきた事項である)。
これに関連して、「複線型金融システム」の利点がいくつか列挙されているが、それらはいずれもこれまでの議論の繰り返しで、ほとんど新しい論点は含まれていない。銀行部門が大量の株式を保有している問題、収益を巨額の国債保有に依存している問題、全体として「収益性」が低く、自己資本が不十分、といった問題にも、特段の新味はない。
振り返って考えてみると、2000年代に入って以降、市場型間接金融あるいは複線型金融システムの構築を提唱してきたのも、今回の報告書に関わった人たちであった。かれらの提唱にそって、我が国の政府監督機関は、金融証券化を推進するためのさまざまな取り組みを進めてきた。こうした動きの最大の「成果」は、個人金融資産に占める投資信託の割合が若干上昇したことである。しかし、この変化は、政府・日銀・銀行業界が一体で続けている超低金利政策が人為的に作り出したもので、結果的には、投資家は金融機関が放出する株式の受け皿にされ、投資家の多くがその後莫大な損失を被る結果を招いたのである。さらに、かれらが提唱したプロジェクトは、所期の構造変化(預金から株式への貯蓄の移転)を実質的に引き起こさなかったという意味で、家計に多様な投資手段を提供することに失敗しただけではなく、ゼロ金利状況から脱却することにも失敗してきたのである。
2010年後半期以降、金融危機のパニック的状況がやや沈静化し、世界的に今後の改革にむけた議論が進んでいる状況に照らせば、報告書は、今回の危機の背景・要因について十分に時間をかけた突っ込んだ分析を加え、金融システムの健全性・安全性確保のための説得力ある指針について、英知を集めた具体的提言をなすべきであったであろう。
これについて、報告書では「第Ⅴ節 市場発の金融危機への対応」でかなりのページを割いているが、問題は、その内容にほとんど目新しいものがなく、全体的に予想の範囲を出ないものにとどまっていることである。
ただし、ひとつ注目される点は、今回の報告書では、ビッグバン以来ことあるごとに強調されてきた「グローバルスタンダード」という目標が薄められ、「我が国の金融システム及び金融業の実情に照らした対応を行う」あるいは、「画一的な規制に陥らないよう、我が国を含め国ごとに異なる実情や各金融機関の多様なビジネスごとに異なるリスクを踏まえた規制・監督の構築をめざす」必要性が強調されていることである。報告書の検討の過程では、規制再構築に向けての国際的議論は、危機の発端となった国(米国)の事情を反映したものになりがちであり、そうした規制案が危機の発端とならなかった我が国などに画一的に適用されることへの懸念が表明された、と記されている。
金融制度の改革にあたって、我が国固有の実情を考慮する必要性は当然であるが、もしも、このような指摘が、冒頭でも触れた、我が国は今回の金融危機とは基本的に無関係という認識から来ているとすれば、それはむしろ関係者の、問題のとらえ方における皮相さをあらわすものといわなければならないであろう。
ところで、報告書に盛り込まれた具体的な危機再発防止策は、以下のようなものである。

1) 金融的不均衡の過度の蓄積を防止する方策。短期収益の追及、リスクの過小評価、過大なレバレッジなどの防止
これに関連して、ヘッジファンド、デリバティブ取引の規制の見直し、証券化や格付けに関わる透明性向上、
証券化商品やトレーディング業務に重点をおいた自己資本規制強化
金融機関のリスク管理の改善
銀行の株式保有の抑制
国債保有の銀行集中を分散するための海外投資家の呼び込み、保有層の多様化
報酬体系などの我が国実情に照らした検討

2) 危機の伝播を抑制する方策
市場インフラの再構築。店頭デリバティブ取引の清算制度整備。債券市場における決済期間の短縮。国債レポ市場の改善。
危機管理の枠組み整備。危機時における外貨・流動性確保のための方策

3) 金融機関、金融市場の関連を重視したマクロ健全性の観点からの規制・監督
ミクロ・マクロ両面での情報収集・分析体制の充実
日銀・財務省との連携強化
海外監督機関・国際機関との連携強化

