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(5)ゴールドマン・サックスの蹉跌

4月18日付けの新聞各紙は、米国の証券取引委員会(SEC)が、投資銀行ゴールドマン・サックス(GS)およびその仕組み証券担当副社長を証券法および証券取引法違反の容疑で連邦地裁に告訴したことを報じた。この事件は、ウォール街にリーマン・ブラザーズ破綻以来の激震を走らせ、GS株は13%下落し、他の金融株も5%下落した。
SECが提出した訴状によれば、2007年4月、GSはABACUS2007と名付けた合成仕組み証券(synthetic CDO)を売り出した。このCDOは、GSの重要顧客である大手ヘッジファンド・ポールソン& Coが持ち込んだ案件で、成功すればGSはポールソンからの「謝礼」と引受手数料を合わせて30億円以上の収入が見込まれた。
ポールソンは、グリーンスパン前FRB議長も顧問に名前を連ねる世界最大のヘッジファンドで、今回の金融危機では、早期から仕組み証券の暴落を予想し、これに逆張り(値下がりをねらった投機、カラ売りともいう)を掛けて巨利を上げ、マネージャーのジョン・ポールソンは2007年に3000億円の報酬を稼いで世界を驚かせた。ファンドマネージャーの報酬は2008年に金融危機の影響で前年の半分に落ち込んだが、2009年には再び膨れ上がり、彼は2300億円を稼いでいる(これでも世界のファンドマネージャーの中で5番目にすぎない!)
ポールソン& Co.がGSに持ちかけた案件は、ポールソンが価格の下落を予想して選定した仕組み証券を組み込んだ合成CDOを発行して世界中の投資家に販売し、これに対してポールソンは信用デリバティブ(CDS)を使って逆張りをし、価格が暴落すれば、そっくり掛け金と同額の利益が転がり込むというものであった。
2004年4月に売り出されたこの合成CDOには、もっぱら金利調整型モーゲッジ、低FICO(借り手の信用度)スコアのサブプライム、それも、アリゾナ、カリフォルニア、フロリダなどその後住宅価格が暴落した地域のローンが集中的に組み込まれていた。
2007年春といえば、すでにアメリカで一部の住宅ローン専門金融機関が苦境に陥り、住宅バブルに対する投資家の懸念がすでに高まり始め、とりわけ合成CDOのような複雑な仕組み証券に対しては投資家が警戒的になっていた。このため、GSとポールソンは、この証券の投資適格性を偽装するために、仕組み証券組成の担保選定と管理で実績のあるACAマネジメント社を担保証券の選定・管理機関として引き込み、投資家に配布するあらゆる関係書類で、ACAが唯一かつ公正な選定・管理機関であると説明した。
ACAはGSおよびポールソンの関係者と継続的な打ち合わせを行い、ポールソンが担保証券の選定に深く関わっていることを知っていたが、売り出す証券に同社が逆張りしていることは知らされなかった。それどころか、GSは、ACAに、この案件のスポンサーとしてポールソンがリスクを最初に引き受けるエキュイティ・トランシュに100億円投資すると説明し、ポールソンが一般投資家と利害を共有しているかのように信じ込ませた。GSが投資家に対して行った説明や配布資料でもポールソンの名前は一言も登場しなかった。
ACAは、ポールソンが推奨した123銘柄のRMBSを点検し、そのうちの55銘柄に同意したが、何度かのやり取りを経て、最終的には90銘柄を組み入れることに同意した。2007年2月26日にこの案件についての関係3社の合意が成立し、同3月12日、GSは正式にこの案件を機関承認し、同時に、ポールソンが逆張りするためのCDS購入の注文を処理した(この一部は例のAIGが引き受けたのではないかと推察されるが、詳細は不明)。
こうして売り出された証券は、ポールソンの思惑通り、何カ月もたたないうちに紙くずになり、世界中の投資家に1000億円以上の損失をもたらした。顧客名簿は明らかにされていないが、訴状によれば、この証券を買った投資家の中に、ドイツの中小企業向け金融機関IKBがあった。IKBは、格付け会社2社(S&PとMoody’s)がトリプルAを認定したクラスAと呼ばれる証券を合計150億円分購入したが、すべて無価値となった。IKBが失った金額の大半は、ポールソンの利益に代わった。周知のように、IKBは今回の金融危機でまずドイツでまっさきに経営危機に陥り、政府に救済された金融機関である。
しかし、ヨーロッパの金融機関で最大の被害を受けたのはオランダの大手金融コングロマリット・ABNアムロであった。ABNは、この証券の購入者ではなく、この証券のスーパーシニア(実際の格付けではなく、合成CDOの発行者が勝手に使う呼称で、超トリプルA!を意味する)クラスを購入した投資家に、信用リスクを保証する900億円以上の信用デリバティブ(CDS)をGSを通じて販売していたのであった。このため同社は、証券が紙くずになったために莫大な損失を被って経営危機に陥り、イギリスの大手銀行RBSグループに買収された。RBSは、ABNがらみのCDSを清算するために840億円の損失を負担しなければならなかったが、この金額の大半もまたポールソンに転がり込んだ。ABNの損失をまるごと抱え込む羽目になったRBSは、かねてから指摘されていた経営上の問題も合わさって窮地に陥り、組織のドラスティックなリストラと引き換えにイギリス政府の救済を受けることになった。
この事件は今後裁判所で裁かれるが、今回の金融危機に関連して起こされてきた他の訴訟事件(たとえば、マドフの巨大ネズミ講事件など)とはレベルの異なる問題である。なぜなら、もしも事件の真相が上に紹介した訴状の通りだとすれば、今後の裁判の結果によってはゴールドマン・サックスの命取りになりかねないからである。
同社は、これまでウォール街の投資銀行の中でも最大・最強というだけではなく、裁量の毛並みを誇ってきた。同社は、民主党の政治資金の最大のパトロンで、ルービン、ポールソンを始め歴代の政権に財政・金融の最高責任者を送り込んできた。同社は、フォーチュン500社に代表されるアメリカ産業の超優良企業を選別的に顧客にし、短期的な「浮利」を追わず、顧客の信用を重んじる「Long-Term Greedy(長期的な視野で利益を求める)」組織として絶大な評価を受けてきた。事実同社は、1990年代に、ドレクセル社が崩壊したあと他の投資銀行がジャンクボンド市場に殺到しても追随せず、2000年代初頭のエンロン事件でも、他の銀行とは一線を画して深く関わらなかった。今回の金融危機では、他の金融機関よりも早くから住宅バブル崩壊を予想し、仕組み証券市場のリスクを先手を打って処理することで損失を最小限に抑えてきたと報じられてきた。
ゴールドマン・サックスの名声が揺らいだのは、アメリカ最大の保険会社AIGの事実上の破綻と救済に関連して、同社がAIG破綻の原因となった信用デリバティブ(CDS)取引の最大の相手で、いわばAIGを食い物にしていたのではないかという疑惑がもちあがったときであった。周知のように、AIGはアメリカの史上で前例のない大規模な政府救済を引き起こしたが、政府がAIGに投入した資金の最大部分を受け取ったのも同社であった。
今回の訴訟事件は、ウォール街の象徴として長く君臨してきたGSの存続に関わる問題である。これは、かつて1990年代初めに、当時のウォール街の最強の証券会社であったソロモン・ブラザーズが新発国債の買い占め事件を起こし、莫大な罰金と合わせて国債引き受け業務を制限され、その後、営業力を失ってトラベラーズグループに買収された事件を思い出させる重大事件である。(この事件については、拙著『金融グローバル化を読み解く』108-111を参照)もし、GSがソロモン・ブラザーズと同じ運命をたどることになれば、その時こそ、言葉の文字通りの意味で、「投資銀行モデルの終焉」ということになるであろう。
いずれにしても現在米議会で審議中の金融監督改革法案の帰趨に重大な影響を及ぼすのは間違いない。すでにオバマ政権はヴォルカー元FRB議長の提案にもとづき、銀行の自己勘定取引、ヘッジファンド取引を厳しく制限する(ヴォルカー・ルール)法案を提出している。ウォール街は共和党を抱き込んでこの法案を骨抜きするロビー活動を展開しているが、この事件が明るみにでたことで、オバマ改革に反対する議員は有権者の厳しい批判を覚悟しなければないだろう。また、IKBやABNなど今回の事件で深刻な被害を受けた欧州諸国でも、改めてGSの責任を問い、その業務を検証する動きが広がっている。その意味では、今回の事件は、今後の国際金融市場の規制監督体制をめぐる国際的議論にも影響を及ぼすことになるであろう。

