講演・報告資料

全損保シンポジューム

危機と展望 そして労働組合の可能性 再編『合理化』情勢第二幕にどう向き合うか

中村  全損保シンポジウムを開催いたします。私は総合司会を務めます全損保副委員長の中村と申します。本日は、「危機と展望 そして労働組合の可能性 再編『合理化』情勢第二幕にどう向き合うか」というテーマでのパネルディスカッションになります。未曾有の金融危機の原因と背景はどこにあり、何が問題とされるべきなのか。この激動から次の時代の展望をどう見通すことができるのか。その下で生まれる損保再編「合理化」情勢第二幕に私たちはどう向き合うのか。どこに労働組合の可能性を見るべきか。一人ひとりにとっても、全損保という労働組合にとっても、今最も重要なこのテーマについて、今後にむけて、答を見いだす大きな力にしようと開催したものです。
それでは、本日のパネリストの方々を紹介致します。
高田太久吉先生です。中央大学商学部の教授として活躍をされており、昨今の金融危機の解明については第一人者として幅広い視野で研究をされていらっしゃいます。
そのお隣は、弁護士の牛久保秀樹先生です。東海闘争から日動外勤のたたかいまで、全損保には深くかかわっていただき、大変お世話になっております。ILOの活動を運動にいかそうという立場では第一人者としてご活躍されています。
そして、全損保執行委員長の吉田有秀さんです。
コーディネーターは常任中執の尾高雄一さん(賃金対策部長)と土方達也さん(合理化対策部兼福祉対策部長)です。それでは、コーディネーターのお二人、よろしくお願いします。

土方  早速、パネルディスカッションを始めたいと思います。本日のテーマは司会からお話しした通りですが、大きく2つに分け、ディスカッションをすすめていきます。第1の討論として、金融危機の背景や原因、歴史的に何が問題とされなければならないのかということ、そこに損保再編「合理化:情勢第二幕がどのように位置づけられるのかということを明らかにしたいと思います。第2の討論では、激動のなかから次の時代の展望をどう見通すことができるのか、その鍵は何が握るのか、ということを明らかにしたいと思います。2つの討論を通じて、今後、私たちが損保労働者としてどのように働き、また全損保という労働組合でどのように活動をしていけばいいのか。ご一緒に考えていければと思います。
それでは第1の討論の観点で、討論導入あるいは問題提起と言うことで高田先生の方からお話を頂きたいと思います。高田先生、よろしくお願いします。

高田  中央大学の高田です。今日は全損保労組主催のシンポジウムの報告者としてお招きいただきまして、大変良い機会を頂いたと思っております。今回、取り上げられている金融危機というテーマは、いうまでもなく我々が今直面している最大の経済問題で、私自身も大いに関心を持って、一昨年の夏以降、かれこれ2年近くこの問題をずっと追跡をしております。
私は大学で金融論を教えるようになって、すでに30年を過ぎるのですが、おそらく今直面している金融危機ほどの大問題は、私の存命中はもう起きないのではないかと思っています。そういう意味では、研究者の立場からは千載一遇の機会だと思っています。ただし、今後、起きないことを願っているのですが、現在の資本主義経済の仕組みから言えば、同じような金融危機が、3年後に起きても10年後に起きても不思議ではないという不安が一方ではあります。
いわゆる「サブプライム問題」に端を発する国際的な金融危機-最近私は金融恐慌と呼んでいます―が、どういう経過で今日のような状況に発展したのかということは、既に私もいろいろ雑誌などに書いてまいりましたし、新聞その他でいろいろな報道がなされています。金融産業に関わって生活をしているみなさんは、一般の方よりも関心が高く、すでに大方のことはわかっていらっしゃると思いますので、今回の危機の原因や経過について詳しくお話しすることは、時間の関係からも省きたいと思います。ここでは、いま現在起きている状況をどう理解するかということをポイントにお話を致します。
    
    すべての銀行の自己資本をはるかに上回る損失が発生
まず、最新の情報によって、今現在、特にアメリカの銀行、世界の銀行危機がどういう様相になっているかについて、簡単に資料によりながらお話をさせていただきます。ごくかいつまんでお話を致しますが、危機の震源地であるアメリカで、全商業銀行と証券会社を併せた金融業の自己資本総額は1兆3000億ドル、投資銀行の自己資本は1100億ドル、あわせて1兆4100億ドルです。これに対して、現在、予想される損失ですが、証券化されていないローンからの損失が1兆1000億ドル、証券化商品の評価損失が7000億ドル、あわせて1兆8000億ドルと見積もられています。これは、今問題になっている大手の5つか6つの銀行だけでなく、全ての銀行をあわせた自己資本総額を遥かに上回る損失で、約4000億ドル足りません。アメリカ議会で承認された予算枠に基づいて、銀行に注入されたものが2300億ドル。銀行に資金を出しているいろんなファンドや、外国の政府系ファンドなどから入ってきているものが2000億ドル。それで4300億ドルが注入されたので、商業銀行と投資銀行をあわせてかろうじて300億ドルの余裕があるわけです。
しかし、これは、今後追加的に予想される損失からすれば泡みたいなものですし、第一、BIS規制が義務付けている自己資本比率をまったく満たしません。今後、どのくらい損失が発生するのか。IMF(注1)は、これまで発表するごとに倍々ゲームで金融機関の損失額を大きく増やしてきましたが、1月に公表された最後の数字は米国だけで2兆2000億ドルでした。しかし、近日中(4月中)に米日欧合わせて4兆ドルという新しい見積もりが出てくると報じられています(注2)。配布した資料の図表はニューヨーク大学のスタン・スクールのグループが作成したものです。かれらは、かねてから3.6兆ドルという見通しを出していましたが、ようやくIMFの予測が彼らの予測に追いついたということです。当初、彼らがその見通しを出したときには、監督機関や金融界からは「とんでもない過大な数字だ」「全く根拠のない数字だ」と非難されたそうですが、いまは、IMFがそれを上回る数字を出してくる状況になっています。
    
    (注1)IMF(国際通貨基金) 戦後の世界経済復興のため1945年に発足。現在185ヵ国が加盟している。世界的な経済見通しや金融システムに関するリポートを発行している。債務不履行に陥りかねない国に緊急融資を行ってきたが、南米諸国やアジアの経済危機の際には、その見返りに、市場開放や金融「自由化」を押し付け、国民経済を疲弊させた。
    (注2)IMFは、4月21日、ローンや保有証券の劣化に伴う日米欧の金融機関の損失が2007年から2010年までの合計で4兆540億ドル(うち、アメリカ2兆7120億ドル、ヨーロッパ1兆1930億ドル、日本1490億ドルになるという試算を発表した。  

    大手投資銀行、商業銀行に流れているAIGの救済資金
ここ数日の新聞では、アメリカの経済に関する良いニュースと悪いニュースがやや錯綜しています。たとえば、ゴールドマンサックスは黒字を出して政府から注入された公的資金を前倒しで返すと言っています。しかし、黒字転換の実態を調べてみますと、きわめて問題のあるもので、まともな黒字とは思われません。
最大の問題は、AIGという世界最大の保険会社が破綻し、その救済のために1700億ドルという巨額の公的資金が使われましたが、その半分以上がAIGを素通りして、ゴールドマンサックス他の主要取引先銀行に流れている問題です。とくに、ゴールドマンはAIGの最大の取引先で、AIGから莫大なデリバティブ―CDSを買っていたわけですが、AIGが完全につぶれてしまうとそのまま損失が波及してくる恐れがあります。メリルリンチ他の大手金融機関も同様です。そこで、これらの大手金融機関を救済するためにアメリカ政府がAIGを救済したというのが実情であろうと思います。先のニューヨーク大学のグループによれば、AIGの救済資金のうち、ゴールドマンサックスに129億ドル、メリルリンチに68億ドル、バンク・オブ・アメリカに52億ドル、シティグループに23億ドル、ワコビアに15億ドルがまわされています。その他フランスを始めヨーロッパの金融機関にもながれています。このように、政府がAIG救済と称してばらまいた資金の多くが、AIGを利用してリスクの大きい取引をしていた欧米の投資銀行と商業銀行に流れているわけです。最近監督機関が実施した19社の大手金融機関に対するストレス・テストで、今現在資本不足に陥っている銀行はないという報告が出される予定だそうですが、この結果も、こうした公的資金の支えによって作り出されたものと考えなければなりません。
(注3)ストレス・テストというのは、金融機関に将来どの程度の損失が発生するか、その結果、自己資本がどの程度毀損されるかを見積もるために、金融機関が通常のVARモデルを使って予想する場合よりも厳しいリスクを想定して損失額を見積る検査をいう。その後5月7日にアメリカ金融当局が公表したテストの結果は、対象となった19社のうち、9社は十分な資本があると評価されたが、残りの10社は合計で7,5兆円相当の資本不足が指摘された。
    