4)金融危機の実体経済への波及を抑制する方策
 中小企業を含めた企業金融の円滑化促進 政策金利引き下げ、など

 ただし、これらの項目は、いずれも米欧をはじめとする世界のさまざまなフォーラムですでに取り上げられた事項を選択的に列挙したものにすぎない。
さらに報告書は、おそらくは政府が前例のない規模の救済介入に追い込まれたアメリカの事態を念頭に置いて、「いわゆる金融システム上重要な金融機関への対応について」とくに紙幅を割いて検討している。
ここでは、まず、今回の金融危機で銀行部門だけではなく、非銀行部門(いわゆるシャドーバンキング)での混乱が大きな問題となったことを踏まえ、これらのセクターの健全な業務運営の確保、それらの経営危機が他の金融セクターに波及するのを抑制する方策を検討する必要性が指摘されている。これは、重要な指摘であるが、報告書では、システム上重要な金融機関の選定、連結ベースの規制監督の導入、経営困難に陥った金融機関の「秩序ある清算」手続きなどを今後検討する必要性が指摘されているだけで、今後これ以上金融集中を抑止するだけではなく、むしろ既存の巨大金融機関の自発的な分割、業務スピンオフなどを促すための方策を含めた、積極的な提案は何も含まれていない。
この点についても、アメリカではすでに、システミックな脅威をもたらす可能性のある金融機関(銀行だけではなく、投資銀行、さらには大規模金融子会社を保有する一般企業もふくめ)に対する、特別な監視体制の構築、より厳格な健全性・安全性基準の適用、秩序だった破綻処理のための手続きと体制の検討が提起されているのと比べて、大きく立ち遅れている。

