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(11)監督機関はいったい何をやったのか
今回の金融恐慌では、監督機関を含めて金融界は、深刻な金融危機の到来を事前に予想することは困難で、ごく少数のまぐれあたりの悲観論者(その代表としてしばしば名前を挙げられるのが、ニューヨーク大学のヌリエル・ルビニである)を別とすれば、一般の注意を引くほどの警告は早期に発せられなかったと弁明している。つまり、これは予測困難な自然災害のようなものだというわけである。
しかし、常識的に考えても、これほどの社会的惨事が、地震や噴火のように、なんらの前兆もなしに突然発生することはあり得ない。まして、金融取引の現場で取引に従事している専門家は金融市場の「インサイダー」であり、門外漢ならいざ知らず、危機が発生するまで、市場になんの異変も感知できなかったというのは、通らない話である。
情報の非対称性が引き起こす市場の崩壊を考察した有名な論文「レモン市場」(1970)で、情報の経済学と呼ばれる分野を切り開き、その業績でノーベル経済学賞(2001)を受けたアカーロフによれば、銀行経営者がポンツィ金融を利用して自社を食い物にしながら私利をあげる(要するに、個人的利益と引き換えに銀行破綻と金融危機を引き起こす)確実な「レシピ」は、次の4つである。(1)異常なほど急激に業務を拡大する、(2)信用度の低い、あるいは返済能力のない借り手への高利の貸し出しを急増する、(3)極度に高いレバレッジに依存する、(4) 引当て金を貸し出しの量的増加と質的低下に照応しない極端な低率に抑える。
現在米国議会で開かれている金融危機調査委員会に招かれた研究者、監督機関関係者その他多くの人々によれば、上記の4つのレシピに当てはまる異常現象が住宅金融市場に蔓延していることは、2005年ごろには現場の人間なら誰でも知っており、こうした破滅的融資行動が、サブプライムローンの中でもとりわけ「ライアーズローン(liar’s loans)」と呼ばれる、融資契約に必要な書類が欠落した、または融資判断に必要な事項が虚偽記載された詐欺的貸し付けの急膨張と結びついていたと、証言している。
ある大手金融機関の評価によれば、金融危機発生に先立つ数年間、ライアーズローンは特殊どころか、業界関係者にはごく普通のものになり、2006年中にオリジネートされたローンの約50%がライアーズローンであったと見積もられている。そして、このような危険で詐欺的なローンを組成する当事者たちの多くは、自分たちがそろって崖っぷちに向かって走っていることを知っていたが、個人的利益のためには走り続けるしかないことも承知していた。ようするに、何の前兆もなかったなどということは、業界関係者にはあり得ないことであった。
事態がここまで深刻化しつつある時に、誰も警告一つ発しなかったとすれば、それこそ不可思議である。事実、ある専門家の証言によれば、連邦捜査局(FBI)は2004年9月の議会証言で、詐欺的なモーゲッジローンが蔓延しつつあり、これを放置すればS&L危機と類似の深刻な経済危機が発生すると警告していた。しかし、FIB自体には、監督機関のように多数の金融機関を直接監督する能力はなく、効果的な対策を策定する専門的ノウハウもなかった。
FBIによれば、FBIは金融危機が発生した2007年に120人であった「特別調査官」を2008年には180人に増強した(S&L問題の調査では1000人が採用された)。この乏しい陣容にたいして、FBIが2009年中に受け取ったモーゲッジ詐欺事件の照会は6万3000件に上った。実際には、ライアーズローンの20%程度が詐欺的融資であると見られており、その件数は150万件に達すると見積もられている。FBIが照会を受けた事案の中で実際に調査が行われたのは、年あたり約1000件にとどまった。言い換えると、FBIは、S&L危機の30倍の規模の事件を、8分の1の体制で調査せざるを得なかったのである。事件がFBIの手に負えなかったことは至極当然である。
これ程の深刻な状況にも関わらず、本来の監督責任を付託された金融監督機関は、一般に市場参加者は自己責任で合理的な判断をするのであるから、そのような不合理な行動は一部金融機関に限定され、市場全体には広がることはなく、したがって深刻な経済危機を引き起こす可能性はないとして、適切な行動をとろうとはしなかった。監督機関は、「市場には自浄能力がある」という新古典派経済学のおとぎ話しを、自分の意図的怠慢の口実に利用したのである。したがって、議会から調査能力を与えられた監督機関が、FBIに一切支援の手を差し伸べようとしなかったことも、言うまでもない。
その場合、監督機関が持ち出す一つの弁明は、ライアーズローンなどの問題含みのローンの約80%が、FRBの監督権限が直接及ばないシャドーバンキング・セクターによって提供されたということである。しかし、専門家によれば、FEDは持ち家平等保護法(1994)によってあらゆるモーゲッジ取扱業者を監督する権限を与えられているにも関わらず、グリーンスパンも、彼を引き継いだバーナンキも、その権限を利用しようとしなかったのである。さらに、司法省も、同省の内部にエンロン事件の際と同じ調査機関を設立すべきだという事情に通じた関係者からの声に対して、エンロン事件と詐欺的モーゲッジローンの拡大は別種の問題として、その要請を取り合おうとはしなかった。かくして、先の議会の証言者が、これら監督機関は、金融監督機関としての責任を放棄し、モーゲッジ市場における空前の詐欺事件を自ら誘発したと厳しく断罪したのは当然であった。
かくして、上記の4つのレシピと関係監督機関の意図的怠慢が合わさったことは、大災害を引き起こす十分条件を提供した。なぜなら、情報の経済学によれば、この組み合わせのもとでは、銀行経営者も融資担当者(実際には、社外のローンブローカー)も、将来の重大なリスクを無視してとりあえず高リスクローンを膨張させて利益をあげ、将来の損失が表面化した特にはそれを自社に転化し、自らは短期的な私利を確保する行動をとるように強く動機づけられるからである。
なお、上記の証言を行った専門家によれば、モーゲッジ銀行業界の団体であるモーゲッジバンカーズ協会は、金融危機の発生後、モーゲッジ銀行は危機に責任はなく、むしろ犠牲者であるという宣伝を展開する戦略をとった。そして、連邦準備制度理事会、証券取引委員会を含む監督機関は、この「犯人たち」の欺瞞的弁明を、金融システムの健全性と公正の原則に優先させたのである。

(付記)以上の記事は、2010年9月21日に開催された米国金融危機調査委員会でのウィリアム・ブラックの証言に依拠している。ブラックは、ミズーリ大学で経済学と法学を教えており、1990年代初頭のS&L問題では連邦S&L預金保険公社の訴訟部門のディレクターを務めた、金融不正問題の専門家である。かれは、議会での数次の証言で、オバマ改革案が金融機関経営者の不正行為を軽視し、その防止対策を等閑視していると厳しく批判している。

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