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(8)ウォール街の深い闇

本コラムでは、その(2)でリーマン・ブラザーズ破綻の顛末を「解読できないミステリー」として取り上げた。その後、ミステリーの主役の一人であるポールソン前財務長官がこの時期の彼の行動と関係者とのやりとりを日記風に記述した大部の手記『瀬戸際で(On the Brink)』を公表した。この手記は2008年9月4日にホワイト・ハウスで彼が当時のブッシュ大統領から二つの政府系住宅公社の破綻について尋ねられる場面から始まり、リーマン破綻、AIG救済、オバマ新大統領選出から銀行救済法(TARP)成立までの半年間の、彼およびガイトナーNY連銀総裁(当時)、バーナンキFED議長を中心とする主な関係者の動きとやりとりを克明に記述している。
本書のハイライトは言うまでもなく、第8-9章で、リーマン破綻の回避策に翻弄され、次にささやかれるモルガン・スタンレーの心配をしながら、万策尽きてリーマンを投げ出す経緯がリアルに描かれている。本書の結びの言葉は、「われわれは瀬戸際に立たされたが、落ちはしなかった」である。
ポールソンの手記は、先に公表されたグリーンスパンさらにはルービンなどのかつての主役の同種の著作と比較すると、即物的で粉飾の匂いが少なく、彼の人柄が表れていると言えないことはない。しかし、これによって筆者のミステリーが解読に至ったかと言われれば、応えは否である。彼はリーマンを救済できなかった理由をいっぱい挙げているが、どれも決定的な理由とは受け取れない。むしろ、彼とバーナンキが違う決断をしていれば、あるいはもっと巧緻にコトを進めていれば、救済のチャンスはあったというのが筆者の読後感である。
こうして相変わらず懐中電灯なしに闇の中の道を探していたところ、とんでもない資料が見つかった。この場合、見つかったというのは正確ではない。本来はとっくに周知しておくべき資料を、単なる調査不足で知らなかっただけである。それは、ニューヨーク連邦裁判所の依頼で行われた公式調査報告で、全9部、2200ページの文書で、今年3月13日に公表されており、全部ダウンロード可能である。
この報告書のものすごさは、ページ数の多さではなく、参照された資料、情報のとてつもない膨大さである。リーマンがデジタル化して蓄積していた文書・情報の総量は、3ペタバイト(ペタは10の15乗)と言われている。打ち出すと、3500億ページである。ある解説によれば、米国議会図書館(世界最大)の所蔵する全資料の150倍に達する。
調査を担当したグループ(チーフはシカゴで法律事務所を運営するA.R.Valukas)は、専属スタッフの他に70名以上の契約弁護士を使い、1年かけてそのうち500万点、4000万ページ相当分を点検した。この作業に要した総費用は30億円以上である。
筆者はこの報告書を自分のパソコンに保存したばかりで、その全体に目をとおす目途はたっていない。しかし、すでに多くの解説が参照できるので、それらによりながら、とりあえず、筆者の関心を引いた2点を挙げておくことにする。
第一は、リーマンがRepo 105 と呼ばれる偽装的取引で500億ドルの資産を毎決算期直前に簿外に隠ぺいするのを繰り返していたこと。これは通常のRepo 取引(証券担保の借り入れ)の形を取りながら、会計上は資産を売却したように会計処理をするやり方で、実態は山一証券がやっていた「とばし」に類似している。また、これには、ロンドンの一流法律事務所が関与している。さらに、リーマンの最高経営責任者も、議会で質問されたバーナンキやヴォルカーも、このような取引の存在を知らなかったと応えている。
第二は、不可解な大手銀行の行動である。救済の選択肢が次第に絞られてくる中で、ポールソンは10行あまりの大手銀行に奉加帳方式の拠出を求め、大手銀行は200億ドルの拠出に応じた。これはイギリスのバークレーズが買収に応じた場合の手当てと考えられた。しかし、この計画は利用されず、逆に、リーマンの債権銀行であるJPモルガンとシティグループは格付け低下を理由に大きな追証を要求し、リーマンに引導を渡す行動をとっている。
私はこれから時間を見つけて報告書に目を通したいと考えているが、この多大な労力と資金を要した報告書がウォール街の深い闇にどれだけの証明をあててくれるのか、いまはまだ定かではない。

(付記)筆者はこれまでさまざまな機会に、アメリカの大手銀行の会計報告は基本的に信用できないこと、極端な言い方をすれば、それは嘘で塗り固めたようなものであると言ってきた。また、現在の大手金融機関は、人間が理性的に運営できる限度をこえて大規模複雑化していることを指摘してきた。今回のリーマン調査報告書は、今後予想されるAIG調査などを含め、この私の信念を確証してくれることと期待している。

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