(付記)
ところで、この件でGSに話を持ちかけ、15億円の「手数料」を払って(!)担保証券の選定に関与し、莫大な利益を上げたポールソンの責任はなぜ問われなかったのであろうか。SECの訴追が報道された直後の別の会議の席で、SECの担当者は、投資家に虚偽の説明を行った全責任はポールソンではなく、GSにある」と説明している。Long-Term Greedy と称えられたGSともあろう投資銀行が、わずか数十億円の利益に目がくらんで命取りになりかねない不正を働いたのであろうか。まだまだ表にでていない謎が潜んでいると考えておいた方がよさそうである。
また、GSとポールソンに欺かれたACAは、その後どうなったのだろうか。ACAは、この事件だけではなく、その前に自社が選定して売り出した仕組み証券の下落でも評判を落とし、担保選定機関としての信用を完全に失墜した。現在同社は、かねてから別部門で行っていたモノライン保険業で、ほそぼそと営業を続けている。以上の経緯は、ウォール街最大・最強の投資銀行として君臨してきたGSが、手数料のためなら顧客投資家やビジネスパートナーの破滅さえ意に介さない組織であることを証明している。私自身は、これまでも金融関係者に対しては、ウォール街の投資銀行は日本の大手銀行とは基本的に異なる論理とカルチャーで動いている組織で、これを相手にビジネスを行おうとする者は、悪魔を相手にする覚悟がなければならないと繰り返し警告してきた。
それでは、こんな悪魔のような投資銀行が、なぜ今回の危機では完全に自縄自縛に陥り、自ら莫大な損失を被ったのか。これを説明する有力な情報が、現在アメリカで進んでいる「金融危機調査委員会」に出された新しい資料で見つかった。これについては、追って紹介したい。

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