    知らされていないAIGの実態 ポンツィー金融と言われた保険会社
AIG自体は、事情に通じた人々によれば、2000年代初めから、きわめて不透明なビジネスモデルで利益をひねり出しており、健全な保険会社ではなくポンツィー金融(注3だと指摘されていました。どういうやり方かと言うと、AIGは、本社が売った巨額の保険の多くを自分の子会社に再保険に出すわけです。これ自体問題ですが、さらに、他の保険会社に再保険を出すときには、相手の会社に、サイドレターという非公開の一札を入れて、「支払い義務が発生しても迷惑をかけないからとりあえず再保険で買ってくれ」と頼むのです。そのサイドレターというのは正式の保険契約ではなく、当局に見つかると処罰をされます。実際に露見して処罰を受け、罰金を科せられたこともあるそうです。ですから、サイドレターの多くは、文書ではなく、Eメールで交わされたと言われています。こうした不透明なやり方がいろんな事情で表に出てきて監督機関も目を光らせるようになり、そのままでは続けられなくなった。しかし、これが続けられなくなるとAIGは利益が減って格付けが下げられ、経営危機に陥ってしまう。そこで、サイドレターに変わるリスク移転(事実は隠蔽)の仕組みとして、CDS(注4)に大々的にのめり込んでいったといわれています。
すでに別の機会にお話したように、AIGが破綻した当初、メディアは、ロンドンにあるわずか400人のCDS専門の小会社が勝手に暴走して、そこで起きた問題を本社が監視、管理できなくて莫大な損失が発生し、破綻したと報道しておりました。そこで、私もそういうことなのかと思っていたのですが、もっと事情に通じた人が書いたものを読んでみるとそうではなく、AIG本体がすでに早くから、高リスクのCDSにあえて入り込まなければビジネスが続けられない状況になっていたわけです。当局にみつかると後ろに手が回ってしまうかもしれないサイドレターを使う方法が続けられなくなって、もっと巧妙なデリバティブのやり方に変えたというのが事の真相で、それを検査の厳しい本社ではなく、ロンドンの支店やヨーロッパにある銀行子会社を通じてやっていたという話で、もともとまともな企業ではなかったわけです。 
そういう企業が「大きすぎてつぶすわけに行かない」というわけで、政府から莫大な救済資金を受け取り、それを取引先金融機関が山分けし、さらに他の一部は、既存の契約だからといって、ご存知の通りたくさんの幹部職員の莫大な退職金に充てられたわけです。つまり、無責任な取引先と会社を潰した幹部たちが、経営責任を果たさないで、公的資金を山分けしているようなものです。こうした実態は、アメリカ国民もメディアを通じて正確には知らされていません。だからアメリカ国民は、政府が、大手銀行や大手保険会社がつぶれると国民経済に大変な損失をもたらすから放置できないと考えて、やむをえず救済していると信じ込まされているわけですが、実態が全面的に明らかにされれば、おそらく大変なことになるのではないかと私は思っています。
    
    (注4)ポンツィーは、1920年代のアメリカで大きなねずみ講を立ち上げ、莫大な資金を集めて破たんした歴史的詐欺師。ねずみ講とは、魅力的な利回りを約束して投資家から金を集めるが、実際には資金を運用せず、あとから参加した投資家の払い込む資金で先に参加している投資家に「配当」を支払う仕組み。
    (注5)CDS クレジット・デフォルト・スワップ クレジット・デリバティブの一種で、企業への貸付債権が倒産などで債務不履行になる信用リスクを、買い手が売り手に保証料を払って保証させるもの。一見、損害保険と似ているが、信用リスクを取引する金融投機の手段であり、売り手も買い手も、保険会社だけでなく、銀行、投資銀行の自己取引部門、ヘッジファンドなど多様である。OTC取引(証券初取引ではない相対の取引)で行われるため、だれとだれが、いつ、どのようなCDS取引をしているのか、全体像がわからないまま膨張。ピーク時には想定元本60兆ドルを超えた。

    第三の問題となりかねない「金融の大量破壊兵器」CDS
今回の金融恐慌の諸要因の中で一番分からないのは、AIGの破たんの原因となったCDS-クレジット・デフォルト・スワップという、「今まで発明された金融商品のなかで最も危険な商品」と言われているものの実態です。有名なウォーレン・バフェット(注5)が「金融の大量破壊兵器だ」と言った代物で、最近は、市場がだんだん縮小して、40兆ドルくらいの残高になっていると思いますが、それでも、そのまま放置されると、先ほど紹介したIMFの予測した4兆ドルに匹敵するぐらいの損失が、いろいろな金融機関や機関投資家に最終的に起きてくる可能性があるとみられています。既にアメリカ政府、監督機関もおおよその状況は把握していると思うのですが、今後どういう手だてが講じられるのかいまだにはっきりしていません。また、AIGのような問題が明らかにされたときに、政府が大規模な対策を新たに講じることに、アメリカ国民が納得するのかどうか。そういうことも不透明です。
アメリカ議会が、アメリカ国民の有権者の批判を恐れて、迅速に有効な手だてを講じられないということになってくると、これが第三の問題として表面化してくる恐れが未だに残っています。その場合の大きな不安要因は、住宅ローンのサブプライム・ローンと同様の危険なローンが、LBOがらみやその他の商工業向けローンの中に大量に含まれているということです。今後一般経済の不況が長期化して、この問題が深刻化すると、CDS市場が閉塞して大きな問題が発生する可能性が残っています。
   
(注5)ウォーレン・バフェット アメリカの著名な株式投資家、経営者。世界最大の持ち株会社であるバークシャー・ハサウェイの最高経営責任者で、アメリカの長者番付フォーブス400では毎年ベスト10に入り続けている。
    
今後の展開はきわめて不透明 回復過程に入ったという見方はできない
現在アメリカの政府、監督機関が実施している対策が、この問題を押さえ込めるだけの時間的な余裕があるかどうか。その辺が私には判断のしようがないし、おそらくアメリカの金融専門家も十分分かっていないのではないかと思います。そういう意味で、今後アメリカの金融問題、それが波及したヨーロッパ、また、日本をふくむ全世界で、金融恐慌と経済不況がどういう展開をたどっていくかは、依然としてきわめて不透明と言わざるを得ません。したがって金融危機が回復過程に入ったとは、私は全く考えておりません。一番好意的で楽観的な見通しで考えても、問題のピークはおそらく今年の夏以降で、これからやってくるのではないかと考えています。
今回の金融危機の震源であるアメリカの住宅価格の下落が依然として止まらず、今のレベルからさらに10%くらい下落する(2006年のピークから30%の下落)可能性があると住宅専門家は見ています。住宅問題だけではなくて、タイムラグをもって、商工業向けのローン、特にM&Aや不動産開発絡みなどのリスクの高い銀行のローンの不良債権化という問題が出てくると予想されますが、それがどの程度出てくるのか、という問題があります。また、アメリカの失業率ですが、現在8%台になっていますが、おそらく9%と10%の間には少なくともいくだろうと予想されています。それがどこまでいくかという問題もあります。アメリカの実体経済の落ち込みが、どこで底を打つのか、どのくらい長期の鍋底型で続くのか、あるいは予想よりも早くV字型で回復するのか(この可能性は低いと思いますが)か、そうした見通しが誰にもたっていないというのが正直なところだと思います。中国経済は、デカップリング論(注5)でいわれていたように、ややアメリカ経済とは別のコースをたどる可能性が出てきていますが、EU経済やロシア経済の今後も含め、国際的な状況も非常に不透明で、いろいろな要素を考慮に入れないといけないので、誰も明確なシナリオを描くことができません。
いずれにしても、回復過程が近いとか、回復過程に入っているという見方を私はしていないということを申し上げておきたいと思います。
(注)デカップリングとは、つながっていたものを切り離すという意味で、この場合は、中国、ロシアなど一部の地域や国はアメリカの金融危機や世界同時恐慌にそのまま同調せず、比較的軽微の景気後退で再び成長過程に入ると予想する見方。

    生産と消費の矛盾が過剰な貨幣資本として積み上がる経済
それでは、今後の金融の問題、あるいは人々のくらしの問題についてどう考えていけばいいのかということですが、現在起きている問題には、いろいろな原因というか、背景があります。みなさんの関心と近いところで、最も重要なファクターを上げるとすれば、それは経済格差の問題です。特に賃金がここ20年くらい、非常に抑制されて、アメリカなどでは実質賃金がマイナスになっていますが、そうした実質賃金の切り下げ、雇用の不安定、社会保障の切り捨て、などから出てくる消費の低迷、つまり生産と消費の矛盾が、現在起きている問題の根底的な原因になっているとみています。
昔でいえば、そうした生産と消費の矛盾は、過剰な設備投資が起きて、遊休設備が起きて、在庫が増えて、ものをつくっている企業が莫大な損失を被って設備を廃棄し、人減らしをするという形をとる。これが昔の恐慌なのですが、現在はそういう形をとりません。現在の経済の仕組みは、お金が企業ではなくて、金持ちと機関投資家のところに集中する仕組みになっています。また、企業や余裕資金を積極的な設備投資に振り向けないで、配当を増やしたり自社株を買い戻したりすることに費やしています。そのために、生産と消費の矛盾が、過剰な生産設備、過剰な在庫ではなくて、行き場のない、しかし、とにかく利益をあげないといけない過剰な貨幣資本という形で表面化してくるという、経済の仕組みになっています。
    
