同人誌「参論」

(紹介)『アメリカ衰退の経済学 スタグフレーションの解剖と克服』(1986) 
 (原題)Beyond the Waste Land by S.Bowles, D.Gordon, T.Weisscopf, 1983

Ⅰ 本書(以下BGWと略記する)を取り上げる理由
程度の違いはあるにせよ、歴史的視野をもって現代資本主義を分析する経済学者の多くは、以下の点で認識を共有している。
まず第一に、戦後復興期から長期の高度成長を遂げてきた資本主義経済が、1960年代後半期にさまざまな矛盾(競争の激化、賃金上昇と労使の対立、利潤率低下、成長率低下、財政悪化、国際的不均衡、インフレーションその他)を抱えるようになり、その結果基軸通貨国・アメリカが金ドル交換停止に追い込まれ(71年)、途上国の経済ナショナリズムの高まり(OPECの原油価格引き上げ)、アメリカの拡張的財政金融政策(バターも大砲も)などを背景にインフレーションが加速し、1974年以降、それまでの高資本蓄積・生産性上昇・実質賃金上昇・有効需要増大、の好循環が遮断され、高失業率とインフレーションの併存・加速という「スタグフレーション」(資本主義に前例がなく、伝統的経済学では説明不能な状況)に陥ったという歴史的経緯である。要するに、戦後資本主義は1970年代前半期に歴史的転換期を迎え、新しい段階に入った(循環的ではなく、もとに戻らない。むしろ資本蓄積の新しい様相が形成される)という認識である。
第二に、1974年以降、資本主義が循環的な好況局面に移行せず、それまで予想されていなかった不況と低成長、経済的不安定という迷路に入り込んだこと、この迷路は、経済成長率、利潤率、失業率、設備稼働率、インフレーションなど、経済パフォーマンスを評価するほとんどの基本的指標の急激な悪化を伴ったこと、こうして70年代末まで続いた経済不振とインフレーションの加速に対抗する企業と政府の対応策は、民間と政府、産業と金融、国際経済、資本と労働など経済の基本的関係に大きな変化を引き起こし、その結果、80年代以降、現在までつながる戦後資本主義の新しい蓄積様式が形成されてきたこと、この蓄積様式のもとでは、資本主義の矛盾はかつての経済循環や30年恐慌とは基本的にことなる発現形態をとるようになったこと、その際、企業と政府の対応策には、ケインズ経済学にとってかわったシカゴ学派に代表される新古典派経済学と新自由主義イデオロギーが重大な影響力を及ぼしたという点でも、ほぼ共通の理解が成立している。
経済学者はこれら二つの点で認識がほぼ一致しているが、これら二つの事実経過にどのような首尾一貫した説明を与えるか、という点では見解は錯綜している。
典型的な説明の一つは、50~60年代の長期経済成長が結果的にもたらした過剰生産および資本の過剰蓄積によって利潤率が低下し、これを回復しようとする資本の対策(資本蓄積抑制、賃金抑制)が成長率と利潤率の低下をもたらし、政府の対応(拡張的マクロ経済政策の継続)が財政危機、国際的不均衡、インフレーションの加速をもたらしたという見解である(ブレナー)。
第二の説明は、第一の説明と重複するが、ドイツ、日本などの産業が国際競争力を高め、アメリカ企業の競争力を弱めたが、歴代アメリカ政府はこれに対抗する有効な政策を打ち出すことができなかった。その結果、アメリカからの資本流出とアメリカ国内の投資停滞・低成長、高失業率、ドル危機、IMF体制崩壊がもたらされたという見解である(カレオ)。
第三の説明は、50~60年代の高度成長期に完全雇用が実現して労働組合の交渉力を高めた結果、利潤分配率が低下したが、資本は国際競争の制約下でこれを物価に転嫁することがますます困難になった。この状態を逆転するのに70年代末のレーガノミックスとヴォルカー・ショックをまたなければならなかったという見解である(グリン/サトクリフ)。
