講演・報告資料

講演要旨「サブプライム問題と国際金融危機」(金沢星陵大学)

―― 経済の金融化と投機市場化 ――

(1)問題提起: サブプライム問題から国際金融危機へ
 2007年夏に顕在化したサブプライム問題は、アメリカの住宅バブル崩壊として始まり、デリバティブ証券(CDO)市場の崩壊を通じて世界に拡散し、アメリカの大手投資銀行、住宅公社、保険会社などの破綻、世界的な連鎖的株価暴落を引き起こし、国際金融危機の様相を呈してきた。さらに、アメリカとヨーロッパ諸国で景気の減速が明らかになるなか、世界的な景気後退の不安が大きく高まっている。

 100年に一度の深刻な金融恐慌 1929年恐慌に匹敵する深刻な危機
 グリーンスパン(FRB前議長)やサミュエルソン(ノーベル経済学賞受賞者)など多くの専門家は、今回の金融危機を、1929年に勃発した世界恐慌に匹敵する危機、数十年に1回の危機、として受け止めている。実際、戦後資本主義は、1987年のブラックマンデー、1997年アジア危機、1998年巨大ヘッジファンド破綻、2000年ITバブル崩壊、など金融市場の大きな変動を経験しているが、その深刻さと広がりにおいて、今回の危機に並ぶものはない。危機発生以来すでに1年以上経過したが、まだ危機の引き金になったアメリカの住宅価格下落は続いており、金融機関の波状的損失も止まらず、株価下落の底も見えない。今後、実体経済の不況入りによって、金融危機と不況の悪循環が懸念されている。

 資本主義自体が構造変化を遂げたと考えるべき
 振り返ってみると、第二次大戦後の復興期から1960年代末までの戦後資本主義は、成長率が高く、時々、ドル危機など国際通貨制度の動揺があったが、実体経済は比較的順調で、大規模金融機関の破綻はなく、深刻な金融危機も伴わなかった。また、この時期は、多くの工業国でケインズ主義経済政策が採用され、高度成長と完全効用、社会保障制度の整備がめざされたことから、「ケインジアン福祉国家」あるいは「フォーディスム」の時代と呼ばれている。1970年代以降、資本主義にはさまざまな構造変化が生じたが、今回のような、深刻かつ大規模な世界金融危機が勃発することを予想する人は少なかった。これは、現代資本主義の構造に、多くの専門家も理解していなかった根本的な問題が潜んでいたこと、あるいは、おそらく1980年代以降、資本主義の構造が大きく危険な方向に変化したことを示唆している。

 1970年代以降の資本主義に何が起きたのか
 戦後復興期から1960年代まで順調な成長を遂げた資本主義経済は、70年代以降、ケインズ主義的経済政策の矛盾が顕在化しはじめ、アメリカは国際収支と連邦財政の赤字に耐えかねて金ドル交換を停止(ニクソンショック)し、世界の多くの通貨は固定レート制から変動レート制に移行した(IMF体制崩壊)。さらに、石油輸出国機構(OPEC)による原油価格大幅引き上げを契機とするスタグフレーションが世界的に広がり、資本主義経済は不安定な時代に入った。こうした歴史的背景のもとで、ケインズ主義に代わって、新自由主義とよばれる市場重視、規制緩和の経済政策が優勢になった。今回の金融危機の背景には、このような資本主義の歴史的変化が関係している。

(2)現代資本主義を特徴付ける「経済の金融化」
 1980年代以降、ケインズ政策の行き詰まりを契機として、新自由主義的経済政策が世界的に優勢になり、経済成長政策や完全雇用維持政策が後退し、社会保障制度が削減され、規制緩和と金融自由化が進められ、インフレ抑制と「小さな政府」が重視されるようになった。この結果、欧米諸国では経済成長率が低下し、一般企業の投資のテンポが鈍り、賃上げの抑制と社会保障切り下げによって経済格差が拡大した。他方、規制緩和・金融自由化の最大の恩恵を受けた金融産業では、収益が増加し、経済全体に対する影響力が次第に強まってきた。この間、経済成長に対して、金融市場の規模は何倍もの速さで膨張した。このような、実体経済の成長鈍化と裏表に金融市場と金融産業の肥大化が急速に進む現象は、経済学者によって「経済の金融化」と呼ばれている。