    50兆㌦以上の過剰な貨幣資本が、高リスクの投機求め、世界中を動き回っている
それでは過剰な貨幣資本とは一体どこにあるのか。どこかで遊休しているのかと言うと、そうではない。現代資本主義のもとでは、投資可能な貨幣資本は銀行やさまざまな機関投資家の手元に集中されています。ここで問題は、過剰なお金は貯蓄すればいいわけですが、過剰な「資本」は遊ばせるわけにいかないということです。資本というのは最終的な「持ち手=投資家や債権者」から「2%でまわせ」とか「6%の配当をよこせ」とかいわれますから、運用する銀行や機関投資家は遊ばせておくことはできません。とにかく無理を承知で運用しないといけません。こうして、節度のない貸し出しや、証券市場や不動産市場での無謀で反社会的な投機活動が蔓延することになります。
過剰な貨幣資本に関する統計はきわめて不備で、専門家が信頼して利用できる統計というのはないのですが、メリルリンチが毎年公表しているリポートによれば、2005年現在、1億円以上、ドルでいえば100万ドル以上の金融資産-自分が借りているのを全部差し引いたネットの金融資産-を持っている人が世界中に950万人いるそうです。そして、この人たちのお金を集めると、世界中で37.2兆ドルになるそうです。このような人達は、こんな莫大なお金を消費にまわすはずはないわけです。株や投資信託ということもあるでしょうが、かなりの部分はヘッジファンドや投資ファンドのような非常にリスクの高い、投機的な資金にまわされます。
また、そういう金持ちのお金ではなくて、年金基金であるとか、生命保険であるとか、庶民の投資信託であるとか、そうしたものもそれぞれ十数兆ドル前後、あわせると40兆ドル以上あると思いますが、最近の傾向としては、そういう年金基金や保険会社も、お金を普通に安全重視でまわしたので利益が上がらないので、その多くをヘッジファンドも含めた、オルタナティブ(代替)投資と呼ばれる、非常に高リスクで政府から一切規制を受けないような、危険で投機的な機関投資家に運用する傾向が強まっています。ソブリン・ウエルス・ファンド(注6)のような政府系ファンドも、ますます多くをヘッジファンドにまわすようになっています。
このように過剰な貨幣資本は、どこかでのんびり遊んでいるのではなく、最初は安全な投資でまわされますが、資本の過剰の程度が強まってくると、それでは利益があげられなくなり、投資家が満足しなくなってきて、ファンドマネージャーはますますリスクの高い分野に運用するようになっていく。これが歴史の示している法則です。
ですから、例えば投資信託1つとっても、最初はマネーマーケットファンド(注7)など、短期でリスクの非常に少ないもので運用する。投資家が満足しなくなってくると、国債のような安全ではあるが長期で、もうちょっと利回りのいい証券に投資されるようになる。さらに、それでも投資家が満足しなくなってくると、株式で運用するようになり、その割合がどんどん高まってくる。株式でも満足しなくなると、ヘッジファンドや投資ファンドに資金が流れていくということになるわけです。過剰な貨幣資本は、規模が大きくなり、機関投資家の競争が厳しくなって、利回りが低下してくると、次第に競争圧力にさらされて危険な分野の投資に誘導されていくというのが法則です。
日本は、まだまだアメリカのように、投資信託が個人の資産のなかで重要な役割を果たしておらず、今回のバブル崩壊が起きて、ある意味、早い段階でブレーキを踏む機会があって良かったと私は思っているのですが、アメリカとイギリスは家計を含めて非常に深くリスクの高い投資に踏み込んでいます。そのために、今回の証券バブルの崩壊で家計部門は非常に大きな打撃を被るし、それだけアメリカ経済の回復は遅れるだろうと見ています。
    
    (注6)ソブリン・ウェルス・ファンド(Sovereign Wealth Funds) いわゆる「政府系ファンド」であり、各国の政府が外貨準備などの一部を出資し、政府系投資機関が運営するファンド。
    (注7)MMF money market funds 利用者から預かった資金を国内外の公社債やコマーシャルペーパーなどの短期金融市場商品で運用する金融商品。安全性と流動性が高いと言われ、小口で販売されるため、アメリカでは預金変わりに利用されていた。リーマンブラザーズ債への投資が原因で元本割れが生じる事態となり、社会的問題となった。

    長期的な解決の方向は、根っこにある生産と消費の矛盾を解決すること
いずれにしても、一方に、銀行や機関投資家によって投機的に運用されている過剰な貨幣資本が、おそらく何十兆ドルも世界中を動き回っている。他方では、何十億人という人が失業し、あるいは不安定な雇用形態のまま低賃金で働いている。正規の雇用で働いている人たちも社会保障を削られて、自分のポストが不安定になって賃金が抑制される。これがある意味、古典的な言い方をすれば、資本と労働の矛盾、生産と消費の矛盾というものの現在的な姿だと思います。ですから、現在では、資本制生産の矛盾の爆発である恐慌とは、はっきりと過剰生産恐慌としては起きず、主として金融バブルの崩壊あるいは金融恐慌という形で起きている。その金融恐慌も、ごく最近では株式市場だけではなく、非常に複雑な仕組み証券市場、デリバティブ市場、さらには商品先物市場などのバブル崩壊という形になっています。ここに問題の根本があるとすると、それをただすための最も基本的な方向は、まずは、根っこにある生産と消費の矛盾を解決しなければいけないですから、社会保障を充実したり、それから失業者を少なくしたり、働いている人の賃金を増やして消費需要を拡大すること以外に、長期的な解決の方向はないだろうと思います。 
ところが、企業の経営者はこれとは全く逆のことをやっています。個別の経営者の観点からすれば、人減らしをしたり賃金を削ったりすることが短期的な利益の確保につながるという考えがあるのかもしれません。しかし、もしもすべての経営者がこれをやると、生産と消費の矛盾はさらに悪化し、その結果、壮大な合成の誤謬が起きてしまうわけです。つまり、経営者一人ひとりは理屈の通ったことをやっているが、全部あわせるととんでもない大間違いになってしまうという事態が、今現在起きていると思います。社会保障の切捨て、消費税引き上げなどを目指している政府は、そういう動きを是正するのではなく、むしろ促進する政策をとっていることになります。
    
    労働組合、市民社会が力を合わせて逆転する政策を迫るほか解決の方策はない
したがって、このような動きを逆転するためには、実際に金融危機と不況の負担を一番受けている労働組合の方々だとか、あるいは、いろいろな社会問題に取り組んでいるNPOやNGOの人たち、いわゆる市民社会のさまざまな組織が力を合わせてこの問題を指摘し、現在の方向を逆転するための政策を一つひとつ、政府あるいは企業経営者に迫っていく社会運動を起こす必要があります。こうする以外に、私は、現在の金融問題を、根っこから解決する方策はないと思っています。今回の金融危機に関連して、金融機関の経営者の腐敗の問題、それから反社会的投機の問題など解決しないといけない不正常な問題が山ほどあるのですが、問題の根っこには、金融だけではなく、経済の仕組み全体の大きな矛盾が横たわっているわけです。したがって、長期的にはその根本的矛盾を是正する方向に社会の進路を転換しなければ、今後も繰り返し深刻な金融危機が発生するのは避けられないだろうと思います。
いま、一般論を申し上げましたが、今回の金融危機と同時不況を目の当たりにして、世界の経済学者、あるいは国際的な労働組合連合組織などが、将来に向けていろんな提言を行っています。全部紹介することはできませんが、私が良く整理された提言のひとつと思っているのは、アメリカでラディカルな経済学者や社会学者が集まっていることで有名なマサチューセッツ大学のグループが中心になって作成した「経済の復興と金融の改革のための進歩的なプログラム」(Progressive Program For Economics Recovery & Financial Reconstruction)です。これは、今年1月に出された比較的新しい提言で、ガルブレイスやクロッティなど著名なアメリカの経済学者を含めて多くの研究者が賛同して名前を連ねており、一番まとまった、しっかりした提言だろうと思います。このなかでも、社会保障の充実であるとか、国民の教育負担を政府が大々的にやる必要があるとか、毀損した社会的なインフラを回復する公共投資をやるべきであるとか、いろいろなことがあげられていますが、それと並んで、格差の是正の問題と賃金の問題が非常に重要だと強調されています。
    
    経済の健全な復興のために、労働者の権利の回復、労働組合の交渉力の強化を
本日は、労働組合で活動しておられるみなさんの前でお話しする機会を与えられたわけですが、皆さんには、遠慮なく賃上げ、社会保障の充実、さらには、株主のための配当ではなく労働者が受け取る労働分配率の引き上げなど、いずれも労働者・国民のくらしむきを良くする対策を政府と企業が本気で講じなければ経済は立ち直らないということを経営者に対して主張していただきたいと思います。政府に対しては、金融機関の救済や株価回復ではなくて、雇用創出、賃金引上げ、社会保障充実、教育やインフラ整備など、国民生活の根っこにかかわる部分に公的資金を投入すべきだと主張していただきたい。金融危機の根本的な解決のためには、こうした政策によって、根源にある生産と消費の矛盾を改善し、そのうえで必要な金融問題に対する手当てをしていくのが正しい手順であろうと考えています。
こうした主張は、金融機関で働いている人や金融機関の立場と利害を離れて、国民経済の観点から見てもまっとうな主張ですから、ぜひみなさんも強い立場で賃上げを要求し、さらに、企業の中における労働者の権利や人権、労働組合の交渉力を高める運動に取り組むべきです。労働組合がやるべき運動は、政治的なレベルの運動と、賃金を上げろ、社会保障をやれという実質経済的なレベルの運動と二重の運動をやる必要があると思いますが、経済的な利益の回復と同時に労働者の権利の回復、そして組合の交渉力の強化という点は非常に重要です。それをみなさんが要求することが、国民経済の健全な復興につながっていくのですから。金融機関はもうかっていないのに、中小企業がたくさんつぶれているのに、金融機関で働いている人間が賃上げを要求するのは気が引ける、と考える必要は全くないわけで、そこはぜひ堂々と要求して実質的な賃上げをかちとっていただきたいと私は思っています。
時間が超過しているようですので、とりあえず皮切りの話としては一応の区切りとさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

土方  ありがとうございました。高田先生からは、金融を研究しているという立場で、最終的には金融危機がどのようなものであるのかということ、この金融危機を根本的に解決するためには労働組合を含めた市民社会の運動が重要だということについてご指摘を頂いたと思います。続きまして、金融危機から生じたひずみについて、別の視点から見ていきたいと思います。牛久保先生より、先生の研究の領域である労働者の国際基準という観点から見たら、この金融危機にどんな問題がみえてくるのか、お話を頂ければと思います。牛久保先生、よろしくお願いします。

牛久保  日本社会の全体的な問題が、改めて大きな問題になってきていると思います。
    
    日本の解雇問題を心配しているILO
 私は1年にだいたい2回、ILO-スイスのジュネーブに本部がある国際労働機関-を訪問します。今年の2月に行きましたら、大変親しくしているジョン・センダノイエさんというILOの事務局の方が、突然深刻な顔をして、「日本は労働者のセキュリティが弱いから、今起きているパートの解雇問題を大層心配している」と言いました。この方は日本のウガンダ大使館でいた人なので日本語がそこそこできるのですが、要するに非正規雇用の人たちのことを全部「パート」と言って、派遣とか期間雇用とかを全部含めて「セキュリティが弱い」ので大変心配していると言っていました。やはり、ILOは、日本のことをよく見ているなと実感したところです。彼はILOの金融専門官ですが、ずっと金融を見ている人がそのような話をしたわけです。