第四の説明は、戦後IMF体制の矛盾と崩壊に主要な契機を見出す立場である。IMF体制が基軸通貨国を含めた各国に強制するゲームのルールは、大幅財政赤字と低金利政策を主軸とする経済成長政策とは矛盾する。冷戦構造と国際競争が激化する環境のもとで、アメリカ政府が採用した「バターも大砲も」政策は金ドル交換の維持を不可能にし、IMF体制の崩壊を引き起こした。その結果、インフレの加速、国際金融市場のカジノ化、経済の金融化が進行し、実物投資から金融投資へのシフト、経済のサービス化が促進され、長期的な蓄積率の低下と賃金圧縮、いっそうの需要不振を引き起こしたという説明である(井村)。
これらの説明はそれぞれが1970年代に顕在化した資本主義経済の諸矛盾のいくつかの側面に焦点をあてており、事実認識として完全に間違っているわけではない。また、相互にまったく排除しあうわけでもない。しかし、これらの説明いずれもが、二つの重大な弱点をもっている。第一は、それらを60~70年代の資本主義の展開過程と照らし合わせたときに、無視しえない不整合を残しているということである。第二は、いずれの説明も、70年代に顕在化した資本主義の矛盾あるいは行き詰まりを示すいくつかの現象に着目しているが、分析視点が折衷的であり、マルクスの方法を現代資本主義分析に適用する原則を明確に打ち出していないことである。さらに、第三に、グリン/サトクリフの研究を別とすれば、理論的命題を実証的なデータで証明する努力を基本的に放棄していることである。
(註)A.ギャンブル/P.ウォルトン『現代資本主義の危機』(鶴田監訳 1978)は、グリン/サトクリフを「マルクスの諸概念を実証的な係数で展開するという容易ならぬ試みの先駆者である」と評価している(180㌻)。たしかに、かれらの業績は、マルクス経済学の立場にたった数少ない実証的・分析的業績として高く評価できるが、原著の出版は1971年であり、70年代に深刻化したスタグフレーションの背景分析が中心であり、その後のスタグフレーション自体の分析ではない。また、かれらの方法は、利潤と賃金のゼロサムゲームの枠内に資本主義の矛盾を圧縮するという視野の狭隘さをまぬがれない。

いずれにしても、われわれはいまだ、マルクス経済学の原則の上で、1970年代を転換期とする戦後資本主義の歴史的構造変化と、今回の金融危機を関連付けて説明できる、包括的で首尾一貫した学説を与えられていない。ここ10年余りの間に、1980年代以降の資本主義の歴史的特徴を「経済の金融化」概念に依拠して分析するアプローチが支持を広げている。その際、このアプローチが成功するためには、70年代のスタグフレーションとして発現した資本主義の矛盾を解明し、スタグフレーションへの企業と政府の対応策とその作用とがなぜスタグフレーションの長期化と深刻化を引き起こし、最終的に金融市場の変質・肥大化、国際通貨金融危機の頻発、バブルの形成と崩壊、さらには今回の金融恐慌にまで至ったのか、その経緯を連続的に説明することが必要である。
(註)この点について、ロバート・ブレナーは『ブームとバブル』の冒頭で次のように指摘している。「本書の出発点は、21世紀に入っても国際経済が依然として長期下降を続けていること、すなわち1973年以降の長期にわたる低成長を脱し切れていないという事実にある」(7㌻)さらに、スタグフレーションが戦後資本主義の歴史的変化の決定的な段階を画するという議論については、アンドルー・ギャンブル『資本主義の妖怪』(2009)81㌻以下を参照。ちなみに、2009年11月開催の経済理論学会で、川上忠雄は、世界資本主義は1971年のニクソンショックを契機にドル基軸通貨制とその上に築かれた世界市場の崩壊(自滅への疾走)にむかう、長期的な「厄災の時代」に入っており、今回の経済危機はこのようなプロセスの中で発生した大きな危機として歴史的に見る必要性を指摘している。さらに、報告後の討論で、川上は伊藤誠に対し、「08年恐慌の原因を語る場合、70年代のスタグフレーションの問題からやらないと十分に説明できないことを強調すべきだ」という趣旨の発言をしている(季刊『経済理論』47-1 39㌻)。このように、70年代危機から現在までの資本主義の危機を連続的にとらえる専門家は少なくないが、いつ、何を契機として資本主義が新しい局面に入ったのか、70年代と80年代以降の様相の変化がなぜ起きたのかについては、理解は一致していない。