 企業と家計の金融資産・金融債務の増大
 「経済の金融化」の顕著な特徴は、(1) 企業や家計の資産の中で、預金、証券、投資信託、保険などの金融資産の割合が高まる、(2) 経済全体の中で金融産業の占める割合が高まり、金融セクターの利益、雇用、所得が増大する、(3) 金融工学を応用した新しいタイプの金融商品(その多くがデリバティブ=金融派生商品と呼ばれる)がつぎつぎと作られて、証券市場を爆発的に膨張させる(金融の証券化)、(4) 経済成長を支える企業投資や家計支出が、貯蓄よりも債務(証券発行やローン)に依存する度合いが高まる、(5) その結果、企業や家計の経済活動も金融市場の動向によって大きな影響を受けるようになる、(6)企業や家計の貯蓄は投資や消費に向かわないで、さまざまな経路を通って証券市場に流入するようになる、この結果、証券会社、投資信託、ヘッジファンドなどの金融産業の収益が増大し、経済全体のなかで金融セクターの占める割合が上昇する。

(3)金融市場は本来的に不安定で、将来の予測は不可能
 しかし、金融市場、とりわけ証券市場は、本来的に制御が難しい不安定性を抱えている。一般に証券価格には、多くの人が合理的に理解できる客観的な基準がなく、需要と供給の関係によってきわめて不安定かつ大幅に変動する。証券の需給関係は、投資家の将来予測にもとづいて変化するが、誰も将来の市場の状態や証券価格を正確に予測できない。多くの投資家は、自分以外の投資家がどの証券を買うか、あるいは売るかを予想して、市場の動きに追随する行動をとっている。しかも、多くの投資家は、人間の判断ではなく、コンピュータのプログラムを利用して自動的に売買を執行している。そのために、何かの理由で需給関係が少し変化すると、多数の投資家がいっせいに同じ行動をとり、その結果、市場は客観的な理由がなくても大きく一方に振れてしまう。例えば、ある企業の収益予想がほんの数%下方修正されただけで、株価が何十パーセントも急落するということが起きる。さらに、証券市場での取引は、株式市場、債券市場、外国為替市場、さまざまなデリバティブ市場、仕組み証券市場などが複雑に絡み合っており、少数の巨大金融機関がこれらすべての取引の中心になっているために、一つの市場で発生した混乱が、瞬時にその他の市場に波及し、だれもその連鎖的な混乱を止めたり、制御することができない構造になっている。
 
 肥大化し、不安定になった金融市場では投機が蔓延する
 金融市場における投資家の行動を規律づける唯一の基準は、投資のリスクと利回りの関係である。つまり、投資家にとって合理的な行動とは、投資に際してリスクと利回りのどちらが大きいかを確率的に予測し、リスクが大きい場合は投資をやめ、利回りが上回る場合は投資するという選択である。この選択には、投資した資金がその後どのように使われるのか、その結果経済社会にどのような影響が及ぶのかという問題は、一切考慮に入らない。したがって、証券市場だけではなく、住宅、土地、石油、食料、希少資源、水その他人々の生存にとってどのように重要な財や資源であっても、それに投資することが有利とみれば躊躇することなく莫大な資金を投じて投機的に買い占め、バブルを引き起こす。そして、リスクと利回りをめぐる予想が変化すると、今度は一転していっせいに取引を清算して資金を引き上げ、バブルを崩壊させる。このようなバブルとその崩壊をつぎつぎと引き起こす投資家の投資判断には、科学的な根拠はなく、きわめて曖昧で主観的な「予想」や「思惑」にもとづいている。株式市場の動きを予想する証券アナリストの予想はほとんど当たらないし、あたってもそれは「まぐれ」にすぎない。しかし、経済の金融化によって金融市場が肥大化するだけではなく、ますます不安定で変動が激しくなると、投資家の思惑や予想も激しく変化するようになり、その結果、金融市場は実体経済から遊離した、投機取引が蔓延する市場に変わってしまう。経済学者が「カジノ資本主義」とか「ファンド資本主義」と呼んでいるのはこのような状況を指している。