    国際基準からみると異常な状態 日本の社会保障、住宅政策、貧困率
私も共感しているものですから、「私なりにできる限り努力をしています」と伝えたのですが、日本に戻ってきたら3月にILOが失業手当の問題で報告書を出したということが新聞に出ました。OECD加盟の先進国30カ国で、失業手当をもらう資格があるのにもらっていない人の率がどのくらいあるか、をILOが発表したのです。ドイツでは13%、フランスでは18%、イギリスでは40%の人が貰っていないのですが、一番悪いのはアメリカと日本で、アメリカは57%と半分以上がもらっていないのですが、日本は実に77%という結果です。ですから、国際基準から見たら、本来、失業手当を貰う人について、10人中8人近くが貰っていないという異常な状態になっていることが明らかになりました。
それから、派遣村が大きな問題になり、私も心が痛み、同僚の弁護士も日比谷公園に泊まり込んでやった人もいます。そんな人から話を聞くこともあるのですが、つくづく思うのは住宅問題の貧困さです。派遣労働者のみなさんに、まだ、きちんとした住宅の手当てがされていたら、あんなひどい状態になりません。日本の住宅政策の貧困さがあのような形ででているのです。アパートみたいな寮に隔離され、派遣労働者の首を切ると同時にそこから追い出して、いる場所がないという状態にまでもっていく。その点で言うと、世界中にある社会保障の中で、生活保護の一部として住宅手当という支給制度があるのですが、日本は、この制度が全くない国だと言われています。ですから、住宅政策の貧困さが、あの派遣問題で明らかにされていると言えます。
日本は世界第二の経済大国ということで、民主主義的には遅れていますが、なんとなく物質的な豊かさがあるために生活水準はそんなに低いものではないと思われてきた面があったのですが、そうではないということが、OECDによる世界の先進国の貧困率の調査から明らかになりました。2006年という時期で、今の大不況が起きる前の調査ですが、スウェーデンでは4.6%、フランスは7.0%ですが、日本はアメリカの16.9%に続いて、下から2番目の15.3%で、スウェーデンの3倍以上、フランスから比べても2倍以上の貧困率の高い国だったわけです。子どものいる家庭の貧困率がまた大変高くて、OECD全体の平均の貧困率が4.3%のところを、日本は10.6%と、アメリカを抜いて一番高い。片親家庭の貧困率についていうと、日本は57.3%、実に6割近い家庭が国際基準からみると貧困家庭というレベルに属しているという事態です。

    地域のコミュニティーと中小企業の終身雇用体制の崩壊で矛盾が表面化
社会保障の低さや貧困率というこの国の矛盾が表面に出てこなかった経過は二つあるといわれています。一つは地域社会のコミュニティーが支えてきたということと、一つは膨大な中小企業が終身雇用体制を維持してきたということですが、今この二つが崩壊する中で、社会全体に貧困の問題が出てきたという事態になっていると思っています。
いま社会に起きている問題の一例をあげます。私は全教(全日本教職員組合)という日本の教職員組合の顧問弁護士もやっています。教育問題での貧困相談という110番をやりましたら、とにかく3台ある電話が鳴りっぱなしだったそうです。「大学に入学したら奨学金があるけれども、入学するための入学金がないという、それをどうやったら手当てできるでしょうか」という相談が来ている。「大学に入学したが、高校での授業料を払っていないために卒業証明書を高校が出してくれない。卒業証明書がないと試験に合格していても大学に入れない」という相談もある。これは、さすがに、授業料が払われていなくても、実質的に卒業していれば卒業証書を出させるというところまで運動が進んでいるのですが、それを知らないご家庭から全教の110番に入ってくるという事態になってきています。

    あるべき水準・基準を考え、日本社会の基本構造をつくりかえていく作業を
こういう日本社会の基本構造を、新自由主義の問題も含めて、つくりかえていく作業をしていかないと、日本という国の未来や将来は全くないのではないかと思います。そこからもう一度、社会投資と言われているものを、この国のなかにどうやってつくっていくのかということを、国民全体の課題にしていく必要があるのではないだろうか。私は郵政の労働組合の皆さんと、郵政の民営化問題にもとりくんでいます。その警官からいえば、例えば、郵便貯金は200兆円という、日本のメガバンクを全部合わせたくらいの貯金があるわけですが、この郵便貯金を家庭の住宅を造るための低利の融資機構として、子どもたちの教育のための本当に低利、さらには無利子の奨学金として、地域経済を生かしていく中小企業金融として、国民の財産として使っていくのかどうか。国民の郵便貯金、簡易生命の保険料でできた簡保の宿を企業にたたき売っていくような馬鹿なことに使うのではなく、そういう財産をどうやってつかっていくかということこそ、鳩山邦夫が考え、実行すべきことだと思います。
そういうとりくみの中で、私たちがもう一回、労働運動と、本来あるべき水準・基準は何かということを考えながら、ご一緒にとりくみをしていけないだろうと考えています。

土方  ありがとうございました。それではお二人の話を聞きまして、吉田委員長いかがでしょうか。

吉田  資料をみながら聞いてください。
今、金融危機そのもののメカニズムというよりも、「そこに見なければいけないこと」ということが語られました。高田先生からは、一方に富が集中し、一方に貧困層が膨大に生れ、その中で経済が成り立たなくなっていく資本と労働の矛盾、牛久保先生からは、地域経済や個々の生活が成り立たなくなる崩壊過程とでもいうべき社会的問題がこの国に生まれているということ、そして、そこを直していかなければならないというお話であったと思います。
  
    経済の矛盾、地域社会の崩壊の中でおかしくなった損保産業
では、そういう社会の中で、損保が一体どうなったのかということを見ようと思いまして作ったのが資料2ページです。損保というのも社会に役割を果たす社会的な資本ですから、おっしゃられたような社会の矛盾や崩壊の中で、損保もおかしくならざるを得ないわけです。そこのところを、牛久保先生のお話にも通底しますが、国際基準に比べてどうなっているのかという切り口で見てみました。再編「合理化」情勢第二幕でどうなるのか、ということも含めてのグラフですが、上位4社が、損保のシェアを、2006年には75%握り、2010年には9割を握るということですが、欧米諸国にはそんな国はありません。
損保は、実体経済とともにある産業ですから、その国の社会や経済の姿に合わせて、どう存在するのかということが決まっていくわけです。我々は、欧米の金融危機でめちゃくちゃになっている部分だけを見ているのですが、実は、欧米の、その国の土台のところから見ていくと、全部がそうなっているわけではないのだと思います。例えばアメリカをみると、損保は2,648社あって、上位4社のシェアは3割弱。日本と同じ島国のイギリスでは836社あって、上位4社のシェアは48%。ドイツもフランスもそのような状況ですから、上位4社で9割も市場を独占するような、日本の損保がいかにも異常な状況です。ちゃんと見ておかなければいけないのは、欧米諸国では、ずっと歴史的に根付いてきた地域経済、あるいは地域社会という姿がしっかりあって、不可分の存在として損保事業が根付いている。そこのところが大きく壊れているわけではないということだと思います。
しかし、この国では、地域経済も人々のくらしも、元々戦後から貧困だったということがあるわけですが、この10年の新自由主義の中で崩壊させてしまったわけです。だから、崩壊してしまった社会の中で、損保がどう存在するのかということが投げかけられている。損保も、10年前、15年前をみると、多少コストはかかったとしても大手は大手として、中堅は中堅として、小手は小手として、それぞれの種類や規模や、それぞれのチャネルを持って、社会の隅々に保険を提供していくというシステムが成立していました。それがこの間、地域経済や人々のくらしが崩壊していく中で、上位4社が9割も占めるという、地域経済とどう係るのかなどということとまったく無関係な方向に、進んでいくしかなかったというふうにも言えるかもしれないですが、進んできてしまったということだと思います。
    
    地域にどう保険を届けるのか、ではなく、マーケットをどう食いつぶすか
さらに、その異常さをもう一つ示します。損保のマーケットは、このところ、頭打ちで、横ばいとなる元受正味収保のシェアを奪い合う競争のなかで、大手の寡占化がすすむという方向に走っていくわけですが、募集従事者数をみると、98年には117万人しかいなかったのが、この10年間で214万人に倍増をしている。何があったかというと、銀行窓販が解禁され、郵便事業が民営化され、という「自由化」規制緩和があります。その結果、一募集従事者あたりの世帯数で言うと、いまや24世帯に一人で保険を売るという割り当てになっているわけですから、こんな産業が他にあるのかというくらいひどい状態になっているわけですね。結局、地域にどう保険を届けるのかということと無関係に、頭打ちになっているマーケットをどう食いつぶすのかということでしか、この間の損保のあり方というのが発想されてこなかったんだということが、このことを見てもわかります。
    
    持続的な経済、社会の中で損保産業も育まれるという未来を
このこと一つとっても、この異常さの中に損保の未来はないと思います。また、損保が異常な姿になっているということは、とりもなおさず実態経済の方が異常な姿になっているという証拠ですから、本当の意味で損保事業の将来は、そこに持続可能な実体経済というのが作り直されて、確立して、そこに損保が依拠をして成長していくそういう方向が出てこない限り、本当の意味で構想できないと思います。
まっとうな道にどう戻るのかということを真剣に考えるときが訪れていることが、損保の異様な姿を通じてもわかります。高田先生も牛久保先生もご指摘のように、今は次の時代をどう構想するかという局面に入っていることは間違いないわけですが、損保産業という分野で、次の時代をどう構想するかということを真剣に考えると、持続的な経済、社会をつくるなかで、損保もしっかりと育まれていくという未来が生まれていかなければならない。そのことを真剣に考えることができ、そのために運動ができるという存在はどこかなと探していくと、やっぱり労働組合というところに行き着くのだというふうに思うのです。
いま、経営統合とか増資というように、再編「合理化」情勢第二幕のなかの激変が続いていますが、その先をどうするのかということが描かれていません。本当に、そこを描き、描かせるということを考えた時に、その先まで構想できる労働組合の可能性は極めて大きいのではないかと思います。

尾高  ただ今お三方から報告を頂きました。お話を伺うと、冒頭高田先生がおっしゃった金融危機の実相からすると、よく言われるように、金融の暴走とか、新自由主義の破たんとか、そういう言葉だけでは片づけられないような気がします。牛久保先生からは、ILOの方が心配をされていると言われたことに象徴されているように、金融危機のもとで、さまざまな社会的な指標でみて、日本が大幅に立ち遅れている状況が指摘されました。吉田委員長からは、損保産業が、地域社会にどう保険を普及させていくかということと無関係となっており、その異常さをどうまっとうな道に戻していくのかをえると、その役割を果たしていくのが労働組合ではないのか、という話がありました。
高田先生、先ほど話されていらっしゃった、世界金融恐慌の大きな要因として、生産と消費の矛盾があるというお話がありましたが、そういったところも絡めながら、今の牛久保先生と吉田委員長のお話を聞かれて、どのようにお考えになるかコメントを頂けませんか。

高田  司会者からとても難しい話を振られたので、頭の中を急きょ整理しているところなのですが…。
    
    付加価値を、配当ではなく、有益な企業活動に使うという視点が重要
牛久保先生の話に関連していえば、OECDがつくった「世界の不平等は拡大をしている」という最新の世界的な調査があり、この中に先ほど牛久保先生が指摘された、日本の貧困家計の割合が非常に高いというデータが出てきます。その中に、私の話のなかで出した労働分配率のデータも出ていまして、OECDの中の15カ国くらいの労働分配率について、1976年から2006年の動きがあるのですが、もともと日本は、資本主義国としてはやや特殊で、例えば1976年ころだと平均労働分配率が70%を超えている。こんな国は世界にはなかったわけですね。ある意味、労使協調というか、フォーディズム(注8)が一番残っていた資本主義だったと思うのですが、80年代に入って、急激に労働分配率が低下して、今やこの統計でみると60%です。だから、76年以降、十数%落ちています。もう、ほかの国と遜色なくなっていますが、他の国も押し並べて例外なく労働分配率がこの20年間、30年間でどんどん低下しているわけですね。
企業は、労働者が働いて生み出した付加価値の多くを賃金として分配しないで、それを利益の形で取り上げて、長期的な視点から設備投資、研究開発、あるいは社会的投資などに回せばまだいいのですが、その多くを配当に回しています。さらに、余った金は株価を引き上げるための自社株買いに回していく。そういうふうに、非常に歪んだ、不健全な形で企業の付加価値が分配されたり利用されたりする傾向が世界的に強まっているわけです。そういうことが、先ほど申し上げた生産と消費の矛盾、つまり資本制生産の矛盾を強めていく。
したがってどんな職場で働いている人も、金融にかかわらず、もっと声を大きくして組合を強くし、賃上げをかちとっていくことが必要です。企業は労働者が生み出した付加価値を、株主のためではなく、働いている人のために、社会に有益な企業活動を長期的に展開していくために大事に使うという視点がまずは重要だということです。
    
    (注8)フォーディズム アメリカの自動車会社フォードが採用した、ベルトコンベアーで生産を行い、(T型フォード車が変えるような)賃金を労働者に支払い、高度成長をはかっていく大量生産・大量消費の生産システム

超巨大な金融機関が損失をまき散らし、国民に尻拭いさせている
もう一つ、金融の問題について、損保独自の問題について私は不勉強ですが、吉田さんは、4社が多くのシェアを持って、一種の寡占体制ができていて、これが問題だと指摘されました。アメリカでも、1980年代以降、金融の寡占化、合併がどんどん進み、業務が多様化して、超巨大な金融機関ができあがりました。このような巨大で複雑な金融機関が、経済に貢献するどころか、国民にとってどれほど危険な存在であるかということが、今回の金融危機で、本当に嫌というほど明らかになったわけです。
アメリカの金融部門全体で2兆7000億ドル位の損失が出るという話ですが、そのうちの大半は、わずか5つか6つの巨大金融機関で発生するわけです。投資銀行で言えばわずか5社の投資銀行のうち3社がつぶれて、残りの2社もそのままでは経営を維持できなくなった。商業銀行についても、シティグループ、バンク・オブ・アメリカなどいずれも莫大な公的資金の投入なしには経営をつづけられない状態です。
これらの金融機関は、これまで「時価会計、時価会計」と言ってきたのに、まともに時価会計で資産を査定したら、どれもみんな自己資本がなくなってしまう状況になっています。だから、倒産率からいえば大手巨大金融機関はほとんど100%です。歴史的に見ても、大手銀行は、地方銀行に比べて倒産確率が圧倒的に高いわけです。ところが、いったん倒産した時には、自分たちで処理できない莫大な損失を発生させて、その結果、政府あるいは中央銀行が負担し、最終的には国民の負担によって尻拭いをせざるを得ないという状況になるわけです。

大規模化、多角化で収益性が高まるということは全く根拠がない
したがって、金融機関が合併・再編などで大規模化するのを野放しにするのは、国民にとって非常に危険な政策で、新自由主義の一種のジレンマだと思います。私は、日本でも明らかにそうだと思うのですが、シティグループやJ.P.モルガンなどに代表される大規模な金融機関、GMなど巨大企業もそうだと思うのですが、ああいう超巨大な多国籍化した大企業は、どんな有能な経営者でも、人間が長期間にわたって合理的、理性的に、健全な経営ができる組織ではなくなっていると考えた方がいいと、以前から思っています。金融機関、損保でもおそらくそうだと思いますが、合併をして規模を大きくして、多角化を進めれば、経営効率、競争力が高まって、収益性が高まるというのは、経験的に全く根拠がない神話なのです。
こんなことは不勉強な経営学者や経済学者が言っているのであって、金融再編や金融合併の歴史をきちんと学問的に分析した研究は、ほとんどすべて、別の結論を出しています。まともな実証的な研究では、企業が合併して大きくなり、金融機関が合併して大きくなれば、収益性や競争力が高まって、労働者の賃金も高くなると証明した研究を私はまだ知りません。研究者にもいろいろな立場の人がいますから、合併した方がいいという結論が出るような意図的な研究もあることはありますが、そういうものを含めても「合併した方がいい」「大きくなった方がいい」と結論付けている研究は、金融再編に関する限り、全く少数です。
アメリカの金融の実情に通じた人は、合併して収益性や効率性が高まるのはせいぜい中規模までであって、それを超えたメガバンクが合併してさらに効率性や収益性が高まるという結論は実証的には出てこないと断言していいと思います。にもかかわらずすでに巨大な銀行がさらに合併して大きくなっていくのを野放しにして、挙句の果てに今のような問題が起きてくるのですが、これは我々がきちんと考え直さければいけない問題だと思います。
    
    大規模化ではなく、地域や個人に目を向け、人々の暮らしを支える金融に
あと一つだけ追加しますと、金融の分野で働いている人には申し訳ないですが、多分、日本を含めて金融産業は肥大化しすぎており、否が応でも、今後、中長期的にはやや縮小していかざるを得ないだろうと思います。働いている人間の数が縮小するかはわかりませんが、資本の規模とか、あげられる利益とか、社会全体としての付加価値にどれだけ与れるかという点からは、金融産業は縮小していかざるを得ないでしょう。
中長期的には、金融機関は、もっと、ものづくりと市民の生活を良くするということにまじめに関心を払わない限り、将来はないと思います。ここ20年間ほどは、世界的に経済の金融化が進んで、実体経済からかい離する形で金融市場が肥大化し、金融機関の利益が増えてきました。これに伴って、金融産業で働く人がどんどん増えていくという傾向をたどってきたのですが、このような傾向はもうこれ以上持続できないことがはっきりしたわけです。
もう一度、金融機関は否が応でも、その付加価値の源泉であるものづくりという面に目を向けていかざるを得ないでしょう。企業だけでなく、健全な住宅ローンあるいは教育ローンを含めた、人々のくらしを支える分野の金融に、どうやってきちんとしたサービスを提供していくかということを考えていかざるを得ない。
そういう意味でも、金融機関はこれ以上大規模化するのではなくて、むしろ、付き合っている企業や地域、あるいは、営業地域の企業や個人の生活に目をむけ、地域の企業や個人との長期的取引を通じてきちんとした情報が引き出せるような規模の金融機関にとどまりながら、サービスの質を良くしていき、経営効率を高めていくということが求められていると思っています。

尾高  ありがとうございます。いま、冒頭の高田先生の金融危機の背景、原因ということから派生しながら、もたらされている国民・労働者への被害や、損保産業のあり方、あるいはこれから金融全体が目指すべき方向性というところまでお話が進んでいるかと思います。ここからは、今までの討論を踏まえつつ、この激動の中から、次の時代の展望をどう見通すことができるのかということ、その鍵は何が握り、労働者、労働組合にはどんな可能性があるのか。すでに大分お話が深められている部分もあるかと思いますが、第2討論ということで、先ほどの牛久保先生のお話も受けるということになると思いますが、牛久保先生の方からお話を頂きたいと思います。

牛久保  第一次世界大戦後、二度と世界大戦を起こさないようにしようということで国際連盟ができ、その時にILOもできました。ILOは二度と世界大戦を起こさせないために、全世界に公正な労働条件をつくらせる必要があると活動し、ノーベル平和賞をもらうのです。ですから、公正な労働条件と平和という問題は密接につながっています。
    
    批准せずとも国際基準に強制力 新たな段階に入るILO
ILOはそういう意味で国際労働法をつくろうというとりくみをしてきまして、ILOがつくった国際労働法を全部合わせると、普通の六法全書よりも厚い。ILO条約はいま188がすでにできあがっており、188あるILO条約は日本も参加して総会で決議したものですから、日本政府は当然批准をしなければならない義務があります。しかし、日本政府が批准している条約は48しかないのですね。25%しか批准せず、75%も無視をしているという国になっています。ですから75%という広大な空白があります。
この状況を何とかしなければならないということで、21世紀にはいってILOは二つのとりくみをするのですが、日本のような国で、批准をしていなくてもILOに加盟をしているだけで守る義務があるということをはっきりさせようということを決めるのですね。188全部というわけにはいかないので、平等にかかわる条約、児童労働禁止の条約、強制労働禁止の条約、労働組合の団結の自由を守る条約の4つについては、ILOに加盟しているだけで強制力を持つという決議をしている。批准をしていなくても国際的な基準に強制力を持たせようという段階に、ILOは、21世紀になって踏み込もうとするということです。
この問題について大変びっくりしたのは、野村証券の女性差別事件が解決をしたとき、スウェーデンの投資適格判定会社が野村証券を批判したことが解決に結びついたものですから、報告に行き、意見交換をした際のことです。その会社は、不公正な企業は投資不適格だと判断して世界に情報を流すのです。例えば汚職企業、その国の政府をお金で買い取るような企業は投資適格とはいえない。地雷などの戦争兵器を作る企業も投資適格と見ることができない。もうひとつは、ILOの条約をきちんと守らない企業は投資適格とは言えない。日本の野村証券は平等にかかわる条約を守らないのですから、投資不適格だという情報を全世界に流したということを言っています。私は、こういうことからも、公正な労働条件が、具体的に投資適格を判定する国際基準になってきているということをつくづく思い、そういう社会をつくろうというとりくみが始まってきているということを感じました。
    
    全世界に普及するディーセント・ワーク-働きがいのある人間らしい仕事
二つ目に、ILOが、ディーセント・ワーク(decent work)ということにとりくんでいることをお話しします。ディーセント・ワークというのはなかなか難しい言葉だったのですが、ILOの正式な訳語として「働きがいのある人間らしい仕事」と提起されています。歴史的にみると、「ディーセント・ライフ」という言葉があります。産業資本主義のイギリスで石炭を使って煤煙で泥まみれになって仕事をしている労働者が、1週間にいっぺん、真白なワイシャツを着てネクタイをして家族そろって教会に行けるような生活というのをディーセント・ライフと考えて、社会保障運動を始めたというのです。ぜいたくではないけれども人間らしいこざっぱりした生活ができるような仕事、これをILOは全世界に呼び掛けているということになっています。
ディーセント・ワークというのはいいことだけれども、「ILOは今どんなことをやっているのだ」と聞きますと、「今こそ普及にとりくんでいる」と言っていました。「世界でどうなっているのだ」と聞きましたら、「アメリカ社会は残念ながらディーセント・ワークの社会とはいえない」と言っていました。雇用を得る機会はあるかもしれないが、解雇されて雇用を失う機会も非常に大きいという、不安定な競争社会はディーセント・ワークの社会とはいえないということを言っています。
    
    「1.5社会」めざすオランダ、福祉国家で強い経済のスウェーデン、デンマーク
「どこがいいのか」というと、オランダとかスウェーデン、デンマークが一つの目標だということです。例えばオランダはどういうことかといいますと、「1.5社会」と言われています。彼らに聞きましたら、アメリカは「2.0社会」で男性も女性も同じように競争をさせられ、家庭というものを無視させられて、離婚が多く家庭崩壊ができてきている。これは「2.0社会」ということでオランダは目指さない。1.5社会をめざす。男性は1.0働いて1.0の給料をもらう。女性は0.5社会参加をしながら、0.5の賃金で家庭を守りながら経済をつくっていく。ただ、男性が1で、女性が0.5でよいとは思っていない。男性を0.8にし、女性を0.7にもっていきたい。最終的には0.75と0.75の社会をつくっていくことが目標だということを言っていました。
スウェーデンの社会では、最大の雇用主は政府です。福祉社会をつくっていった結果、福祉サービスに携わる労働者を政府が膨大に雇用して、最大の雇用主になってスウェーデンの経済をつくっているということを、この目でみてきました。私は、そのように家庭や地域や福祉にきちんと根差した社会をつくっていくことが、経済をつくっていくためにも大きな力になっていると感じます。なかでも、スウェーデンやデンマークは、なかでも強い経済をつくっている社会になっています。日本の社会が目指すのは、やはりこういった社会であり、アメリカの価値は全く基準にはならないということを全体に言っていく必要があるのではないか。

    プラクティシング・ワーカーズがあらたな社会をつくる
ILOは、こういう社会をつくっていくために社会対話-ソーシャル・ダイアローグ(social dialogue)を重視しています。立場が違う者が意見交換をしながら一致点を見出していくことを考えていく。そういう意味では社会対話をしていくために最も大事なものは何かというと、プラクティシング・ワーカーズ、レイバーズ(practicing workers/laborers)という概念、現に実務に携わっている労働者が社会変革の出発点だということをILOが重視をしているのですね。やっぱり、現に実務に携わっている労働者が、問題点や社会とのかかわり方を一番よく知っている。そのプラクティシング・ワーカーズたちの代表としての労働組合と、企業は十分意見交換しながら新しい社会の在り方を考えていかなければならないということを、いまILOは提唱しています。
これは教育用語ですが、「レイバンスのある改革」といいます。レイバンスというのは、社会的に意味のあるものとして受け入れられる改革。改革のための改革、名前だけの「構造改革」ではなくて、社会のために受け入れられるような「レイバンスある改革」は、プラクティシング・ワーカーズとの意見交換によって、はじめてつくられるという価値観を、いまILOは全世界に発信しているのです。
そのILOが、この間、最も重視してとりくんでいるもののひとつは金融問題です。ジョン・センダノイエが、たどたどしい日本語でしゃべって私と意見交換をするんですが、突っ込んだ話をするには私の英語では不十分で、センダノイエも日本語でしゃべるんですが、突っ込んだ話になると彼の日本語力じゃ意見交換できないので、「今度は通訳をいれて意見交換をしよう」と別れたのですが、彼が携わる金融分野で、ILOは一貫して金融と労働の問題を重視し、金融機関の規制をするための監視委員会を作ろうということを呼びかけて続けています。
    
    金融問題での監視委会機能をつくる動き カギを握る労働組合
私が今とりくんでいる学校の先生の教員問題については、1966年の段階で「教員の地位に関する勧告」という世界的なスタンダート基準ができ、基準ができたうえで、ILOとユネスコが共同で監視委員会をつくりました。その監視委員会に全世界の労働組合から申立権が認められ、調査をして、ILOとユネスコが是正勧告を出すという制度が出来上がりました。さらに今回、日本の教育行政が間違っているということで、日本に調査団を派遣して、東京と大阪と高松に入って、教育行政がいかに歪んでいるかという報告書を発表したという経過があります。
このような監視委員会の機構を金融問題でつくろうとしています。その動きを強め、実効性あるものにするには、労働運動が本当に大きなカギを握っています。ILOは政府と労働者と使用者の3者で構成される委員会で―労働者の代表が正式な政府代表として位置付けられている―、労働者の代表者はILOの活動の推進機関、使用者の代表は後からついていく機関、政府はその間に入って中立の機関ということが言われているのですが、このような国際的な活動を前進させていくためにも、全世界の労働運動がもう一回いろんな問題意識を共有しながらとりくんでいかないと、進んでいかないのではないかと思っている次第です。また全損保の役員には申し上げたいと思いますが、ぜひみなさんの協同をお願いして問題提起にさせていただきます。

尾高  ありがとうございました。いまの牛久保先生のお話の中で、オランダやスウェーデンの社会を引き合いに出されたと思いますが、高田先生、スウェーデンが不況の中でも強い経済をつくることになっていると、今ご指摘もありましたが、何かご感想やお話に関連してご発言があればお願いします。

高田  私はずっとアメリカの金融を研究していて、牛久保先生のお話の中で、アメリカはあまりディーセントな労働が実現されていない国だという話もありました。確かにその通りだと思っています。アメリカ自体は重要で面白い国なんですが、研究者の立場からみれば、アメリカだけを見ていると、世界を見る視点が偏ってしまうということがわかってきて、もう少し複眼的に見ないといけない思い、次第にヨーロッパに関心が向いて、ここ7、8年、ドイツとかオーストリアに出かけています。
    
    人間にふさわしい、効率性が維持された社会をめざしたドイツ
とりわけ、社会的市場経済といわれるドイツ型の福祉国家の成り立ちやそのもとになった経済学説などについて勉強をしてきました。戦後のドイツは東西ドイツから始まりますが、西ドイツの福祉国家の考え方のもとになったフライブルク学派とよばれる経済学者と法律家の集団があります。この人たちはヒトラーがまだ権力をもっていた時代に命がけでグループを作って、ドイツはいずれ戦争に敗れるから、その後のドイツ社会をどのように再建すべきかをひそかに研究していました。そのグループの何人かは、有名なヒトラー暗殺計画と関わって逮捕され、拷問を受けたり、戦線に送られて戦死したりした人もいました。フライブルク学派のリーダーにヴァルター・オイケンという経済学者がいます。長生きしていればノーベル経済学賞をもらってもおかしくない立派な経済学者だったのですが、彼らのグループが強調したのがやはり人間らしい社会、社会の仕組みということだったのですね。
かれらによれば、社会の仕組みは、二つの要件を満たさなければならない。一つは、「人間にふさわしい」ということですが、それと同時にもう一つ、社会全体としての効率性が維持されなければならない。その社会全体の経済システム、あるいは企業システムの効率性と、その中で働く労働者も含めた個々の人間の、自由で人間らしいくらしをどう調和させていくか。その問題の解決に知的な貢献をするのが経済学者の役割だという立場で、アメリカ的でもないイギリス的でもない、独自の経済学の流れをつくったのがフライブルク学派なのですが、ドイツの福祉国家はそういったところに一つの源泉があります。
同じ福祉国家といっても、ドイツの福祉国家とスウェーデンに代表される北欧の福祉国家は、国の役割にかなり違いがあって、スウェーデンなどの「北欧型」は、基本的には政府がかなり直接的に大量の財政資金を集めて、政府が直接それを管理するという方式です。ドイツは、そうではなくて、いろんなインセンティブを政府が作り出して企業や個々の市民もインセンティブに誘導されながら全体として社会的な調和と効率性を維持できる社会をどうやって作っていくのかという考え方で国家ができていると思います。でも、やっぱりどちらの場合にも人間らしい生活、人間らしい労働条件、そういうものが成り立たない社会の仕組みというのは、健全に成長できないし、サスティナブル(sustainable:持続可能な状態)ではないという、そういう考え方が共通し、根底にあると思うのです。

    展望すべき社会のありかたは「福祉国家」 現場の情報や経験がいかされる仕組みを
私は今回の金融危機以来、いろいろな雑誌に論文を書いたり、こういう形で話をさせていただく機会が増えたのですが、その時に、今回の金融の問題は金融の枠の中だけでは解決できないということをいつも強調させていただいております。問題の解決は、先ほどのフライブルク学派の人々が考えたように、どうやって、社会全体の効率性と個人の自由で人間らしいくらしを両立させることができる社会の仕組みをつくっていくのか、という構想を明らかにすることであろうと思います。そういう仕組みを仮に展望できるとして、それをどう呼ぶかというのも難しい問題ですが、私はこれまでの人類の英知から継承すれば、とりあえずそれを「福祉社会」なり「福祉国家」と呼ぶのが一番よいのではないかと思いっています。もっと適切な呼び方が今後出てくるかもしれませんが、ヨーロッパのいくつかの国々ではすでに「福祉国家」という形で何十年の経験があって、それなりに人類史的な評価ができるような貢献をしているわけだから、それを踏まえて我々も金融危機の後に目指されるべき社会のあり方を、「福祉国家」というふうに一応名付けることができるのではないかと考えています。
ただし、日本で「福祉国家」を目指すときに、基本的な構成原理というか政策体系というか、何を優先目標としてそれを実現していくかということは、日本独自の問題としてわれわれ自身が考えるしかありません。いくらスウェーデンやドイツの人に尋ねても解答は与えられない。そしてそれを考えるときに誰が一番知恵を出せるのかといえば、それはたぶん現場で働いている無数の人たちです。実際に家庭を支えて苦労している女性、お母さんとか、あるいは教育の現場で教育行政の矛盾で苦しんでノイローゼになりながら教育に携わっている先生とか、実際に社会の土台にあるいろんな生産やサービスの現場で働いている人です。そういう人々が最も貴重な現場の情報、あるいは問題意識を持っているのであって、それをどうやって社会全体としてくみ上げて、合意をつくっていくかということを、きちんと政策担当者あるいは政府が考えて、何千万人の貴重な経験や現場の知恵を無駄にしないで、一つでも二つでもたくさん社会的な政策の設計に生かされるようなそういう仕組みをつくっていくことも非常に重要なことなのではないかと思っています。

尾高 ありがとうございます。吉田委員長、お話を聞いていかがですか。

吉田  牛久保先生は、ILOではプラクティシング・ワーカーズ、実際に実務に従事する労働者が仕事の問題意識や社会とのかかわり方の重要なものを一番知っているんだと、そのことをどうやって生かしていくのかということが一つの大きなテーマになっているとお話になられたこと。高田先生は、現場で働いている人のもっている情報とか問題意識とかをどうくみ上げていくのかという社会的な仕組みをつくっていくということが大事だというお話をされました。ここが、牛久保先生と高田先生のお話の大きな共通項になっています。
    
    労働者の目から見える損保産業の未来を左右する問題
そういう観点で、全損保がこの産業に向き合ってどんなことをしているのかということに触れたいと思います。こういうことがプラクティシング・ワーカーの視点ということになるのかもしれません。昨今の「不払い・取り過ぎ問題」以降、経営者は、お客さまのため、社会的な信頼の回復をするためと、矢継ぎ早にいろんな政策を打ち出していますが、組合員向けの春闘アンケートで「本当にそうだと思いますか」という問いかけたところ、4割近くが役立っていない、3割がどちらとも言えないと答え、「役立っている」と答えた人はわずか27.6%しかいないという結果です。個別の政策についても、例えば経営者が最も力を入れている「保険金支払い」についても、どちらともいえないが3割、役立っていないというのが15%で、半分くらいしか役立っていると思っていないという実態です。こうみると、やはり、損保が、次の時代に持続的に成長したり発展したりするベースが失われているということがよくわかると思います。
再編「合理化」情勢第二幕と呼ばれていますが、むしろいま、損保がどうなっているのかということを考えると、むしろ重要な問題はここのところにあるだろうし、こういうことをつかめて、自由に声をあげられ、意見が言えるという状況をこれから先もどういうふうにキープしていくのか。損保産業の行く末にとって、ここをキープしていくということが労働組合の役割だと考えた時、それは極めて重要になるのだなと、お二人の話を聞いてあらためてわかりました。
同時に、次の時代を展望するには、人間らしい働き方と暮らしが実現されていくことが不可欠だという話も共通していますが、全損保の調査では、相変わらず12時間、13時間働く労働者がいる職場が普通の状況で、仕事についてもやりがいがあると思ってやっている人があまりいないという状況です。これは、人間らしく働き、暮らすという環境が損保の中に実現していないということであって、そこが損保産業の未来を占ううえで極めて重要な問題になっているということが言えると思います。
    
    労働組合があるということを握り、可能性をどこまで広げていくか
いま申し上げたような現状を変えていく主体として労働組合が、しっかり存在していくということが、これから先、何よりも大事なことになります。労働組合があるということ自体を握って離さず、その可能性をどこまで役立て、広げていくのか。いろいろな可能性を考えながらとりくみを進めていくということが大事なことであって、そこが、損保再編「合理化」情勢第二幕の先にある産業、企業、職場、労働者の展望を切りひらく鍵になると実感しました。
そこのところを、みんなで、激動のなかではあっても、頑張ってつくっていかなければいけない。今までは、何となく空気のように、当たり前のように感じていた労働組合を、意識的に、みんなの意識のなかに存在させていって、声を出せる状況を守っていくということを、どうつくっていくのか。ここが、全損保にとっても大きな課題だと思います。

尾高  ありがとうございました。時間もそろそろ限られてきました。
次の時代をどう展望するかということについて、共通しているのはどんなことなのかということも含めて、最後にパネリストの方々に一言ずつ頂きたいと思います。この危機を、本当の意味で乗り越えていくために、人間が大切にされる仕組みがどうつくられ、どう守られていくのか。その中に、労働者がどう意識的にかかわっていくのかということがキーワードとなっているように思えます。それでは、一言ずつ、ご感想も含めてお願します。いかがでしょうか。

ディーセント・ワーキング・タイムにあらわれる労働者のありかた
尊重されなければ、経済危機は乗り越えられない 

牛久保  私の近頃の問題意識をまとめて書いたものを印刷物として配布していますが、そこで紹介しているディーセント・ワーキング・タイムということに触れて、今、司会者の方がおっしゃった、共通する何か、ということを話したいと思います。    
ディーセント・ワーキング・タイムという「人間らしい労働時間」という考え方の中に、いま国際的に大切にされている価値観のようなものが出ています。
「人間らしい労働時間」といえる第1番目の要素は、「健康によい労働時間」であるということ。人間が健康でなければならないということが第一番目に出てくる考え方です。
2つ目には「家族に友好的な労働時間」であるということ。ILOは、一貫して、家族という問題が中心に据えられているのですね。家族全体が、将来の子供たちと自分の老後も含めて生活できるような労働時間。フレンドリー(友好的)というのは、べったりではダメなのだそうで、一人ひとりが自立した人間した同士として協力し合える、そういう生活ができる労働時間でなければならない。
3つ目には「男女平等を進める労働時間」であること。男性の膨大な長時間労働が男女平等をいま破壊しているという考え方に立っているのです。
4つ目には、「それらのことを通じて、はつらつした労働力が実現して、生産的な労働時間」が出来上がるということ。
5つ目に、それらのことについて、「労働者の選択と決定が認められる労働時間」でなければならないといことです。
労働時間の問題として語られているのですが、これは、労働時間に限られない、労働者のありかたを示す考え方として尊重されなければならないということになってくるのではないか。そういう社会を、日本と全世界につくっていくということがなければ、高田先生の言葉ではないですが、この経済危機は乗り越えられないんだということを、あらためて今日、確信をもちました。私なりにまた努力をしていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

尾高 高田先生、お願い致します。

    働いている一人ひとりの常識が重要な評価基準
    連帯が社会の根幹をなしているという価値観を共有していく必要がある

高田  最後にもう一度発言の機会が与えられましたので3つだけ申し上げたいと思います。
    
    一人ひとりが「常識にかなっているかな」とみるかどうかが大事
ひとつは、みなさんが働いている企業、あるいは社会が健全であるかどうかという基準として、そこで生き、働いている一人ひとりが「常識あるいは良識にかなっているのかな」という基準で判断することが、とても大事だということです。経済学者、社会評論家、政治家が頭で考えて言うことではなくて、まずみなさんが、現場で働き、いろいろな経験をし、悩み考える中で、「これってまっとうなことなのか」という自分の常識ですね。これが、長い目でみると、社会の在り方について、もっとも重要な評価基準になるということです。自分が培ってきた常識にかなっていない仕組みや労働条件、人間関係は、多分間違っていて、そして長続きしない。そういう常識や良識に合わない状態が是正されないで続いてゆけば、いずれ非常に深刻な問題が起きてきて、改革が必要になってくる。
私も学者のはしくれですが、私のいうことよりも、みなさん自身の常識をまず大事にする。そこから社会を見ていくということが非常に重要だということです。
    