(註)経済の金融化については膨大な文献があるが、サーベイ的な邦語文献としては、
拙稿「現代資本主義論としての経済の金融化論」『企業研究』第14号、2009/3。 
コスタス・ラパヴィツァス「金融化と資本主義的蓄積」季刊『経済理論』47-1(2010)を参照。

しかし、改めて1970年代における現代資本主義の構造変化とスタグフレーションについて既存の研究文献を調べてみると、この戦後資本主義の重要な歴史的局面の構造とその推移を全体的に分析し、説得力のある説明を提供している業績は意外と少ない。
(註)報告者が知る限りで2~3を挙げるとすれば、
(1)A.グリン/B.サトクリフ『賃上げと資本主義の危機』(平井訳 1975、ただし原著出版は1971年)スタグフレーションの歴史的背景を名目賃金の上昇と国際競争の激化による利潤率の低下に焦点をあてて実証的に分析している)
(2)Magdoff & Sweegy, The Deepening Crisis of U.S. Capitalism, マグドフとスウィジーが1977-81年に書いた論文を纏めたもの。前例のないスタグフレーションの諸相を、独占理論、マルクス資本蓄積論、カレツキ=シュタインドルの資本主義停滞論に依拠しながら考察し、アメリカ経済のスタグフレーションからの脱却が多くの人々が予想するほど容易ではないことを説明している。ただし、エッセイ集であり、実証的分析ではない。
(3)D.カレオ『アメリカ経済はなぜこうなったか』(山岡訳 1983年)ケネディからレーガン政権までの経済・外交政策にふくまれる問題を分析し、アメリカの国際競争力の低下、財政危機、インフレ問題を検討している。読み物風で、厳密な分析は乏しい。

以上のように、今回の経済危機の背景を考察する参考資料となりうる戦後資本主義研究の業績が意外と乏しい中で、BGWの業績がとりわけ注目される理由は、これまでの諸研究が抱える前記3つの弱点の克服という点で、比較的満足の得られる成果を収めているということである。そのために、いまではSSAアプローチと呼ばれる彼らの方法は、現代においても多くの研究者を触発している。SSA派は、研究者の範囲、業績の量、現代資本主義研究全体に及ぼしている影響などから見て、現代資本主義の批判的研究において、マルクス学派、ポストケインジアン、「経済の金融化論」、レギュラシオン学派などとならぶ有力な潮流の一つを形成している。

Ⅱ BGWが提起した主要論点
かれらの著作は論点が多岐にわたり、それぞれに密度の濃い分析が加えられているうえに、記述の順序がやや錯綜して分かり易くはないために、その内容を要約することは簡単ではない。しかし、報告者の理解の範囲でその主要な論点を要約すれば下記のとおりである。

1) 1970年代後半期には、戦後資本主義の高度成長が行き詰まりに達したということについては、左派の経済学者の間に共通理解が成立した。しかし、なぜ資本主義が行き詰ったのか、また、行き詰まりの後になぜ従来の経済学で説明できないスタグフレーションという現象を呈するようになったのか説明するためには、たんなる経済関係内部の矛盾や不均衡だけではなく、マルクスがそうしたように「政治的諸関係を見なければほとんど説明できない社会的諸関係」に関わる問題として分析する必要がある。
2) 「経済は人間によって構成され、その基本的関係は社会関係である」という理解から出発しながら、政治経済学を実証的な分析科学として応用することは容易な作業ではない。そのために、多くのマルクス派の分析では、現実の資本主義「経済」の運動の諸相やパターン、それらの相互関係などを単に「定性的」に考察することに終わっている。BGWは、たんに主流派経済学との論争だけではなく、大衆を説得・動員する運動論的観点からも、定性的な説明にとどまらず、資本主義経済の事実経過をデータに依拠して実証的に分析することを目指している。このために、みずから主流派経済学の「技術的生産モデル」に対抗する「経済の社会的モデル」(5㌻)と呼ぶ独自のモデルを利用して分析を行っている。
3) かれらはまず、分析の焦点を明らかにするために、40年代末以降長期にわたったアメリカの高度成長と企業の繁栄が、歴史的に形成された三つの支柱((a)アメリカ企業の覇権とパックスアメリカーナ、(b)企業と労働者との間の限定的な合意、(c)資本の利潤追求を容認する市民の合意)に支えられていたことを説明する。ただし、なぜこれら三つの支柱が選び出されたのかという問題は十分説明が尽くされていないように思われる。
4) ついで、60年代の後半期には、これら三つの支柱がいずれも内部的なコンフリクトを強め、内部分解したことをそれぞれ歴史的経緯にもとづいて説明する。その結果、アメリカの国際支配(パックスアメリカーナ)の後退とドル危機の深刻化、労働者からの異議申し立ての強まりと資本の攻勢による労使合意の崩壊、企業の収益性の論理に対する市民の異議申し立ての増大(環境・人権問題その他)と原材料・エネルギー価格の上昇(途上国の反発・ナショナリズム)など、企業の収益活動に対する抵抗と障害が強まってきた経緯が説明される(この事実経過の説明は必ずしも詳細かつ説得的ではない)。
5) かれらの「経済の社会モデル」によれば、これらの変化は、いずれも企業と政府に不生産的なコスト増(=生産性の上昇に直接結びつかない諸費用の増大、具体的には労働者を監視し、労働強度を高めるための費用、マーケティングや広告費、軍事支出の増大他)をもたらし、生産性上昇率の低下、利潤率の低落、資本蓄積の抑制を余儀なくさせる。財政赤字の増大と資本蓄積の抑制は相まって資本(供給)サイドの問題を引き起こし、経済成長率の低下と慢性的インフレーションを引き起こす。1979年のレーガン政権による財政政策の劇的組み換えとヴォルカー・ショックは、すでに71年のニクソンショックによって不可避となっていた政策(労働に対する資本の反撃を劇的に強化する必要、政府に対するウォール街の不満=インフレ抑制の要求、に応える必要、これら二つは合わせて「冷水療法戦略」と名付けられる)であった。しかし、こうした政策はスタグフレーションの進行を阻止するどころか、利潤率の急落と資本蓄積の一時的途絶を引き起こし、1930年代以来もっとも深刻な不況を引き起こした。この政策的に引き起こされた不況は、労働に対する資本のヘゲモニーを回復するために資本の側が求めたものではあるが、資本のヘゲモニー回復は、利潤の回復、資本蓄積の活発化をもたらさなかった。
6) さらにかれらは、「経済の社会的モデル」の有効性を論証するために、戦後アメリカにおける企業生産性上昇率の低下傾向を俎上にのせる。この問題は、多くの経済学者によって、アメリカ経済の長期停滞のカギを握る問題とみなされていたにもかかわらず、主流派経済学はあらゆる試みにも関わらずほとんど説明できないままになっていた最大の難問(ミステリー)であった。かれらは、まず、この難問の解読を試みた既存の諸説がことごとく破綻していることを示す。そのうえで、かれらは前記の「経済の社会的モデル」で選び出した三つの指標について、それらを実証分析に乗せるための代理変数を提示する。そして、これらの代理変数を含む社会的生産性モデル=企業支配力維持コスト・モデルを提示して、独自の多変量解析(多重回帰分析)を進め、かれらのモデルがアメリカの生産性情報率の低下についてきわめて大きな説明力を発揮することを実証している。
7) かれらは、この分析によって、戦後アメリカ経済に一貫して見られた企業生産性上昇率の傾向的低下が、主流派経済学が重視する資本不足(高すぎる賃金と社会保障費の増大)、不十分な資本集約度(投資の不足)、稼働率低下、研究開発投資の不足などの「経済内的=技術的要因」ではなく、労使関係のコンフリクトから派生する労働強度の低下(ストライキやサボタージュの頻発)、国際競争から派生するイノヴェーション圧力の高まり(シェア喪失、企業倒産の増大)、および途上国の資源ナショナリズムと大衆の抵抗の高まりを反映するコスト上昇(原油価格引き上げ、交易条件の逆転)の三つの「社会的」要因、およびこれらの問題にアメリカの企業と政府が対処するために余儀なくされた経済資源の莫大な浪費・不生産的使用、によって基本的に説明可能であることを「証明」している。
8) これらの三つの要因からもたらされる浪費の増大(かれらのいわゆる企業支配維持コスト)と、その結果としての生産性上昇率の傾向的低下は、これを阻止あるいは逆転するための更なる企業努力(投資の抑制・失業増をテコとする賃金の引き下げ)と政府の対応(他国への外交的圧力、企業厚生の引き上げ、労働法制の改悪他)を促した。しかし、それらは全体として、増大する費用に見合う生産性の回復ではなく、むしろすでに増大傾向にある企業支配力維持のためのコスト(供給サイドのコスト・結局は浪費)をとめどなく増大させ、利潤率の一層の低下と経済危機の深刻化を招いたことを明らかにしている。
9) BGWによれば、このコスト(社会的浪費)の増大が引き起こす生産性上昇率の低下を食い止めるためには、単にケインズ的所得再分配政策に立ち返るだけでは不十分である。基本的には、企業収益を資源配分の指導原理とする資本主義体制、「利潤を生むものがなんであれ有意義である」という資本の原則それ自体に異議申し立てをし、失業ではなく雇用の増大、賃金の抑制ではなく労働条件の改善と賃金引き上げ、経済格差の拡大ではなく格差の縮小、を実現する政策を目指す政治的・大衆的運動を強化しなければならない。
10) BGWによれば、このような賃金と労働条件の改善に主導される生産性上昇戦略は、それ自体でなお十分な戦略ではない。それは過渡的戦略を基礎づけるより大きな戦略の一部でしかない。したがって長期的には、こうした限定された目標を超えた人間的な発展、自由時間の拡大、相互的で充足的な社会関係を優先する政治目標に大衆を動員し、連合させる戦略が求められる。

Ⅲ 本書の影響と課題
BGWが提唱する「経済の社会的モデル」は、その後かれらのアプローチを踏承する研究者たちによって、資本蓄積の社会構造的アプローチ(SSA)と呼ばれるようになった。BGW以後のSSA理論の発展については、T.マクドナー/M.ライシュ/D.コッツ(編)Contemporary Capitalisum and Its Crises, Cambridge,2010.を参照してほしいが、SSAアプローチは、「経済の金融化」論と同様に、ポストケインジアン、現代マルクス派、制度学派などの潮流にまたがる批判的経済学の研究者をふくむ有力な潮流として広がっている。
SSAアプローチは、このグループの有力メンバーで上記の論文集の編集者でもあるマクドナーによれば、つぎのように特徴付けられている。
1) SSAアプローチは、資本制的生産関係が本質的に解決できない内部矛盾を含んでいるというマルクス経済学の洞察と、資本主義経済の動態を決定する企業の投資決定が内在的な不確実性をはらんでいるというケインズ経済学の洞察の双方を継承する。さらに、SSAアプローチは容易に予想されるように、レギュラシオン学派と大きな共通性をもっており、資本主義の類型論を重視する「資本主義の多様性論」の潮流とも部分的に認識を共有している。
2) 資本制的生産関係の矛盾と投資の不確実性を緩和し、ある程度長期的で安定的な経済成長が実現するためには、それぞれの時代において、資本家の予測や期待の不確実性を減少させ、さまざまな利害関係の摩擦を緩和する、一連の経済的、政治的、イデオロギー的、文化的な諸制度が必要である。これらの制度は、全体としてまとまりのある、相互補完的な形で成立することが必要である。これらの制度の総体が「資本蓄積のための社会的構造(SSA)」と呼ばれる。
3) SSAが成立すると、投資の不確実性が低下して資本家の予測や期待が積極的になり、投資と経済成長が促進され、その成果の分配を通じて利害関係者全体の満足度を高め、「資本の論理」が社会的に受け入れられ、ある程度長期的で安定的な経済成長が実現する。しかし、このような恵まれた段階が経過すると、労使関係、生産と消費、企業間・産業間の競争、国際的摩擦その他の摩擦や不均衡が高まり、労働者や大衆の異議申し立てが強まり、政治的緊張と制度間の不整合が表面化してくる。これらの矛盾が強まると、SSAを形成する基本的な制度が機能不全と内部崩壊を始める。SSAの諸制度は、全体として有機的な相互補完関係をなしているために、一部の制度の不具合がSSA全体に不具合を引き起こす。その結果、資本家の予測は不確実になり、投資が不活発化し、利害関係者の満足度が低下する。
4) こうした問題に対処するために、新しいSSAの構築(制度の変更と組み換え)がめざされるが、SSAが経済制度だけではなく政治、イデオロギー、文化を包括する広範で多面的な諸制度を含んでいること、制度の変更は利害関係の組み換えを伴い、異なった利害関係者の摩擦を強めること、さらに、一般に制度変更は政治的意思決定のプロセスを必要とすることなどから、新しいSSAの構築は複雑で時間のかかる作業になる。最終的に新しいSSAが成立すれば、再び長期的で安定的な資本蓄積と経済成長の過程が開始される。しかし、一つのSSAが解体過程に入ったときに、次の新しいSSAがいつどのように成立してくるのかをあらかじめ予想することはできない。1970年代スタグフレーションとその後の経過が示しているように、一つのSSAが解体した後に、数十年以上にわたって、強固なSSAが再建されないまま経済不振と危機が繰り返される場合がある。

おおざっぱに要約すればSSAアプローチの特徴は以上の通りであるが、このアプローチが今後現代資本主義の批判的分析に積極的な貢献をなすためには、いくつかの方法的、理論的補強が必要であるように思われる。SSAアプローチの現代の到達点を踏まえてこれを批判的に検証する作業は今後に予定せざるをえないが、ここでは、今回のテーマであるBGWの著作に立ち返って問題点を指摘しておきたい。
(1) かれらはまず、戦後資本主義を1948~66、66~73、73~79、80~の各段階に分け、それぞれの段階における労働生産性と利潤率の変動を整理し、それらの変動が、戦後のコーポレートシステムにおける私的支配力をささえる次の三つの力関係に依存していたという仮説を提示する。1)アメリカ資本と海外の競争相手および資源供給国との関係、2)アメリカにおける企業と労働力の構造化された関係、3)企業の利潤追求と企業の社会的責任を求める大衆の要求との関係、である。かれらは、戦後経済の高度成長と、その後の成長率・利潤率の低下、さらに第三段階での利潤率のいっそう急激な低下を、それら三つの力関係が構築され、機能し、さらにそれらが内部分解をはじめた歴史的変化によって説明することを試みている。しかしながら、これらの三つのアメリカ経済の繁栄をささえた支柱が、どのような基準で選びだされたのかという点が、必ずしも納得のゆくように説明されていない。それらはいずれも十分な妥当性を示していると考えられるが、重要な支柱が他に存在しなかったという裏付けがあるのだろうか。
(2) マルクス経済学の方法では、経済学のすべての重要なカテゴリーは、単なる変数、あるいは変数間の比例関係ではなく、社会関係すなわち人間関係を表現している。その意味で、BGWが、経済と政治の関係を視野に入れて「経済の社会的モデル」を現代資本主義分析に適用する可能性を開拓したことは大きな功績と言える。しかしながら、主流派経済学が依拠するマクロ統計データではなく、特定の社会関係を評価するデータセットを作成することは容易な作業ではない。マルクス経済学の方法を通常の分析科学の方法と同じやり方で取り扱うことには、多くの場合、本質的な困難が伴う。なぜなら、一般に社会関係それ自体の変化とその帰結を直接的に評価できる統計データが用意されていることはまれだからである(「われわれの最初の問題は生産過程の人間的・制度的側面を測定することの困難さにあった」131㌻)マルクス経済学がこれまで必ずしも十分に実証的科学として発展してこなかった理由の一つもここにある。現在利用可能な統計データや社会調査などに依拠しながら「社会関係の変化とその帰結」を分析するためには、われわれはしばしばあいまいな「代理変数」に依存せざるをえない。BGWは、アメリカ企業の生産性低下を説明するために、資本装備率や労働投入量、稼働率、実質産出量など従来の経済学が依拠してきた指標ではなく、労働者の意欲や忠誠心を反映する労働強度、「創造的破壊」の過程が企業に及ぼすイノヴェーション圧力、企業支配への大衆と途上国の抵抗、という三つの社会経済的要因をモデルに組み入れて回帰分析に乗せるための代理変数を提示している。かれらは、この代理変数がいずれも不完全であることを認めたうえで、回帰分析を重ね、それらが常識的なデータよりもはるかによく「あてはまる」ことを見出している。しかし、かれらの代理変数の選び方には過度の強引さがぬぐえないし、それらの当てはまりが、選択した代理変数自体の信頼性とどのように相関するのかは評価の難しいところである。あるモデルが事実経過の説明に「当てはまる」ということは、そのモデルの「正しさ」を直接に証明するものではない。実証分析において本質的に重要なことは、「当てはまりのよさ」ではなく、モデル自体の論理的説得力である。本書では、その意味で、「当てはまりのよさ」を重視するあまり、モデル自体の論理的説得力を高める努力がやや軽視されているのではないかと思われる。
(3) かれらの「経済の社会的モデル」およびその応用としての「生産性上昇率低下の社会的モデル」(153㌻)において、通貨制度と金融市場の問題はほとんど考慮の外に置かれている。ブレトンウッズ体制とドル基軸通貨制度の問題さえも、パックスアメリカーナの主柱であるにもかかわらず、ごくわずかの言及で済まされている(66-68㌻)。しかし、通貨制度と金融市場は「資本蓄積の社会構造」をなす諸制度の中の重要な部分をなすと考えるべきであろう。たとえば、ヴォルカー・ショックはレーガノミックスを補完し、放漫財政とインフレーションに対するウォール街による激しい反撃であったが、その意味を解き明かすためには、生産性(供給サイド)の問題だけではなく、ウォール街の問題(金融政策・金融市場と財政政策・企業財務の関係)を視野にいれる必要があったであろう。ニクソンショックは、1970年代初頭という時代背景において考えれば、ウォール街にとって大きな福音であると同時に、やっかいな厄災の始まりであった。金ドル交換が停止された状態でドル基軸通貨体制とウォール街の覇権を維持し続けるためには、財政・金融の劇的な引き締めが必要不可欠と考えられた。ニクソンショックはそれだけで完結することはできなかったのである。この意味で、ヴォルカーショックは不可避の手続きであったが、それは資本が必要とする生産性の回復、資本蓄積の回復という目標から見れば、厳しすぎる試練であった。80年代以降のアメリカ経済が、生産性と国際競争力の回復ではなく、経済の金融化、金融の証券化を経てバブル依存型経済に大きく傾いていった経緯(80年代以降に新しいSSAがきわめて不安定・不完全な形でしか形成されなかった経緯)を説明するためには、いずれにしても、通貨制度と金融市場の問題を部分的ではなく基本的な問題として視野に入れなければならないであろう。
(4) BGW自身は基本的にマルクス主義の立場に立っているが、かれらを継承する現代のSSAアプローチがマルクス経済学とポストケインジアンを二つの重要な足場としていること、さらに、これら以外にもレギュラシオン学派、資本主義の多様性論、一部制度学派などとも認識を共有していることはすでに触れた。これらの先行する諸潮流に対して、現代のSSAアプローチはどのような独自性あるいは、学問的な存在意義を持っているのかが今後問われてくるであろう。それは、さまざまな学派から「良いとこ取り」しただけの折衷的な「理論」なのか、それとも、独自性と一貫性をもった新しい理論(現代マルクス主義政治経済学の創造的流派)に発展しうる可能性を秘めているのか、ただちには判定しがたいところである。

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