(4)サブプライム問題は、なぜこれほど深刻な国際金融危機に拡大したのか ?
 アメリカの住宅バブル崩壊として発生した金融危機が、わずか数ヶ月で国際的な金融不安として世界中に拡散し、アメリカだけではなくヨーロッパの多数の金融機関を破綻させ、世界中の株価を連鎖的に暴落させ、世界同時不況の不安を作り出しているのはなぜであろうか。

 ここでは、報告者が重要と考える、5つの理由を挙げておきたい。

(1) 過剰な貨幣資本の投機的な動き
 世界のさまざまな金融機関と機関投資家の手元に、現状では投機的に運用する以外に投資家が期待する利回りをあげられない「過剰な貨幣資本」が数十兆ドルも積みあがっている。世界中の金融市場で証券に投資されている貨幣資本の総額は150兆ドルと見積もられているが、それらの中でおそらく数十兆ドルは投機的な手法で運用されていると考えられる。これらの過剰な貨幣資本は、通常の企業向け貸し出し、個人向けローン、国債など安全資産の保有などでは投資家が期待する利回り(例えば平均数%)を持続的に上げることは不可能である。言い換えれば、それらが期待する利回りは、健全な経済企業システムや政府財政とは両立しない。そのために、どんな市場であれ投機的利益が見込まれる市場があればあらゆる機関投資家が殺到して深刻なバブルを作り出す。

 (2) 金融グローバル化による資金の国際的移動
 1980年代以降、アメリカやIMFなどの圧力を受けて、世界の多くの国が金融自由化を進め、金融グローバル化が進展した。金融グローバル化というのは、国際的な資本移動を規制していた各国の規制が取り払われ、資本と金融機関の移動が国境を越えて自由に行われるようになる傾向である。1980年代後半期以降、途上国を含む海外の証券市場や為替市場で投機的に運用される短期資本の国際的移動が爆発的に増大し、その不安定な動きをどの国の政府も監視したり、規制したりすることができなくなっている。特に途上国では、国内金融制度が脆弱な上に、投機資金の運動を監視する体制が未整備で、いったん国際金融市場の資金の流れに異変が起きると、経済や産業の基盤が破壊され、人々の雇用や所得も甚大な影響を受ける。最近、ドイツのケーラー大統領が雑誌インタビューで、「現代の金融市場は制御のできないモンスター(怪物)になってしまった」と嘆いたのは、国際金融市場のこのような状況を念頭においての発言である。

 (3) 金融自由化による「影の銀行業」の肥大化

 金融自由化は金融グローバル化だけではなく、それぞれの国で、銀行と類似の活動をしながら、銀行のような監視や規制をうけない金融産業(影の銀行業と呼ばれる)を増大させた。具体的には、預金以外の方法で資金を調達し、預金保険制度や「最後の貸し手機能」などのセーフティネットもなく、ゆるい監視のもとで高リスク・高収益の金融業を営むノンバンクと総称される金融機関、ヘッジファンド、特別目的会社(SPC)などである。これらの金融機関は、国際決済銀行(BIS)の自己資本規制や預金準備率などを免れ、莫大な他人資本を取り入れ(高レバレッジ)、不透明な会計操作と不十分な情報公開のもとで巨額の金融取引を展開している。しかも、近年では、大手銀行や投資銀行なども、規制や課税を回避するために、影の銀行業に従事する子会社を設立し、自社の取引の大きな部分を「簿外」で展開している。また大手金融機関と機関投資家は、デリバティブ取引を利用したリスク隠しや損失隠し、タックスヘイブンを利用した課税忌避を大規模に行っている。この結果、現代の金融市場は、全体としてきわめて不透明な、巨大な迷宮のようになっている。このために、監督機関は、金融市場や大手金融機関に全体としてどれくらい大きなリスクが潜んでいるかを把握することができなくなっている。否、監督機関だけではなく、銀行の経営者でさえ、自社のリスクを把握することができなくなっている。最近、莫大な損失を出した大手銀行の経営者が、自分たちのやってきたことを「砂上の楼閣であった」と嘆いたのは、このためである。

 (4)市場を不透明にするデリバティブ取引の膨張
 先物取引を始めとするデリバティブ取引のほとんどは、本来は企業や金融機関の金融取引のリスク(金利、為替レート、証券価格などの変動、取引相手の倒産など)をヘッジ(損失を帳消しにする逆取引)する手段として開発された。しかし、リスクをヘッジする手段はいずれも投機の手段として利用できる。例えば、為替の先物取引は、将来の為替変動をヘッジする手段として利用できるが、将来の為替レートを予想して、そこから投機的利益を上げる手段としても利用できる。専門家の調査によれば、現在大きな問題になっている信用デリバティブを始め、天文学的規模に膨らんでいる各種デリバティブ取引の大半が、実際には金融機関と企業によって、投機の手段として利用されている。しかも、デリバティブ取引のますます多くが、先物取引所などを通さない店頭取引(OTC、金融機関のディーラーと投資家の相対取引)で行われるようになっており、取引の健全性や安全性が十分に担保されないだけではなく、監督機関でさえ、市場の全貌を把握することができなくなっている。

 (5)金融の証券化がつくりだす「金融の大量破壊兵器」
 現代の大手銀行は、企業や個人に行った貸し出しの債権を満期まで保有せず、証券の形に作り変えて投資家に販売する(金融の証券化)。こうして、貸し出しにともなう信用リスクは銀行のバランスシートから外され(オフバランス化)、リスクは証券を購入した投資家が負うことになる。他方投資家は、証券の購入に際しては、大手格付け会社の格付けを判断の基準にし、あわせて、購入した証券にはモノライン保険や信用デリバティブなどの金融保険を購入して万一のためのリスクを回避する。この結果、貸し出しをする銀行も、証券を購入する投資家も、リスクに無頓着になり、銀行はリスクを無視して融資を膨張させ(サブプライムローン)、機関投資家は、リスクを軽視して大量の証券を購入する。しかし、実際には銀行の融資リスクはなくならないし、証券のデフォルトや価格変動リスクもなくならない。むしろ、経済の金融化のもとでは金融市場も実体経済も不安定になり、金融取引のリスクは全体として増幅される。しかし、監督機関には、前述のような理由によって、金融市場にどれほど大きなリスクがたまっているのか、誰が最終的にリスクを負担するのか、判断する手がかりがない。こうして、いったんバブルが崩壊すると、混乱は一挙に世界的規模で表面化し、誰も予想していなかった規模の損失が、予想していなかった速さで、世界中の金融機関と機関投資家に拡散し、大規模金融機関やヘッジファンドの連鎖倒産と世界同時株安が発生する。まさに、アメリカの伝説的投資家ウォーレン・バフェットが「信用デリバティブ取引(金融保険)は、金融市場の大量破壊兵器である」と言い放った通りである。

(5)今回の金融危機の教訓と今後の課題
 支配的な経済学と経済政策は何を間違ったのか ?
 1998年にアメリカで大規模なヘッジファンドが破たんし、世界中の大手銀行が協力して救済した時、経済学者は、そのような事件が起きる確率は10のマイナス17乗分の1、つまり何十億年に1回しか起きないはずだと考えた。しかし、現在私たちが目の当たりにしている国際金融危機は、その時の金融危機をはるかに上回る深刻かつ大規模な危機であり、その発生の確率は、ほとんどゼロのはずである。しかし、このような危機が現実に頻繁に発生するということは、現代の金融論をふくむ経済学、さらには、それに依拠した経済政策の考え方に根本的な誤り、あるいは見落としがあることを示唆している。その意味で、報告者をふくめ、経済学をより現実的にするために従来の経済理論を土台から再検討する必要があると思われる。米国のグリーンスパン前FRB議長は、最近の議会証言で、「これまで40年間、市場は政府よりも賢明だと信じてきたが、この信念は誤りであった」と述べた。今回の金融危機に大きな責任がある彼の反省は遅きに失するが、市場をまるで神のように考えてきたこれまでの経済学は、自らの信仰の現実妥当性にもっと懐疑的になることが必要である。

危機の根底に過剰な貨幣資本と野放しの規制緩和
現代の金融危機の基礎には、世界的に積みあがった莫大な金額の「過剰な貨幣資本」の存在と、これを一握りの大手金融機関と機関投資家が世界中の金融市場で投機的に運用するのを野放しにしている金融自由化・規制緩和の問題がある。これによって、金融市場の肥大化とカジノ化が歯止めのない形で進展し、金融市場は制御できないモンスターになり、これにともなって、経済システム自体も極度に不安定になった。今回の危機で、これまで20年以上にわたって国際金融市場に君臨してきたアメリカの大手投資銀行があいついで破綻したり、経営危機に陥ったことから、専門家の間では「投資銀行モデルの終焉」ということが言われている。しかし、世界的な過剰資本と、現在の野放しの規制緩和をそのままにしている限り、経済の金融化はさらに進み、次のバブルは必ず起きるし、その結果は、今回の危機よりもさらに深刻なものになる可能性がある。

今回の危機を繰り返さないために、何をする必要があるのだろうか?
一部の人たちは、ウォール街を始めとする世界の金融関係者の度外れた金銭欲や反社会的行動に対して強い「反省」を求めている。これらの人たちの多くは、私の知る限りでは特殊な価値観の持ち主であり、一時的には「後悔」しても、決して心底反省することはない。そして彼らは、どんな失敗も事情が変われば忘れてしまう。私たちが今回のような深刻な危機を経験して学んだ教訓を後世に継承する唯一の方法は、問題の根本を除去するための有効な制度を確立して後世に伝えることである。これは政治の役割であり、金融機関の経営者にこれを期待しても無駄である。たとえば、1929年世界恐慌の教訓から、ローズヴェルト政権がニューディール政策を打ち出し、アメリカの銀行法を抜本的に改正し、グラス=スティーガル法と預金保険制度を後世に残したのが、歴史的な手本である。このグラス=スティーガル法を確たる根拠もなく、金融産業の求めに応じて撤廃したアメリカで、10年も経たないうちに、今回の危機が発生したことを肝に銘じるべきである。

なぜ新しい福祉国家構想が必要なのか ?
私の理解では、金融制度の改革は、金融市場と金融産業の中だけでは完結しない。金融システムは経済システム全体の一部であり、金融市場と金融産業がどのような役割を果たすべきかは、望ましい経済社会システムをどのように構想するかによって決まってくる。その意味で、金融機関や機関投資家の投機活動を抑えるための措置、たとえば、金融取引税の創設、レバレッジ制限、金融的利得への厳格な課税その他は必要であるが、それらだけで問題が基本的に改善されるとは思われない。長期的には、世界で数十兆ドルの規模で積みあがっている「過剰な貨幣資本」を、金融機関や機関投資家の投機活動に委ねるのではなく、それを特殊な「公共財」あるいは、「社会資本」と見なし、それを緩やかな社会的管理のもとで活用する仕組みが必要である。言い換えると、現在は「過剰」とされている膨大な貨幣資本を、健全な経済成長、自然環境と生活環境の保全、世界的な研究・教育水準の引き上げ、搾取の根絶と貧富の格差の是正、社会保障制度の充実、医療制度の立て直し、国際的な文化交流の促進、地域紛争の平和的解決、その他の目的のために有効に活用するための筋道を、政治の力で制度化することが必要である。「お金は邪魔にならない」と言われるように、貨幣自体は過剰になることはない。それは、貨幣資本であるために、つまり、つねに数%の利回りを生み続けなければならないと考えられているために、過剰になるのである。貨幣それ自体は、貴重な経済的資源であり、さまざまな社会的問題の解決のために役立てられるべきものである。世界中の膨大な貨幣資本をこのような意味で有益に活用しうる社会の在り方を、私はとりあえず先人にならって、福祉国家と呼んでおきたい。その意味で、今回の国際金融危機を契機に、それぞれの国で、自国の歴史的文化的状況をふまえた、新しい福祉国家の在り方が問い直されることを期待したい。

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