    異議申し立てできる仕組みがあることが企業でも、社会でも決定的に重要
それから、どういう労働条件なり、企業の仕組みがいいかということでは、先ほど牛久保先生がディーセント・ワーキング・タイムに触れて5点、とても大事なことが言われ、それは全部当てはまると思いますが、あえて二つ付け加えたいと思います。
ひとつは、誰でも不利益を感じたら異議申し立てができ、その異議申し立てが取り上げられるチャンネル、仕組みがあるということが企業でも社会でも決定的に重要だということです。これは、民主主義の大原則だと思います。
私は、アメリカの地域再投資法について興味を持ち、研究をしましたが、その理由は、地域再投資法と呼ばれるわずか2、3ページの法律ができたことによって、金融機関と取引をしている地域の中小企業や個人が、不利益を被ったと思えば監督機関に異議申し立てができるということに興味をもったためです。その異議申し立てが取り上げられて公聴会が開かれたり、実際に教会であるとか、地域の活動組織であるとか、商工団体であるとか、いろいろな団体と、自分が受けた不利益について協議し、問題が解決しなければ、議会にまで行ったり、監督機関の裁定にまで行くというチャンネルがあるということが、アメリカの地域活動組織、コミュニティバンク(注9)を支えているのです。
異議申し立てをする機会がなくて、やっても取り上げられなければ、だんだんしなくなります。そうすると、現場の知恵や経験が吸い上げられず、いかされないということでは、大変な社会的な損失だと思います。ですから、我々は、不利益を被っていると思ったら異議申し立てができる。それがしかるべき手続きで取り上げられて、何らかの形で検討され、政策あるいは調停結果に反映される。企業でも社会でもそういう仕組みを一つずつ広げていく必要があるということです。

    (注9)コミュニティーバンク 

人間の連帯を広げる社会、企業のありかたが求められる
もうひとつは、労働の条件にしても、その他のことにしても、人間の連帯を大事にし、広げていくような社会のあり方、企業のあり方を求める必要があると思います。政府や企業は、個人に対して社会的な大きい権力です。働く一人一人の人間、消費者一人ひとりは、市民一人一人としては権力をもっていないわけで、そうした大きな権力に対して自分たちの異議申し立てを通していこうとすれば、多数の連帯というもう一つのパワーをつくるしかないわけです。
われわれが社会的に異議申し立てをした場合に、その後ろ盾になる唯一のパワーは人々の連帯だと思います。もちろん異議申し立てに筋が通っていなければなりませんが、筋の通った話を有効に実現していくためのパワーとして、我々には、働く者あるいは地域で暮らしをともにする、共通の問題に関心のある者同士が連帯する以外にない。連帯がわれわれの唯一の力の源泉なので、そういう意味では、企業でも社会でもあらゆるところで人間の連帯が大事にされる、連帯が広がっていくような仕組みや運営を求めていく、あるいは、それを支持していくということが重要ではないでしょうか。
自分一人が頑張ればいいとか、我慢すればすむとか、そういう考え方ではなくて、やっぱり人間の連帯が社会の根幹をなしているという価値観を共有していく必要があるのではないかとつくづく思います。その点で、みなさんの労働組合というのは、まさに一緒に働く人たちの連帯を唯一の成立基盤にしている非政府組織であり、連帯の重要性を社会全体に訴えて行くのにもっともふさわしい組織であるといえるのではないでしょうか。

尾高 ではまとめも含めまして吉田委員長、お願いします。

    一方では激動に放り込まれる労働者 主張する状況守ることが大前提
    労働組合が胸を張れる時代 確信もって明日から実践していこう

吉田   3つだけ、今日の感想をのべたいと思います。
    
    主張できる状況を守る 時代を変える力を失わずに、みんなの力を結集していくために
     次の時代は、労働者がどう頑張るのかということを抜きに切りひらかれないということが、大きく言えば今日の論議に通底していると思いますし、連帯の力を可能な限り広げて、異議申立てをして社会を変えていくということにチャレンジをしていくということが求められているのだと思います。
ただ、同時に申し上げたいことは、私たちの労働運動には、まず向き合っている事態との関係でとりくみをしていくとう現実がある。次の時代は、世界の経済がどうなり、日本の経済がどうなり、選挙がどうなって、そのなかで政府と国民の力関係がどうなってという、局面を経ながら変わっていくことになると思いますので、一方では変えるために頑張りつつも、一方では、激動のなかに労働者が放り込まれるという状態が続いていくと思うのです。そこのところを避けて労働運動は現実には語れません。じゃあ、そういう現実の中で、時代を変えていく力を失わずに、可能な限りみんなの力を結集していくために、何をもっとも大事にしなきゃいけないのか。
黙っていたら、その激動の中で、どうされるか分からないところに、日々、どこに連れて行かれるかわからないという状態が続いていくわけで、そうなってくると僕らの未来なんて全くひらけないことになりますよね。だからこの時代の運動、労働組合の活動の基本的な大前提は、とにかく労働者みんなが主張できる状況を、力を合わせて守っていくこと。そこから主張して、経営者をただし、社会をただして、ということを心がけて頑張ろうということなのですが、労働運動の最もベースとなるのは、みんなが主張することをどう大事にしていくのかということがあると思います。

    生活、雇用、労働条件守ることが次の時代の展望につながる
その上で2つ目に、今日の討論で勇気づけられたことは、自分たちの生活や雇用、労働条件を守っていくこと自体が、次の時代を展望がもてる時代にするために、きわめて重要な意味をもつということです。そういう意味では、労働運動はいま、胸を張らなければならない時代に入っているということだと思います。自分たちが大事にされることが、社会全体が持続可能になり、地域が守られて、一人ひとりの国民が豊かになっていくことにつながる。そのことに依拠して、僕たちの損保産業も発展し、企業としても発展し、金融も発展していくと。そういうふうに変わっていくということが今日、きわめて良くわかりました。だから胸を張って自分たちの生活や雇用や労働条件を守るという主張や運動をしていこうではないか、ということを訴えたいと思います。
    
    将来の社会も構想し、産業を変えることができるのは、労働組合しなない
もう1つ明らかになったことは、今、再編「合理化」情勢が始まって、目の前の経営を見ると、「統合しますから」、「増資をしましたので」、「効率化しないと生き残れませんし」、「みなさん我慢してください」みたいなことばかりが続いていくのですが、この延長線上に展望なんて全くないということが今日はっきりしたと思います。今日、与えていただいた視点で、自分たちの損保産業を見ていったとき、真に「健全」な社会がつくられて、「健全」な損保がそこに息づいていくということに展望が切りひらかれる。そこに全体が直されていかなければいけない。その視点で今、損保をばっと見たとき、いかに歪んでいたのかが私自身にはよく分かりました。
みなさんもお分かりになったと思いますが、損保のなかで一番重要な問題は、合併してでかくなり、とにかくこの危機を乗り切り、その先にとにかく効率化をして、生き残る作戦をいくつ立てられるか、などということではない。きちんと社会的役割を構築し直す、そのために持続的なしっかりした社会をつくって、そこに依拠する損保に戻っていくということ。「そこに戻る」ということがどこからも語られていないことが、実は一番大きな危機ではないかというふうに思います。
私たち労働組合は、目の前の経営との関係等で、この時点ではこういうふうにしなければいけない、あの時点ではあのようにしなければいけないということはあると思います。しかし、将来の社会をこうするのだ、ということまで構想しながら、損保産業をこう変えましょうと言える存在は誰かといえば、それができるのは労働組合だけだと思います。経営者は、経済を変えるという存在ではなく、その社会的力もありません。そういうところまで考えたときに、自分たちの将来を語ったり、守ったり、つくったりという上でも労働組合は今胸を張るべき時代になっているんだろうなと思います。
胸を張れる労働組合を、ここにもっているということをみんなで確信し、この組合で何ができるのかということを、明日から実践的にみんなで考えて、運動を実りあるように進めいこうではないか、ということを訴えまして、私の最後の発言にしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

土方 以上を持ちましてパネリストの方のご発言を終了致します。ご三方大変ありがとうございました。本日のディスカッションでは冒頭に私たちが金融のあるいは損保の労働者としてどのように働き、また労働組合の活動としてどのようなことをしていけばいいのかということを一緒に考えていきましょうということをおっしゃいました。そうした意味では本日の討論を踏まえますと、私たちの働きですとか運動のヒントを与えてくれたと思いますし、また活力ですね、頑張っていこうという活力を与えていただいたと考えています。大変ありがとうございました。

尾高 最後に感想ですが、今日集まられたみなさんのなかにはかなりの方々が組合の機関役員の方もたくさんいらっしゃいます。今日のお話を聞いて、私もそうですがヒントになっことがたくさんあると思うのです。職場の人たちからいかに声を出させるのか、そのために機関の果たせることはなんなのかということを考え合わせていきながら、本当の意味でのこの危機を乗り切って展望を切り開くためにはどうしたらいいのかということを、機関と職場が一緒になって考えていきながらともに努力を尽くしていきたいと思います。今日はみなさん、ご苦労様でした。

中村 パネリストの方々、コーディネーターの方々、ありがとうございました。今日は125名の参加により本日のシンポジウムも大成功を収めることができたと思います。改めて拍手を送っていただいてこの場を締めくくりたいと思います。どうもありがとうございました。本日はこれにて全て終了ですので、先ほど言った通り感想文を受付に出していただいてお帰りいただければと思います。どうもありがとうございました。
以 上

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