3.報告書の問題点
以上のように、今回の報告書は、我が国への金融危機波及が軽微であったという認識にたって、従来すでに指摘されてきた我が国金融システムと規制監督体制の問題点を改めて整理したという内容にとどまっておいる。このために、米国などで進んでいる具体的な法制化にむけての有益な改革論についても、「危機の発端になった国での議論を同列に押しつけられるのは迷惑」という立場で、まじめに検討しようとしていない。
むしろ、本報告書の主要な目的は、私の理解では、本来の制度改革に向けての責任ある提言というよりも、今回の「米国発」金融危機で金融証券化が発展した市場型金融システムの危険性が全面的に発現したことを念頭に置いて、我が国における金融証券化、さらには一層の金融自由化への動きに対する国民の警戒・批判が高まることを恐れ、市場型間接金融構築のプロジェクトを頓挫させないための弁明を、「今後検討が必要な事項」という形で取りまとめたものにすぎないのではないかと思われる。
報告書のかかえる根本的な問題は、今回の金融危機を、実体経済の問題から切り離して単なる「金融市場・金融産業・金融規制監督体制」の内部問題としてとらえ、経済危機についても、金融危機の実体経済への「波及」としてしかとらえていないことである。このような見解は、金融専門家の間ではめずらしくないが、今回の危機を現代資本主義の構造的危機と結び付けて分析している世界の多くの経済学者(とくに、マルクス経済学、ポスト・ケインジアン、レギュラシオン学派など)の議論の水準に照らすなら、あまりにも一面的な見方である。
これらの経済学者によれば、現在重大な歴史的岐路に立っているのは、金融システムだけではなく、1970年代の大不況(IMF体制崩壊、石油ショック、スタグフレーション)を経て形成されてきた、現代資本主義のレジーム(資本蓄積様式)全体である。近年繰り返される金融バブルと金融危機は、1970年代以降形成されてきたレジーム(新自由主義イデオロギー、新古典派経済学に導かれた経済の金融化、金融主導型資本主義=資本市場中心の資本主義)が構造的矛盾を深め、もはやそのままでは継続困難になったことを示している。
したがって、金融産業と実体経済をそれぞれ悪玉と善玉に分離し、悪玉である金融産業とその監督体制の不備だけに焦点をあてて今回の危機を議論をするのは、問題のとらえ方として適切ではない。このような一面的な「検討」からは、現代資本主義がグローバルナ枠組みで直面している根本問題に目を向けることは不可能で、今後への対策としても、単に、金融産業の暴走を抑制し、金融規制・監督体制の不備を取り繕う、という課題しか提起されえない。
(注)私は別の論稿で、我が国の金融行政の歴史を振り返り、1970年代前半期に、我が国経済が高度成長期から「安定」成長期に移行し、その結果、金融だけではなく経済・産業体制を全体としてどう改革するのかという課題に直面したことを指摘した。そして、この課題との関連で、我が国は金融制度についても抜本的改革の必要性を抱えていたが、この時期、国際通貨体制の混乱、石油ショックなどへの対応に追われて、このような基本的課題と照らし合わせた制度改革を議論する機会を失したという経緯を指摘した。(拙稿「戦後我が国の金融行政と制度改革」雑誌『経済』弐〇〇五年月号所収)今回の報告書を読んでも、この時と同様の懸念を払しょくすることができない。
ところで、報告書が楽観視している、金融危機の我が国への影響についていえば、我が国の金融機関と機関投資家がアメリカで見られたような自己倒錯的暴走に陥らなかったことはおそらく事実としても、それは決して我が国の金融機関と投資家が、アメリカよりも賢明で洗練されていたからではない。この間、我が国の企業、自治体、大学などが相次いで大きな損失を被ったことが報道されてきたが、これらは、私に言わせれば、一部証券会社などによる「振り込め詐欺」にひっかかったようなものである。今後、いくつかの条件がそろえば、こうした「素人」だけではなく、大規模な機関投資家が詐欺同然の取引に引き込まれる状況がひろがる可能性は決して小さくないのである。
別紙の翻訳資料にもあるように、今日の金融機関と機関投資家のバランスシートは、さまざまな会計的・組織的仕組みによってきわめて不明朗になっており、その透明性を格段に高めて、広く国民が金融機関と機関投資家の財務状況について正確な判断ができるようにすることは喫緊の課題である。
さらに、最近のアメリカの「TARP(不良資産救済プログラム)」の執行監査委員会資料が明らかにしているように、アメリカでは、住宅ローンがらみの問題はいまのところ各種の対応策で抑え込まれているが、全国に約8,000行ある銀行のうち、3000行程度が財務問題を抱えている。その背景は、第二のサブプライム問題とも呼ぶべき、高リスクの企業向け融資が大量に不良債権化していることである。この問題が今後どのように推移するのか、また、これが大量の銀行倒産など深刻な形で表面化したときに、我が国の金融市場にどのような影響が及んでくるのか、予想は困難である。
(注)この問題について詳しくは、Congressional Oversight Panel, Commercial Real Estate Losses and the Risk to Financial Stability, February 10, 2010 を参照されたい。
さらに、もうひとつ重大な問題は、大規模金融機関の破たんとその処理をめぐる問題である。報告書は、これについて文末の数ページを割いているが、その取り扱いはおざなりで、これについても実質的には米国固有の問題として立ち入った検討を避けているようである、しかし、システミック・リスクとToo-Big-To-Fail問題については、別途、「我が国の実情に照らした」徹底的な検討が必要ではないかと思われる。なぜなら、我が国は、システミック・リスク、Too-Big-To-Fail問題とは無関係であるどころか、1990年代後半期の深刻な銀行危機に際して、ほとんど事前の準備がないままこの問題に直面し、そのために、住専救済、大手行への公的資金注入、銀行保有株式の買い取り、ペイオフ延期問題、破綻銀行の米国投資ファンドへの売却、などをめぐって大きな政治的混乱に陥り、無秩序で場当たり的な対応を重ねてきた経験があるからである。
私はかつて、アメリカの90年代初頭の混乱を踏まえて、我が国におけるこの問題の検討の必要性を指摘したが、その後も、一部の専門家による議論を別とすれば、全体として議論はほとんど進んでいない状況である。したがって本来であれば、本報告書は、かつての我が国の経験および、アメリカのヴォルカー・ルールをめぐる最近の議論も念頭において、この問題について立ち入った検討を行い、見通しのある提案をしなければならないところであった。

powered by Quick Homepage Maker 4.51
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional