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(9)オバマ金融改革の試金石
オバマ政権の金融改革法が、紆余曲折の後に立法化されることになった。ほとんどの重要課題で大きな後退を余儀なくされたとは言え、金融界と保守派の激しいロビー活動をしのいでともかく立法にこぎつけたことは、一応評価しておきたい。
筆者の考えでは、今回の改革案が歴史的な意味を持つためには、4つの点ではっきりとした前進を実現する必要があった。第一は、1933年銀行法が、銀行業と投資銀行業を分離したように、銀行による投機組織への出資および自己勘定取引を厳格に制限すること、第二は、大規模で多角的な金融組織の破たんを財政負担や金融システムの深刻な混乱を招かないで処理するための手立てを講じること、第三は、これまでだれも監督してこなかったOTCデリバティブ市場を取引所取引に集中することである。そして第四は、ヘッジファンドや簿外投資ビークルを含め、あらゆる金融機関の販売する金融商品を監督・規制する独立の監督機関を開設することである。
これら四つの課題は、いずれもオバマ大統領がその必要性を指摘し、なんらかの形で改革に盛り込むことを約束していたものである。
結果的にみると、第一の課題は、法案審議の後半になって、いわゆるヴォルカー・ルールが出てきて期待を持たせたが、ウォール街の激しいロビー活動に、議会の承認を優先する政権が妥協し、ドッド上院銀行委員長の業界寄りの采配で、中途半端な改革に終わった。
第二の、いわゆるtoo-big-to-fail問題への対処は、確かに複雑な課題ではあったが、当初から準備不足の感が否めなかった。政権は、大規模金融機関が破たんした場合に備えて、金融界が自前の準備金を積み立てる案を打ち出した。しかし、どんな基準で準備金の必要額を算定するのか、それをどのような原則で配分するのかという肝心の点で具体性がなかった。大規模金融機関が破たんした場合の社会的費用は事前に予測することは不可能で、そもそも、too-big-to-fail問題は破たんに備えて資金を準備すれば事足りる問題ではない。そのような手に余る金融機関の成立を阻止する手立てから始めなければならない。
第三の、OTCデリバティブ取引を取引所に集中する問題に対しては、ウォール街の大手金融機関とヘッジファンド業界は、初めから強硬に反対した。OTC市場は、一握りの大手金融機関と、これらと結びついたヘッジファンド業界が支配し、ディーラー間取引で莫大な利益を上げてきたドル箱市場だからである。結局これは、ほとんど前進が見られなかった。
第四の、新しい独立の監督機関の開設は筆者が注目していた項目であったが、これも「庁」から「局」に名称変更され、その規制ルールについては、新設された金融安定監督審議会に拒否権が与えられた。金融取引における消費者保護のための強い権限をもった独立の監督機関を創設する必要性は、かねてよりハーバード大教授で議会監視専門委員会の議長を務めるエリザベス・ウォレンが提唱し、伝説の消費者運動家・ラルフ・ネーダーも大統領に宛てた書簡で実現を求めていた。しかし、これについても政権は、FRBを中心とする監督機関と連携したウォール街からの強い反対を押し返すことができなかった。
以上の経過は、現在のアメリカで、ウォール街の基本的利害に触れる制度改革を実現することがいかに困難であるかを如実に物語っている。ウォール街は、議会はいざとなればカネで動かせること、監督機関は自分たちと思想・利害を共有していること、自己責任の哲学を刷り込まれた世論は掠奪的金融の犠牲者に対して冷淡であること、を知り尽くしている。
ウォール街はこれまでも、自分たちの営業の自由(これには市場を独占する自由も含まれる)に加えられるいかなる制限も容認しなかっただけではなく、自分たちの利益を損なう懸念があれば、国民経済から見てどれほど重要な改革も、反故にするか骨抜きしてきた。
1990年代の初め、野放しのOTC市場が急拡大を始めた時、当時の商品先物取引委員会議長であったブルークスリー・ボーンは、この市場を規制する必要性を議会証言その他で繰り返し訴えた。しかし、彼女の訴えは、当時のルービン財務長官とグリーンスパン議長らによって握りつぶされ、OTC市場を規制することにまったく関心のない後任者が彼女にとって代わった。
今回の改革では、前記のエリザベス・ウォレンが、金融市場における消費者保護を担当する監督機関の必要性を政権と議会に訴えていた。彼女は、問題は破産した個人の救済ではなく、一般人には理解できない複雑でリスキーな金融商品をつぎつぎと作り出すことが莫大な利益をもたらす破綻した市場の改革であると強調した。
この真摯かつもっともな主張に対して、連邦準備制度理事会はアメリカでは既存の消費者保護法でさえすでに消費者に過大なコストをもたらしており、新しい監督機関を開設するための立法は無駄であると反対論を展開した。ウォール街がこの提案を葬るために一致して強力なロビー活動を展開したことは言うまでもない。その結果が、前記のような経過となったのである。
以上のようなわけで、今回のオバマ金融改革の経過と成果を全体としてみると、政権の努力は諒としつつも、その成果は及第点に及ばないと言わざるをえない。われわれは、アメリカの政治を見る際、ウォール街の政治支配をつねに念頭に置かなければならないと、改めて思い知らされたわけである。イラク戦争をウォール街の陰謀で説明するのはもちろん行き過ぎとしても、ウォール街がアメリカの外交・経済政策に及ぼす持続的で重大な影響について、われわれはもっと認識を深める必要がある。

付記 かつて2001年にITバブル崩壊でエンロンその他が破綻したことが契機となり、企業会計を透明化するための立法措置がとられた。しかし、前回述べたように、リーマン・ブラザーズの破綻調査報告は、この措置が大手金融機関の場合ほとんど何らの実効的変化をもたらさなかったことを裏付けている。トップ経営者の相変わらず莫大な報酬といい、ロビー活動に会社のカネを湯水のように使うやり方といい、これら「壁の街の懲りない面々」はまさしく煮ても焼いても食えない連中なのであろうか。かれらのつぶやきが聞こえるようだ。「アメリカ経済、それはウォール街のことだ」

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